【今週はこれを読め! ミステリー編】犬塚理人『サンクチュアリ』の加速がすごい!

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2025年11月28日 19:11  BOOK STAND

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『サンクチュアリ』犬塚 理人 講談社
 喩えるなら、円運動のような小説だな、と。

 犬塚理人『サンクチュアリ』(講談社)は、四話の連作形式で綴られる物語である。

 主人公は検事の一色瑞穂だ。東京地方検察庁に新人として配属された後、三年後高松に異動になった。そこでさらに三年揉まれた後で再び東京地検に戻ってきたのである。そろそろ検事として独り立ちしなければならない時期であり、彼女自身も意欲十分だ。本部係検事の先輩である高宮誠一郎からは、才気が勝ちすぎるのもほどほどに、と忠告されるくらいだ。しかし一色は、自分も本部係で重大事件を任される立場になりたい、と熱望している。

 そんな中、一色は連続殺人事件の手伝いを任される。鏑木隆矢という被疑者が四人を殺害したとされる事件である。鏑木が手にかけたのは、自殺願望を持つ女性たちだった。ハンドルネームを使ってSNS上で犠牲者を物色し、自分のアパートに誘い込んで殺害した。検察としては当然殺人罪を適用したいところだが、死にたいという女性たちを苦しみから救うために手助けしただけだと、自殺幇助を主張する。その証言の裏付けになるのが、谷津佳苗という女性の証言である。鏑木の部屋まで行ったが、自殺するのを止めると宣言したために殺されず帰ってきたという唯一の生還者である。彼女の証言を採用するなら、鏑木に殺人の動機があったことを証明するのは難しくなる。

 一色の任務はこの厄介な証言を覆すことである。谷津に会った彼女は、その話の中に奇妙な点があることに気づく。それについて調べるうちに、谷津佳苗があることについて嘘を吐いている可能性が浮上してくるのである。さらなる調査の果てに見えてきたのは、事件の意外な真相だった。

 新米検事が難事件の謎を解く、という物語なのか、とこの第一話「神の領域」を読んだ者は思うだろう。勝気で猪突猛進なところのある新米検事というキャラクター設定はそう珍しいものではないが、一色は聡明なばかりではなく、過去に何らかの屈折があったような形跡もあり、奥行きの感じられる人物である。読んでいて興味を惹かれる。

 第二話「アイドルは眠れない」は、霊柩車が襲撃され、遺体が強奪されるという衝撃的な場面から幕が開く話だ。奪われたのは森下杏奈というアイドルの遺体だった。少し話が進んだところで明かされるのだが、彼女は糖尿病の持病があり、インスリン注射を打ち忘れたことが死因になったのだという。やがて無事に遺体を収めた棺は発見される。そして、霊柩車を襲った犯人と思しき男性が殺害されるという事件が起きるのである。

 殺された野呂田茂樹が犯行に及んだのは、棺に納められた遺品を奪うことではなかったか。偏執的なマニア、あるいはネットオークションの悪質な利用者が事件に関与しているのかもしれず、一色はそうした方面にも捜査の手を広げていく。犯行内容、動機ともにあまり例のないものゆえ、物珍しさも手伝って事件の真相が知りたくなる。ここでも謎を解くための決定的な手がかりを拾うのは一色だ。

 内容は違うもののパターンは同じ二話を続けて読んで、第三話の「サクリファイス」である。表題作になっているくらいだから、何か重要なことが書かれているのだろうと読む前から少し身構える。ここで扱われる事件は、DV夫がシェルターに逃げ込んでいた妻子を刺殺したと思われる事件で、その目撃者である猫塚という男が信用ならざる人物だったことから話がややこしくなる。窃盗罪で逮捕された過去のある人物で、被害者の財布からも現金を抜き取っていたのだ。そんな証人であるため、彼の言動に事件捜査は大きな影響を受けるようになる。

 この第三話も、展開の意外性に満ちている。なるほど、これはおもしろい連作だな、と思っていると、途中で不思議なことが起きる。あれ、と思っていると、また別の変な事実が判明する。おやおや、と読み進めると、さらに意外な伏線の存在が判明する。

『サンクチュアリ』という小説は、これ以降がおもしろいのである。前半も独自性が高くて評価できるが、第三話で本来の趣向が姿を覗かせ始めてからの加速がすごい。それまで撒かれていた要素が回収され、相互に連結し合って事件を別の形に変貌させていく。遠くから飛んできた戦闘機が合体してロボットになるのを、あれよあれよと見ているような感覚がある。

 別の形で喩えるなら、巻ロープのようなものだ。一回転ごとに巻かれるロープは、初めのうちはごく短いが、重なって半径が大きくなっていくと次第に長くなる。回転の速度は同じなのに、同じ角度で巻き取るロープは最初とは比べものにならないくらい長くなるのである。巨大に成長したロープ、いや事件の塊は、最後に読者をめがけて転がり落ちてくる。危ない。これは社会に突き付けられた運命の車輪なのである。

 犬塚理人はこれまでもさまざまな社会的題材を扱ってきた作家である。帯にもいくつか、小説で扱われてきたテーマが紹介されているが、ここでは触れないことにしよう。何のテーマについて書かれたミステリーかは一切知らないで読み始めたほうが絶対にいい。読んで驚いたほうが楽しめる。そういう小説である。

 知っておくべきなのは運命の車輪が立てる心臓に悪い唸り音だけだ。この世界を挽きつぶそうとするかのように、それは回り続ける。

(杉江松恋)


『サンクチュアリ』
著者:犬塚 理人
出版社:講談社
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