《俳優&画家の二刀流》国広富之が語った、“迷コンビ”『トミーとマツ』時代の秘話と絵画への情熱

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2025年11月23日 08:10  週刊女性PRIME

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国広富之さん

 '70年代から'80年代にかけて、二枚目俳優として一世を風靡した国広富之さん。現在は俳優を続けつつ、人気画家として全国で展覧会を開催している。変わらぬ見た目ながら、情熱を込めて絵画に向けての思いを語る彼に、あのころの思い出と、今後の目標を聞いた─。

“イケオジ”をキープするルーティーンは

 1977年に『岸辺のアルバム』でドラマデビュー。その後も『赤い絆』『噂の刑事トミーとマツ』『ふぞろいの林檎たち』(すべてTBS系)と、話題のドラマに次々と出演し、いずれも個性的な役どころで人気を博した国広富之さん。

 そんな彼も今年で72歳になるが、年齢を感じさせず、いまだに若々しさを保っている。ネットニュースで“イケオジ”と話題になっている国広さんに、若さの秘訣を聞いてみた。

昔はジムで身体を鍛えていました。でも50歳を過ぎたころから運動をやりすぎると、その反動が出るようになって。10日間ハードな運動をしたら、次の10日間を休んじゃうみたいなことが続いて……。これじゃ意味がないと思って、55歳のときにジム通いをやめて、今は毎日の散歩くらいにしています(笑)。

 1時間で5キロは歩いていますね。また、自宅の近くに100段の階段があるので、それを上っています。あとは腹筋と腕立て伏せを、ちょっとハードにやっています」(国広さん、以下同)

 70代を過ぎても“イケオジ”で居続けられているのは、散歩を含め毎日のルーティンの賜物のようだ。

 国広さんは先述したように、数多くの人気ドラマに出演し、いずれも個性的な役を演じてきた。デビュー作の『岸辺のアルバム』では、崩壊していく中流家庭の長男役で、母親や姉の秘密を知る複雑な役。

『赤い絆』では悲劇のヒロインを演じる山口百恵さんの婚約者である外交官役に扮し、『噂の刑事トミーとマツ』では、マツ(松崎しげる)との“迷コンビ”が騒動を起こしつつも事件を解決していくトミー刑事をコミカルに演じた。ドラマ中の「トミコ」というフレーズは日本中を席巻した。

 また、1983年に放送された『ふぞろいの林檎たち』では、東大を卒業したエリートでありながら人間関係に難があり、ニート生活を送る青年を好演。それぞれまったくキャラクターの違う役を見事に演じた国広さんに当時の思い出を聞いた。

撮影終わりに毎日サイン色紙を50枚

「あのころの思い出は、とにかく睡眠時間が少なかったってことかなあ(笑)。当時は、ロケをするのも大変だったんです。カメラが重かったから。まだVTR(ビデオ)で撮る時代じゃなくて、映画と同じようにフィルムカメラで撮影していましたから、時間もかかりました。

 だから、僕らのような若い俳優は常にドラマ2本くらいを掛け持ちするのが当たり前でしたね。でも俳優としては、いろいろ演じ分けるのは楽しかったですよ。特に僕自身は根っから明るい人間なので、難しい役でもポジティブに考えて演じていましたよ

 そのほかにも、1979年には大河ドラマ『草燃える』で源義経を演じ、それまでの義経のイメージを覆して話題を呼んだ。

 このように俳優として活躍して50年になる国広さんだが、一方で画家としての顔も持つ。こちらは45年にわたって活動し、全国で自身の個展を開催している。そもそも画家になるきっかけは何だったのだろうか?

昔は仕事が終わって夜12時くらいに帰ってきても、サインを書くという仕事があったんですよ。毎日50枚くらいかな。特に『トミーとマツ』の両方のサインを欲しがる人が多かったので、片方に僕がサインを書いて、もう一方にマツが書いていました。

 そして、そのサインを失敗すると、それに漫画なんかを描いてごまかしたりして。それが始まりでしたね(笑)。また絵を描くことの好きな人が周りに結構いたので、そういう人の影響も受けました」

 自宅の部屋に絵を飾りたいなと思ったものの、気に入った作品が見つからない。ならば……ということで「描き始めたところがある」とも。

 俳優と画家という、まさに“二刀流”の活躍であるが、2つの活動をどのようなバランス感覚で続けているのだろうか?

以前は、芝居の仕事の疲れをリフレッシュするために絵を描いていたこともあります。でも現在は、油絵の具を練っているだけで心を研ぎ澄ませることができるようになりました。すぐに“瞑想の世界”に入っていけるんですよ。書道家が墨をする間に精神統一するのと似ていますね。

 仕事で疲れていても、絵を描くとなると絵の具を練ることで、すぐにスイッチが入るんです。描くものが頭に浮かんでこなくても、キャンバスを眺めていると描くべきものが勝手に浮かんでくるようになりましたね。そうやって、心が年々解放されてきています」

 そんな国広さんが描く絵は、最近はほとんどが抽象画なのだという。

松崎しげるも「画家・国広富之」のファン

「死が身近になり始めた60歳くらいのころから、目に見えない不思議な世界に惹かれるようになったんですね。そこから抽象画を多く描くようになりました。本当は僕、ずっと墨絵のようなモノクロームで描きたいんです。古来続く“わびさびの精神”を表現したいから。

 墨絵は中国から伝わってきたといわれていますけど、今の中国には昔の作品はほとんどなくなっていて、古きよき伝統が消失しましたね。国立故宮博物院にはまだ残ってはいますけど。しかし、日本には平安、鎌倉、安土桃山、江戸時代などの文物が正倉院などにたくさん残っています。それによってその精神、“スピリッツ”もいまだにあるんですよ。

 あとはイギリス。不思議なことに、この東側と西側の島国にはまだスピリッツが残っているんです。そのスピリッツを表すには白黒の絵が最高なんです。実は色彩を使うほうが表現しやすくて、白黒で表現するのは難しいんですよ。だから、僕はそのスピリッツを体系化するために、油絵によって墨絵に見えるように描いているんですね」

 ちなみに俳優仲間と絵画の話はしないという国広さんだが、松崎しげるさんは「画家・国広富之」のファンでもあるそうで、彼の家に飾ってある絵の8割は国広さんの絵だという。

 「マツは僕の絵、気に入ってくれて」と語る国広さんに、俳優・画家としての今後について聞いてみた。

「これからも好奇心を忘れずに生き続けたいですね、俳優としても画家としても。これが一番大切なことです。実は脳って、鍛えれば鍛えるほど冴えていくそうなんですよ。

 50歳を過ぎると体力こそ落ちてきますが、好奇心を忘れずにいれば気持ちがポジティブになり、脳の活性化につながるし、作品を生み出す気力も生まれる。

 ピカソをはじめ画家に長寿の人が多いのは、そういう好奇心を持っていたからかもしれませんね。僕はいつも自分のことを俯瞰しているような気がします。俳優の僕も画家の僕も、どちらも肯定しているんですね。『自分推し』ということですね(笑)。この『僕たち』には、ますます高みを目指してほしいとも思っています。

 この2つの僕は、らせんのようにぐるぐると上がっている感じがします。そういう関係だからこそ、人生を見つめ直しつつ前向きに進めている気がします。俳優と画家の2つは、ずっといいライバルであり、いい友達でいたい」

 現在、絵本を執筆していて、子どもたちにも国広さんのスピリッツを継承したいと考えているという。自己肯定感が低い人が多いといわれる世の中。国広さんのように“自分推し”で好奇心を持ち続ける生き方こそが、ポジティブに生きられる最大の術かもしれない。

取材・文/樋口 淳

くにひろ・とみゆき 1953年生まれ、京都府出身。1977年に『岸辺のアルバム』(TBS系)でデビュー。その演技で脚光を浴び、1977年度ゴールデン・アロー賞放送新人賞を受賞。以後、『噂の刑事トミーとマツ』『ふぞろいの林檎たち』(共にTBS系)など数多くのドラマ、映画に出演。ほかにも、大映ドラマの「赤いシリーズ」や作家の内田康夫原作の「浅見光彦シリーズ」などに出演している。また全国各地で個展を開催するなど、画家としても活動している。

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