
Text by 今川彩香
『ミッドサマー』『ヘレディタリー/継承』で話題の人となり、新作に注目が集まり続けているアリ・アスター。12月12日に公開された新作『エディントンへようこそ』は、アスターが初めて、現実世界を強く反映させた映画だ。
あまりの非常事態、非現実的な現実だったから、もはやずいぶん遠い記憶となってしまった新型コロナウイルスによるパンデミック。アスターはそんなコロナ禍に本作の脚本を書き始め、さらに「Twitter(現X)に住んでいるようなものだった」というくらいSNSに浸かってリサーチをしたのだという。政治的対立やSNS炎上、陰謀論、そして暴動……本作で描かれるカオスは、かつてたしかに私たちがいた場所で、かつ、いまも地続きの場所だと思わせる。
来日していたアリ・アスターに、本作についてインタビュー。「この映画自体が『アメリカという支離滅裂な瘴気』のようなもの」「ダークコメディであり、風刺であり、スリラーであり、陰謀サスペンスでもある。そして『いまの世界を描いた映画』であってほしい」……。核心を避けるような受け答えもあり、なんとも「らしい」場面も見られたものの、本作への問いかけを通して、アスターが「いまの世界」をどう見ているのかが浮き彫りになった。
—まずはこの映画で何を描こうと思ったのか、その出発点から伺えますか?
アリ・アスター(以下、アスター):現在のアメリカ、そして世界の状況を描く映画をつくりたいと考えたんです。いま、人々はそれぞれ違う現実のなかで生きています。本作はニューメキシコの小さな町が舞台となっていますが、コミュニティについての物語であると同時に、コミュニティから外れた人々の物語でもある。同じ空間で生きているのに、同じ世界で生きてはいない人々とでも言いましょうか。そして人々が分断され、孤立し、お互いに疎外していると感じたときに人は何をして、何が起こるのか。その「結果」についての映画なのです。
アリ・アスター
1986年生まれ、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク出身。2018年、A24製作『ヘレディタリー/継承』で長編監督デビュー、注目を集める。2019年に長編第2作『ミッドサマー』がヒット。2023年には『ボーはおそれている』、2025年に『エディントンへようこそ』が公開された。2024年の『ドリーム・シナリオ』は製作として参加した。
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アスター:不安とは「何が起こるかわからないことへの恐れ」だと思うんです。だから私もウイルスや社会の変化に対して強い不安を抱いていました。ある意味、多くの人々が同じ不安を共有していたことで結束が生まれた面もある。でも違う種類の不安を抱えている人もいました。たとえば、ウイルスや病気を恐れる人々がいる一方で、「個人の自由」が奪われることを恐れる人がいるように。これはとてもアメリカ的な不安です。そして『エディントンへようこそ』は、そんな不安のあり方が分断された人々の物語でもあります。
私の一番の不安として、この映画に深く刻み込まれたもの。それは「社会がますます細かく分断され、私たちが一層孤立し、インターネットを中心とした生活環境の新たな規律によって人間が変容していくのではないか」ということです。それはまるで無法地帯のようです。私たちは、いまや、あらゆるものが旧世界のルールに縛られず変化していく模様を目の当たりにしています。
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—「Twitter(現X)に住んでいるようなものだった」と語られるくらいXでのリサーチを行われたようですね。日本のXもそれぞれが偏ったアルゴリズムで情報を集め、いまや目が当てられないほど分断が深まっている状況にありますが、そのリサーチで感じたこと、またソーシャルメディアが人々に与える影響をどのように考え、映画に落とし込もうと考えましたか?
アスター:私からすると、私たちがいま生きている世界は「Twitterやソーシャルメディアがつくり出した世界」であるように思えるんです。ソーシャルメディアが現実を反映しているのではなく、ソーシャルメディアの影響が現実をかたちづくっている、と。多くの人々がニュースをSNSの投稿やミームから得ている。それがリテラシーの低下を助長していると思うのです。これはソーシャルメディアの自然な副産物というわけではなく、ソーシャルメディアがどのように利用されているかの問題です。だからこそ、リサーチをするうえではその世界、その言語に没入することが重要でした。この映画はまさにその状況を描いた作品なのですから。
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—『許されざる者』(※)のような西部劇が大好きで、『ヘレディタリー』以前より西部劇のアイデアを温めていたと聞きました。本作も保安官と町長の対立、スマホと銃の突きつけ合いなど、西部劇愛を存分に感じられる作品でしたが、政治スリラーである本作と西部劇をどのようなイメージで組み合わせようと考えたのでしょうか?
アスター:私はニューメキシコ州で育ちました。そこはアメリカ南西部で、西部劇との相性がぴったりの土地なんです。西部劇はとてもアメリカ的なジャンルですしね。
そして私たちがいま置かれている状況——つまりインターネットの曖昧なルールに従って生きているような、規制なき時代——それは、まるで西部劇のような「無法地帯」に感じられます。そこにはチャンスがあると見ればすぐに飛びつく大勢のオポチュニストたちがいて、「この世界はこういうものだ」と勝手にかたちづくろうとしている。そして、ルールや規制が整う前に、できる限り多くの利益を得ようとしている……権力者は、混沌が世界を支配しているあいだに、自分の取り分を増やそうと争っている、そんな時代です。
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—ジョージ・フロイド事件(※)が起きたコロナ禍の2020年5月、ニューメキシコで暮らしていた閉塞的な状況で脚本を書き始めたと聞きました。ニューメキシコは壁がある国境に近いですが、民主党支持の青い州で、多くのヒスパニック系や先住民が暮らす場所ですよね。脚本執筆時には現地の市長や保安官などについてもリサーチされたそうですが、実際にその場所に暮らしていた監督は、街や人の様子をどのようなものだと感じていたのですか?
アスター:おっしゃるようにニューメキシコは興味深い場所です。州全体で言えば民主党寄りですが、小さな町の多くは共和党寄りという複雑な状況にある。私が脚本を書くために取材をしていた当時、小さな町に暮らす多くの人々が強い不満を抱えていました。その理由の一部は陰謀論が人々を侵食していたためですが、同時に国全体が分断されすぎていて、どちらの政党が政権を取っても「反対側の支持者」が置き去りにされるような状態だったということも大きな要因でした。
また、ニューメキシコには長く複雑な歴史からくる緊張もあります。人種的な怨恨や分断が深く根づいていて、先住民は社会の周縁に追いやられ、ヒスパニック系とメキシコ系はほとんど交流を持たない。そして白人たち、いわゆる「グリンゴ」(スペイン語のスラングでアメリカ人。主に白人男性を指す)が存在する。私自身ニューメキシコ出身ですが、この地におけるそういった関係は映画で探求するに値する興味深いものだとつねづね感じていました。ただ、現代を舞台に南西部の政治を真正面から描く映画を、これまでほとんど観たことがありません。本作は政治を題材にしていますが、特定の政治的な主張をする映画というわけではありません。
—本作においては窓越しに人々の会話を映すシーンが多いように感じました。そういった視覚的な演出でこだわった部分はありますか?
アスター:そういったことはあまり意識しすぎないようにしています。モチーフを追い始めると、それが図式的に観客に伝わってしまうから。ただ、撮影現場ではこの映画を「スクリーンの映画(screens the movie)」と呼んでいました。だからできる限り多くのスクリーン=窓を配置したかった。登場人物たちはそれぞれ「奇妙な窓」を通して世界を見ている——そんな比喩が浮かんだんです。スクリーンは自分自身を反射する鏡でもあり、同時に別世界を映す窓でもある。だから窓をスクリーンに見立てて、歪んだガラス越しに人々が世界を見るような構図が自然と増えたんです。
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―また、今回初めて全編をロケ撮影されたと聞きました。銃撃シーンではその奥行きが存分に発揮されていると感じましたが、ロケ撮影をすることで目指したものを教えてもらえますか?
アスター:この映画は私のフィルモグラフィで初となる「現実世界を強く反映した」作品です。ニュースの見出しも、私たちが2020年に体験したものと同じ。だからこそ場所にリアリティを持たせ、映像に地に足がついた感覚を宿すことが非常に重要だと感じました。ご存知のように前作『ボーはおそれている』は完全につくりものの世界で、ディティールに関してもすべてが空想です。ある意味、漫画的な世界観と言っていいでしょう。
一方で本作は風刺であり、ダークコメディ的であり、物語の展開とともに不条理さが増していきますが、それと同時に現実に存在するリアルな場所である必要があった。そうすることで、現実の世界がインターネットとそこで生まれたパラノイアに侵食されていく感覚を表現したかったんです。
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アスター:このキャストを揃えることができたのはとても幸運でした。ありがたいことにスムーズに確保できたんですよ。エマ・ストーンはもともと友人だったので話が早く、オースティン(・バトラー)とは以前会ったことがあるくらいで少し面談の必要がありましたが、2週間くらい考えたうえで参加を決めてくれました。ペドロ・パスカルも以前からの知人ですぐに承諾してくれましたし、ホアキン(・フェニックス)は『ボーはおそれている』からの付き合いですからね。皆、素晴らしい俳優でした。
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—アドリブの演技などはあったのでしょうか?
アスター:アドリブはあまりありません。リハーサルで繰り返し動きや感情、雰囲気を探りながら、俳優には自由かつ身体的にシーンを探ってもらいましたが、セリフは基本的に脚本通りです。
※以下、本編の展開に触れる箇所があります。ご了承ください。
—本作のキーマンとなるのがホームレスの男性ですよね。冒頭、データセンターの前を彼が歩く姿から印象的でしたが、テッドとジョーの対立を浮き彫りにしたのも、ジョーの暴走の契機となるのも彼。社会やシステムに混沌を巻き起こす象徴的存在と受け止めましたが、本作における彼の役割をどのように考えたのでしょうか?
アスター:面白い解釈ですね。彼は「謎めいた存在」であるべきだと考えていて、観客に解釈を委ねたいから多くは語らないでおきたいんです。考えを強制したくないので。
ただ、彼がキーマンであるという点については正しいと思います。彼は私たちをその支離滅裂な世界へ導くのにふさわしい人物であると感じたんです。この映画自体が「アメリカという支離滅裂な瘴気」のようなもの。だからこの映画の課題は、その不整合な瘴気をどう整合性のある映画として出力するかということでした。
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—データセンターに名付けられた「Solid Gold Magikarp」というのはChatGTPに入力するとエラーが発生するプロンプトのことですよね。データセンターの姿はAIに対する懸念を示しているようにも感じたのですが、データセンターとその名称にはどのような意図を込めたのでしょうか?
アスター:AIへの懸念はたしかに込めた部分ではあります。その点についてもあまり詳しく説明はしませんが、この用語が何を指しているかはあなたの言う通り、大規模言語モデル (Large Language Model)に打ち込むと混乱を引き起こすフレーズなんです。ある意味、その技術を開発する人たちの内輪ネタのようなものです。それと同時にポケモン(Magikarp=コイキング)を参考にした名前でもありました。進化すれば強大な力を持ちますが、その状態ではほとんど役に立たない無力なポケモンであることが気に入っているんです。
—ノンポリの青年が極右のシンボルとなり、陰謀に溺れた女性が街を支配し、先住民の土地や資源は搾取され、カルトのリーダーはより人気を獲得する。ある意味ペテン師ばかりが成功する暗澹たる世界ですが、これは監督自身が考える悲観的な未来のビジョンなのでしょうか?
アスター:だってそれがいま現在、この世界で起きていることではないですか。私もどうすればそこから抜け出せるか分からず、知りたいんです。もしその答えがわかったなら教えてください。
—監督のこれまでの作品もそうですが、本作も人に説明するのがとても難しい作品だと思います。最後に、監督が端的にこの映画を表現するならどう言いますか?
アスター:ダークコメディであり、風刺であり、スリラーであり、陰謀サスペンスでもある。そして「いまの世界を描いた映画」であってほしいとも願っています。
