「労働時間の規制緩和」議論に募るモヤモヤ なぜ日本の働き方は“時間軸”から抜け出せないのか?

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2025年12月11日 07:40  ITmedia ビジネスオンライン

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もっと働きたいけれど、労働時間規制があるので

 もっと働きたいけれど、労働時間規制があるので働きづらい――。


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 「静かな退職」や「残業キャンセル界隈」など、最小限しか働かない自由が注目される一方で、こうした声は、あまり注目されていないように感じます。「もっと働きたい」と考える人も、当然いるでしょう。


 高市早苗首相は健康維持などを前提としつつも、労働時間の規制緩和を指示したとの報道も見られます。先の参議院選挙では、各党が「働き方改革」を一部見直す公約を掲げていました。


 他方で、「もっと働きたい」という人の中には、仕事が好きで本心からそう思っている人もいれば、生活のために“働かざるを得ない”という人もいるはずです。


 そう考えたとき、現在にわかに進んでいる「働き方改革」の見直し議論には、ある重要なポイントが見過ごされているように思えてなりません。どういうことなのか、具体的に考えていきましょう。


●「もっと働きたい」――実際は「働かざるを得ない」というケースも


 働くことへの向き合い方は、人それぞれです。


 仕事が嫌で仕方ないという人もいれば、仕事が好きで長時間働いても苦にならないという人もいます。


 もっと働きたいと望む人が皆、仕事が好きで楽しんでいる人とは限りません。本当は仕事が嫌いでも、もっと働きたいと望む自己矛盾したケースもあります。より多くのお金を稼ぐ必要があるため、働かざるを得ない状況に置かれている人です。


 自分が生活費を稼がなければ家族を養っていけない場合、いまの収入で足らないならば、もっと仕事をするしかありません。心から働きたいわけではなく、義務感や責任感からそう思っている、あるいは自身の意思による選択の余地すら与えられていない状況に置かれている人は一定数います。それは「働きたい」というよりは、「働かざるを得ない」というのが本心でしょう。


 一方で、心の底から仕事が楽しくて仕方がないという人もいます。


 例えば、新しい事業アイデアを思いついてワクワクが止まらない状況の人。すぐにでも企画書をまとめて出資者を募り、仲間を集めて事業を走らせたい思いに駆られ、日々ウズウズしていそうです。


 そのようなテンションで仕事しているとランナーズハイのような状態になり、徹夜したとしても、どれだけ体が疲れていても働く幸せを感じられることもあります。


 仕事を楽しいと感じている人は、時に労働時間の規制を邪魔に感じることがあるかもしれません。本心から働きたいと考えている人にとっては、時間を気にせず仕事できる環境が望ましいはずです。


 意欲ある人には思う存分仕事に邁進(まいしん)してもらい、人手不足の解消に寄与してもらうことには一定の意義があります。もし、本心から働きたいと考える人だけ抽出して適用できるのであれば、労働時間規制の緩和も有効な選択肢の一つになるかもしれません。


●労働時間規制の緩和がはらむ2つの課題


 ただ、労働時間規制の緩和には、少なくとも注意点が2つあります。


 1つは、本人が自らの意思で働くことを選択し、元気なつもりでいても、働き過ぎがいつのまにか心身を疲弊させて、健康を害する事態も想定されることです。


 もう1つ、全く別の視点からの課題もあります。家庭にかかる工数です。どんな家庭でも、家事や育児、介護といった「家オペレーション」にかかる工数は必ず発生します。一方で共働き世帯は徐々に増え、いまや専業主婦世帯の約3倍ですが、性別役割分業の見直しが進みつつあります。必然的に、これまでのように仕事にだけ100%の時間を費やして専念することが容易ではなくなってきています。


 自分以外に家のことを全て担ってくれる人がいなければ、寝食を忘れるような働き方はできません。家族と分担してこなすとしても、仕事に没頭しながら家のことまですれば、睡眠時間などが削られて健康状態を悪化させる懸念もあります。


 ただ、働き手自身が無理しないように心がけさえすれば、適度な休息を確保することは可能です。また、少なくなっているとはいえ専業主婦や主夫世帯であることが最適というバランスのご家庭もあると思います。働くことが好きな人が、健康を維持しながら仕事に没頭できるかどうかについては、家庭内での工夫次第である程度制御できる面があります。


 それに対して、もっと働きたいと言いながら、働かざるを得ないのが本音というケースについては事情が異なります。働きたい理由が自発的なものではなく、必要な収入を得るという外部要因であるため、働き手自身の心がけや家庭内の助け合いでは対処のしようがないからです。


 先の参議院選挙では、働き方改革ならぬ「働きたい改革」を掲げる政党もありました。心から働きたいと願っている人が思う存分働けるようにすること自体は、大切な視点だと思います。しかし、働かざるを得ないのが本音の場合は別です。収入が増やせるようにと労働時間規制を緩めてしまうと、せっかく生まれた長時間労働是正の流れに逆行し、元の木阿弥となってしまう懸念があります。


 労働時間を10%伸ばせば、得られる給与もその分増えるのは間違いありません。しかし、問題は「給与増=時間増」という時間軸ありきの思考が、職場の中で疑いもなく受け入れられてしまっている点です。


 もし、時間当たりの単価を10%上げることができれば、労働時間を変えずに給与を10%増やすことができます。逆に、給与を維持したまま労働時間を10%減らすことも可能です。この考え方こそが、本来の働き方改革に他なりません。


 労働時間を削れば給与も減り、給与を増やすためには労働時間を増やすといった時間軸に縛られた発想のままでも、法律や条例を改正して労働時間の上限を定めたり、残業手当を150%に引き上げたりするといった“規制”の改革であればできるでしょう。しかし、本丸である“働き方”の改革はできないのです。


●変えるべきは業務の進め方


 時間単価を上げるには、より短い時間で高い成果を出せるよう文字通り“働き方”を変える必要があります。走り方に例えると、ジョギングからダッシュへとスピードを上げ、同じ時間内に進む距離を増やす取り組みだと言えます。


 ただし、社員に過度な緊張感を与えるなどして働き手により多くの負荷をかけることで、気合や頑張りといった労力をダッシュさせてしまっては疲弊してしまいます。変えるのは業務の進め方であり、仕組みの工夫改善によって、成果が出るスピードをダッシュさせていくということです。


 方法は大きく3つ。1つは工程短縮です。担当する職務を遂行するのに業務工程が10コある場合、工程の順序を見直したり無駄を省いたりして9コに減らすことができれば、効率は10%程度上がることになります。


 次に、同時並行です。例えばAIやRPAなどのテクノロジーを活用すれば、一部の業務をそれらに任せながら、自分は別の作業に取り掛かることができます。同じ時間内で複数の業務を同時に進められれば、生産性を2倍・3倍と高めることも不可能ではありません。


 3つ目は手法改善です。紙で行っていた手続きをオンラインに切り替えたり、会議中に資料を読み上げるのをやめて事前共有したりと、業務の取り組み方そのものを見直すことで、仕事の進行をスムーズにしたり、無駄を省いたりすることができます。


 時間当たりの成果を増やして生産性が上がれば、給与の時間単価も引き上げられます。それをどう実現させていくかに、工夫と知恵と労力を注ぎ込むことが求められます。生産性の向上なくして給与を引き上げられるのは余力がある会社だけですし、生産性向上が伴わなければ、やがてその余力にも限界がきます。


 時間軸ありきの発想のままだと、「より稼ぐためには、より長く働く必要がある」という思考から抜け出せません。かつてハッスルカルチャーがもてはやされ、土日出勤もいとわずに働くことが当たり前だった時代の悪しき名残(なごり)です。


 時間は有限であり、決して無尽蔵な資源ではありません。働き方改革で求められるのは、限られた時間の中で出せる成果をいかに高められるかです。成果軸ありきへと切り替えることなく、労働時間規制の緩和か強化かといった時間軸ありきの視点に立っている間は、いつまでたっても働き方は変わらず、規制の改革にとどまるのではないでしょうか。


(著者:川上敬太郎)



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