東京国際映画祭「黒澤明賞」受賞、『国宝』の李相日監督 邦画実写として『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』が持つ173.5億円を超え、22年ぶりに邦画実写歴代No.1の記録を更新した映画『国宝』。文字通りの社会現象となった本作の李相日監督が、第38回東京国際映画祭にて、世界の映画界に貢献した映画人、映画界の未来を託していきたい映画人に贈られる「黒澤明賞」に輝いた。
『フラガール』、『悪人』、『許されざる者』、『怒り』、『流浪の月』、『国宝』……1作ごとに日本映画の歴史の中で確かな足跡を刻んできた李監督に、改めて自身の映画づくり、そして日本映画への思いについて話を聞いた。
『悪人』は「こういう映画をつくりたい」と明確な実感を得た作品
――今回の受賞理由として、東京国際映画祭から「しばしば社会の矛盾や人間の罪の問題を扱った重厚なテーマを描きつつ、それを多くの観客の共感を呼ぶヒューマニズム溢れる人間ドラマとして昇華させてきました」という言葉がありました。李監督自身「こういう題材を撮りたい」、「こういう人物に寄り添いたい」など映画をつくるにあたって惹かれるテーマ性として自覚されていることはおありですか?
テーマ性のようなものは、振り返るとあぶり出されるものだと思っていて、言い換えれば、興味を惹かれる、あるいは何か伝えたいと思える題材を選択してきた結果としていまがあると思っています。映画をつくる仕事をしたいと思い始めて、最初から「こういう映画をつくりたい」という人もいるでしょうが、僕は自分の中で描きたいものやイシューが初めから明確に決まっていたわけではありません。ただぼんやりとした理想だけはあって、「こんな映画つくれたらいいな…」の“こんな”というものの輪郭なり、手触りを初めて確信的に得られたのが『悪人』だったんですね。
その時代ごとに異なりますが、何か人々の中に共有されている空気感や、そこから生まれる軋轢、また軋轢によって人生が変わったり、あるいは宿命を背負わされたり、そういった、自分自身の意思だけではコントロールできない社会の中で、自分の生を生きるということを展開させていくような物語を映画としてつくりたい。ぼんやりとした理想、の正体が『悪人』でひとつ、姿を現ししたというか、明確な実感を得られたんですよね。
――『悪人』をつくった時に、ご自身の中で何か腑に落ちるような感覚が?
つくった時というか、『悪人』に映画として臨む上でですね。原作の小説を読んだ時に「こういう物語、こういうキャラクター、こういった世界観の映画をつくりたいんだ」と確信しましたし、つくる過程で、さらに鮮明になっていきました。
――『国宝』もまさに、いまおっしゃったような、自分自身でコントロールできない宿命の中で生を切り拓いていく登場人物たちが描かれます。
そうですね。それらは(原作者の)吉田修一さんが注入された最も濃いエレメントなんですけど、初めて小説に目を通した時から、芯になるテーマ、描こうとしているものには非常に共感できました。映画化の“核”になると確信しましたね。
原作小説を映像化「自分と最も密接につながった部分を見出す」
――小説というフォーマットで書かれた物語を映画にしていく過程についてもお聞きしたいと思います。膨大な原作のエピソードの中で、どうしてもカットしなくてはいけない箇所、また映画にあわせて変更が生じる部分もあると思いますが、原作小説を映像に変換していく上で、大切にしていることはどんなことですか?
長編小説の場合、「(原作のエピソードを)落としていく」という印象を持たれることが多いと思いますが、そうは考えていなくて、小説の世界観やキャラクター、エピソードがある中で、“核”になるもの――映画と小説がへその緒でつながる部分を見出して、もう一度、生まれ変わらせていくような感覚なんです。
なので、小説の数多あるエピソードの中から、「これは外して、これを選んで…」ということではなく、一番重要な部分を引っ張り出していくというか……肝心なことは『自分とつながる』ということだと思うんです。なぜその作品を手がけたいか? ということと、その作品の持つテーマ性が、自分と最も密接につながった部分を見出して、そのために必要な要素は何かを考え、もう一度、原作のエピソードから肉付けできる部分はするし、原作で補えない部分は新たに生み出す。そういう感覚ですね。
――オリジナルの脚本か? 『国宝』のように原作があるものを映画化するか? という部分に差異は感じますか? フォーマットの異なる芸術を映画にすることの意義や意味について、どのようにお考えですか?
なぜそれを選ぶのか? という説明が非常に難しいんですけど、やはり自分自身と強烈に引き合うものがあるからです。世にこれだけたくさんの小説や物語がある中で、なぜそれを選ぶか? もしかしたら、エゴも含めて、まるで“自分の物語”のように引き合う瞬間があると思います。
意義ということについて、あまり考えたことはないんですけど…なんでしょうね? オリジナルだから小説だからということも、あんまり考えたことがないですね。もちろん小説がある場合、具体的なキャラクターもあればストーリーもあるわけで、オリジナルの場合はそういうものが全く見えない状況で始まるので、(作品をつくる)工程としてはかなり違う工程になると思いますが、“意義”という面でいうと、特にそこに差異は感じていません。
――映画だからこそ伝えられる部分というのがあると?
そうですね、小説を映画化する時に意識することとして、先ほど、へその緒でつながる核を見出して組み立てると説明しましたけど、つけ加えるなら、例えば同じキャラクターでも、小説に書かれていない部分というのは絶対にあるはずですよね。Aというキャラクターが描かれている時間、登場していないBはどう生きていたか? 書かれていない部分も含めて想像することで、一つでも発見があれば、映画の意義につながっていくのかもしれません。例えば小説がレコードのA面だとしたら、映画はB面で、小説がこのキャラクターの昼の姿を描くとしたら、映画では夜の姿が一瞬、入ってくることによって、非常に人物が立体的になるし、観客の想像力を喚起するし、そういったことが映画だからこそ表現できることなのかなと思ったりします。
影響を受けた映画作品と映画監督は?
――ここから、李監督の映画体験について、お聞きできればと思います。子どもの頃に何度も繰り返し観た日本映画、特に印象に残っている作品はありますか?
子どもの頃の日本映画だと、(観た)本数は少ないですけど……『南極物語』ですかね。子どもだったので高倉健さんの印象よりも、どうしても犬のタロとジロのほうが強いんですけど(笑)、『南極物語』が一番印象に残っている映画かもしれません。
――監督が幼少期から10代を過ごされた1970年代〜80年代だと、邦画よりも洋画のほうが印象に残っていますか?
そうですね。アニメがいまほどは多くない中で、圧倒的に洋画でしたね。『南極物語』と同じ時期でいうと、スピルバーグの作品とか、子どもには驚きの連続で、洋画を観る機会のほうが多かったです。
――映画監督として、影響を受けた作品や監督の存在があれば教えてください。
結果論ですが、やはり今村昌平監督の存在は欠かせません。今村監督がつくられたから日本映画学校(現・日本映画大学)に入ったわけではなかったんですけど、入学後にこんなに偉大な人だったんだと作品を観て気づかされました。
もちろん、黒澤監督の作品は別格です。初めて日本映画を観ていて洋画と変わらないダイナミズムを感じて、そのスケールの大きさにも、現実的に考えると、「こんな映画、到底できないだろうな」と思わされてしまうほどの迫力に気圧されました。一方で、今村監督の『復讐するは我にあり』などは、人間のある種のおぞましさや人間が背負う業のドラマに傾倒していくきっかけではありましたね。
日本の映画界を取り巻く状況について思うこと
――大学に進学されて、その後、改めて日本映画学校に入学されていますが、その決断というのはどのように?
特に決断という感じではなかったですね。映画の他にやりたいことが見つからなくて。一応、大学で就職活動はしましたけど、企業戦士として生きるイメージが自分の中で全くわかなくて……。そうこうしているうちに、映画の制作現場をアルバイトとして体験して、そこからですね。「この道を!」と決断したというよりは、他に行くべき場がありませんでした。
――その時点で監督になりたいという思いはあったんですか?
ありません。どちらかというとプロデュースのほうですね。だって監督なんてやれると思わないですからね(笑)。そう簡単に「監督になる」というイメージがわかないじゃないですか? 企画を立てたり、キャスティングを考えたり、資金をどう集めるかとか、いわゆるプロデューサー業であれば、自分でも勉強したらできるかもしれないと思っていたんでしょうね。今思うと、それもイメージに過ぎませんでしたが。
――明確に「監督になりたい」と思ったのは?
映画学校の卒業制作を監督してからですね。賞をいただき少しは注目もされて、ようやくそこからですね。
――今年は『国宝』を筆頭に、邦画市場が活気づいた一方で、いくつかの映画館が閉館になるというニュースもあり、日本の映画界を取り巻く状況は良いことも良くないことも様々です。抽象的な質問ですが、李監督自身は現在の日本の映画界の状況をどのように見ていますか? 特に課題として感じていることなどを教えてください。
問題点というのは常にあると思います。撮影現場の状況もそうですし、二極化が進む興行形態など問題点は常について回るもので、ただそれらを一気に解決することは残念ながら難しいでしょう。いち作り手としては、映画館という劇場文化をいかにつないでいくかということに注力することが非常に重要だと思っています。
(photo / text:Naoki Kurozu)