田中泯が語る、坂本龍一という存在。映画『Ryuichi Sakamoto: Diaries』朗読で滲んだ感情とは

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2025年11月28日 18:10  CINRA.NET

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Text by 西田香織
Text by 中島良平
Text by 今川彩香

「死刑宣告だ」
「どんな運命も受け入れる準備がある」
「残す音楽、残さない音楽」——。

2023年3月に他界した音楽家、坂本龍一。ガンが見つかり、亡くなるまでの3年半にわたる闘病生活のなか、日記を書き続けた。日々の何気ないつぶやきから、音楽を深く思考する言葉、そして自身の死を見つめる言葉が記されている。

最後の日々までを克明に綴った坂本の日記を軸に、闘病生活と創作活動を追ったドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: Diaries』が11月28日に公開された。朗読を務めたのは、坂本と親交のあったダンサーで、俳優としても活躍する田中泯。

初めて対面した日に、空が白むまで坂本と語り合ったという田中。芸術の話から環境や自然のこと、人間の生き方まで、さまざまな考え方を交換しあってきた二人。田中から見た坂本はどんな存在だったのだろう? そしてこの作品は、田中にとってはどんな映画になったのだろう? インタビューすると、作中の朗読とはまた違った、しかし深く底に響くような声で、ひとつ一つ丁寧に答えてくれた。

© “Ryuichi Sakamoto: Diaries” Film Partners

—坂本さんと初めて会われたのはいつぐらいですか。

田中泯(以下、田中):2007年ですから、わりあい最近です。ニューヨークでお会いしました。僕がインドネシアを旅して踊った映画ができあがって、それを彼に観てほしくて、送って、感想をいただいて新聞や映画の宣伝に使わせてもらったんですね。それから実際にお会いして、初めて会ったときには延々と喋りました。夜の早めに飲み始めて、気づいたら夜が白み始めていましたから。それから会うたびによく話して、飲んで、食事をしました。

—芸術に関する話題が多かったのですか。

田中:僕たちが生きている環境の話とか、自然の話とか、人間の生き方とか、あらゆることを話しました。一緒に何かをやろうという話はしていたんですが、タイミングが合わず実現しませんでした。坂本さんを前にすると広がっていく自分のコラボレーションのイメージはたくさん起こりました。

田中泯(たなか みん)

1945年生まれ、東京都出身。クラッシックバレエ、モダンダンスを学んだ後、独自のダンス、身体表現を追求するようになる。2002年、映画初出演となる『たそがれ清兵衛』(監督:山田洋次)で第26 回日本アカデミー賞新人俳優賞、最優秀助演男優賞を受賞。以降も数多くの映像作品に出演。近年の作品に、⾃⾝の踊りと生き様を追ったドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』(2021年/監督:犬童一心)、『PERFECT DAYS』 (2023年/監督:ヴィム・ヴェンダース)、『国宝』(2025年/監督:李相⽇)、などがある。坂本龍一がコンセプトを考案、最初で最後のシアターピースとなった「RYUICHI SAKAMOTO + SHIRO TAKATANI『TIME』」に出演。21 年「Holland Festival 2021」での世界初演を経て、坂本龍一氏の逝去後 2024年には台湾公演、後に日本国内では長期公演を行い、2025年には香港公演を決行した。

—この映画で日記を朗読しながら、坂本さんとの会話をいろいろ思い出されたかと思います。完成した映画をご覧になって、どのような感想を持たれましたか。

田中:たぶん、映画を通して見える風景が、刻々と変わっていくんでしょう。自分が歳を重ねれば変わっていくだろうし、社会が変わればまた変わっていく。ときを置いて見たらまた印象も違うでしょう。実際に坂本さんだって、死の直前まで変化し続けていったはずですから。その坂本さんの姿が映っているわけです。いつまでも変化し続ける作品になったのではないかと思いますね。

—映画の冒頭で、2020年12月にステージ4のガンだと告知されたあとの「死刑宣告だ」「何を見てもこれが最後だと思えて悲しい」という言葉から、ガンとの向き合い方や、創作へのモチベーションに関してなど、さまざまな想いの変遷が日記には綴られています。日記を書くことは、坂本さんにとって何を意味していたとお考えでしょうか。

田中:まず、僕が彼の思いの近くまで歩み寄ることはとても難しいことです。本当に想像しかできません。彼が日記を書くという行為は、あるときは救いを求めたのかもしれないし、あるときは自分の感情を言葉にして言い放ちたいと思ったのかもしれない。怒りの感情に突き動かされたこともあったように思います。もしかしたら、誰々に読んでほしい、と思って書いたのかもしれない。日によっては、誰も自分に気がつかなくたっていいんだ、といった内容になっているときだってある。彼の感情の移ろいがそのまま出てきているように感じました。

—その日記を文字で見るのと、人の声で読まれるのとでは、内容の伝わり方が変わってくると思います。実際に泯さんの声で読まれた言葉を聞くと、そこから想像が広がると感じました。

田中:人間の口から出た言葉を聞くわけですから、文字を読むのとは決定的に違う何かがあるんだろうと思います。おそらく僕の声というか、朗読する際に使っていた声のバイブレーションというのは、やっぱりその底流に、坂本さんに対する、自分で処理しきれない悲しみみたいなものがあったのでしょう。

それと、この一回だけの生をどのように生きるかということの大切さというのかな。人は必ず死ぬわけで、一度きりの生をどう生きるかという話を、坂本さんとは実際にしていたので、その共感みたいなものも読むときの声に作用したのかもしれません。

—坂本龍一さんは、音楽家として多様な表現に携わったのみではなく、原発や神宮外苑の再開発に対して声を上げるなど社会活動にも積極的に取り組み、多様な「顔」を持ってその生を生き抜いたという印象があります。

田中:坂本龍一という像はときには巨大になったり、ときにはちっぽけになったりもする。たくさんの姿を持っていたわけですね。彼はたくさんの人生を人に見せた、というふうに言えなくもない。彼の生きた時間を見ても、初期のYMOの時代からどんどん変わっていって、最終的にはほとんど前衛芸術家のようになっていた。豊か、といってよいかわかりませんが、何人分もの人生を生きたのかもしれません。

—最後の3年半を追うだけでも、東北の被災地で結成したオーケストラを指導する様子や、ニューヨークと東京を行き来して制作を行う様子など、さまざまな顔が見えてきます。読書家だったこともよくわかりますし、日記の言葉も豊かです。

田中:映像に映る彼がいて、坂本さんが書いた日記の言葉がある。映画を見る人が、自分のなかで合点のいく坂本龍一を見つけて、追悼してくれれば、映画としては満足できるものなのではないかという気がするんですね。

© “Ryuichi Sakamoto: Diaries” Film Partners

—ときには、泯さんの日記の朗読が、坂本龍一さんご本人が喋っているように聞こえてくることもあります。

田中:うれしいことです。

—声を極度に抑えたり、荒げたりすることなく淡々と読まれていることで、見る側が坂本龍一さんの心に自然と近づけるように思いました。

田中:自分が文字を追いかけているような感覚になると思うんです。あのテンポで、あのような抑揚で喋っていると。それは狙っています。僕が坂本さんの言葉を聞かせるのではなく、見ている人と一緒に言葉を追うような、そういう喋り方を意識しました。監督やほかのスタッフも理解してくださって、お互いに共有しながら制作が進みました。もし言葉に感情を乗せてしまったら、聞いている人の気持ちは離れていってしまうと思います。

—死の直前まで一定のトーンで朗読されていたので、たしかに感情移入が起こりました。

田中:ご遺族は、日記をすべて僕にも読ませてくださいました。映画で取り扱った言葉たちは、「私はまもなく死ぬんです」ということを認識したうえで書かれたものですから、ヘタな演出はいらないですよ。それにしても最後までよく書き続けたと思います。

—少し映画の時間を巻き戻しますが、坂本さんは例えばロシアがウクライナに侵攻したことや、原発が再稼働したことなど、社会的な事柄についても書き記していました。病気になる前から精力的にそうした社会活動を行っていたわけですが、彼にとって音楽などの芸術表現と、社会意識というのはどのように結びついていたとお考えですか。

田中:一緒だったのだと思います。

自分が生まれてきた時代の、自分が暮らす世界の環境、地球の現在、人間やほかの動物や植物を含む自然の現状であったり、そこで人間がしてしまったことであったり、いろいろあります。彼はそういうことを受け入れて、この地球で生きていこうと決めて、子どもが学ぶように勉強したんだと思います。そして、子どもには理解できない、大人が起こした戦争に対して、彼は子どものように反対した。非常に共感を覚えます。

—世界のことを丁寧に学び、おかしいと思うことには素直に声を上げる姿勢ですね。

田中:そう、子どもの目を持ち、子どものような心で生きるのはとても大事なことです。自分が子どものときにおかしいと思ったことを、大人になったら「こう考えるのが普通」としてしまうのはよくない。自分の子ども時代に対して恥ずかしくないように生きたい、ということだと思います。僕も大好きな立場です。

—坂本さんが亡くなったあと、東京都現代美術館で開催された『坂本龍一|音を視る 時を聴く』(2024年12月21日〜2025年3月30日)のオープニングで、中谷芙二子さんの霧の彫刻のなかで泯さんの場踊りを鑑賞させていただいて、とても胸を動かされました。

田中:あのときは追悼の気持ちがすごく強かった。やはり思い出しているんですね。踊りながら、いろいろなことを。これからも当分、踊っているときに何かが戻ってくるようなことがあるのだと思います。出会えたことに対する感謝はすごく大きいです。

それと、これまでも中谷さんの霧の彫刻で何度も踊ってきていますが、とても好きなんですよ。中谷さんの霧の彫刻で踊るのが。自然環境によって霧はどんどん変わっていく。考えようによっては無責任な作品ですよね。でも踊りもそうかもしれない。踊る日によって違う踊りになるし、そもそも作品とは一体何なんだろう、というのに答えはないような気がします。

田中泯 場踊りat 坂本龍一+中谷芙二子+高谷史郎《LIFE−WELL TOKYO》霧の彫刻 #47662 Photo: 平間至

—見た人の記憶のなかに像を結んで残ったら、それが作品と言えるのかもしれません。

田中:ふふふ。作品論というか、作品について話すのは面白いですよ。ビジネスに誘われて作品化していくことが圧倒的に多いと思いますが、そうではなく残るものだってある。音楽というのは巨大なビジネスになっていますから、坂本さんもそんな話に共感していました。「人間は嫌いだねー、もうほとんどおかしくなってるよ」って、よく坂本さんと言っていましたよ(笑)。

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