映画「星と月は天の穴」主演綾野剛、荒井晴彦監督が対談 表現の自由、規制、可能性を語る

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2025年12月19日 05:00  日刊スポーツ

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映画「星と月は天の穴」の荒井晴彦監督(左)と主演の綾野剛(撮影・河田真司)

昭和後期を代表する作家・吉行淳之介の小説を映画化した「星と月は天の穴」が19日、公開される。66年の発表から約60年を経て、性をテーマにした作風で知られる吉行作品を実写化。性表現にも踏み込んだ今作には、映倫からR18+指定(18歳未満は観覧禁止)がつくなど、いくつもの表現の挑戦を経て完成した。主演の綾野剛(43)と荒井晴彦監督(78)が対談し、表現の自由、規制、そして可能性について語った。【村上幸将】


   ◇   ◇   ◇


綾野は11月18日に都内で行われた完成披露上映会で、作品を「珍味」と評した。その裏には「製作するのも、難しいかも知れない」ジャンルに挑んで作り上げたという思いがあった。


綾野 正直、デジタルリマスターされた古い作品、アーカイブスは山ほどあるので、古いものを見せたいと言うより、この時代だからこそ、できる表現を見せたい。昔のものを今、やる時点でハイブリッド。あくまで3人の男と女の話。私小説という世界の中で、どう見ていただくか。目で見る映画というより、耳で見る映画になってくれたら、という思いがありました。


荒井監督は18歳で原作と出会い、いつか映画にしたいと思い、ようやく映画化に至ったが、脚本執筆時から試行錯誤を繰り返した。


荒井監督 今の時代という設定で書いたんですけど全然、はまらないんですよ。撮った去年とは、はまらない。原作当時の時代背景じゃないと、この人達(登場人物)は生きられないと思って戻したんですよ。


現代だからこそ、できる映像表現にも挑んだ。綾野が演じた矢添克二は、40代の独身小説家だ。妻に逃げられて女を愛することを恐れ、愛されたい願望、心に空いた穴を埋めるように、なじみの娼婦と体を交える。執筆する恋愛小説の主人公に自らを投影することで、精神的な愛の可能性を自問するように探求するのが日課の矢添が書き進める文字を、原稿用紙につづるように画面に映し出した。


荒井監督 本来なら、映画的じゃないな、と言われてしまうものを、反転してできたのではないか? 読ませる、聞かせる映画というふうに、できたんじゃないかな? 評価は、どうなるか分からないけど。学校(名誉教授を務める日本映画大学)で教えているのと、逆のことをやっているわけだから(笑い)


劇中では、矢添と、その心に無邪気に足を踏み入れた女子大生・瀬川紀子とのぬれ場が、繰り返し描かれる。そうした性表現自体、描きにくい時代だと荒井監督は指摘する。


荒井監督 非常に不自由。誰がしてるんだ? と。時代の風潮なのか、それに合わせて作り手もやらないじゃないですか? 別にお客さんも、そういうものを求めていないんじゃないですかね? 不要と言われる。見たこともないくせに、ロマンポルノ的なシーンが何だとか、ジェンダーだとかね。映画じゃないところから何か持ってきて、映画を批判するみたいなことになりつつあるな、と…表現の自由って一番、大事なんだけどね。


荒井監督の話を聞いていた綾野は「不自由だと思っていないです。制限があるからこそ面白い」と即答した。昨今はテレビを筆頭にコンプライアンスが叫ばれるが、逆にアイデアを生む源泉になっているという。


綾野 勝ち負けがあるスポーツは、最たる例なんですけど、全員が共通するルールというものがあるからこそ、熱狂できると思うんです。エンタメにおけるルールというのは、誰かが作れるものじゃ決してないですけど…では、すごく自由になった場合、何が作れるんだろう? と思っていて。自由の中で作るものと、制限された中で作るものって、どれくらい違うのかな? と。俳優としては、プラットフォーム、フォーマット、ジャンルが変われば、表現が違うところに生きているので。もしかしたら企画者、プロデューサーの方々は、すごく大変な思いをされているかも知れないですけれど、一俳優としては不自由だとは思わない。


そう語った上で、自らが経験した1つの例を挙げた。


綾野 テレビドラマで、犯人役でシートベルトをして逃げなきゃいけない、となった。その時に、犯人がシートベルト着けて、逃げます? と思ったんですよ。でも、僕はその時、警察がバーッときてロックしたら、警察の方をニヤニヤしながら、ゆっくりシートベルトをカチャッとやりますよ、と。(警察からドアを)『開けろ、開けろ!』と言われても、ずっとニヤニヤしている目が、すごく怖い。警察が何も言えなくなった中、堂々とエンジンをかけて出発してしまう(という形にしました)


その上で、そのシーンで作り上げた表現について説明した。


綾野 それが、その人のキャラクターになってくるし、いろいろな犯人のタイプ、種類があるので。ただ逃げるんじゃなくて、警察を翻弄(ほんろう)する表現につながりました。想像力が必要だと、僕は思っているので、制限がない=想像しなくていいと言われているような感じがして。犯人が、こんなことをしますか? という単なるイメージだけで走るんじゃなくて、じゃあ、制限がある中で面白いことがないかな? と探るのが、エンタメを支えてきているんじゃないですか。


性表現において、日本でも20年代に入り性的な場面の撮影の際、演出側との間に立ち俳優の心身をサポートする専門職・インティマシー・コーディネーター(IC)が登場、活動するようになってきた。綾野は、主演した荒井監督の23年の前作「花腐し」に続き、今作にもICが入り、入念に作り上げたとした上で、女優だけでなく男優にもICは欠かせないと強調した。


綾野 前回同様、ICの方に入っていただいて、クランクイン前からリハーサルし、たくさん話していくわけじゃないですか。より、クリエーションに対する造詣が深まっていく。ICが入って、やりづらくないですか? と質問されたこともありますが、僕も荒井さんも共通で「やりづらくないです、全然…」って。やりづらいと思う人がいることの方が、僕にとってはクエスチョン。男性にとっても、ICがいることは、ものすごく重要です。僕らだって、別に誰の前でも脱ぎたいわけじゃないですし…それは、そうですよ。なので、女性だけの問題だけじゃなくて、全てのジェンダーに言えることだから。時代がそうなったからとかじゃなくて本来、そうあるべきだと、僕は思ってきましたし。今までの作品も「そこのみにて光輝く」(14年)も「日本で一番悪い奴ら」(16年)などで性的描写があるシーンに対しても、そういった環境を求めてきましたし。(ICは)まだなかった時でしたけど、現場はそのように徹していた。すごく恵まれた環境だったなと同時に思うんですよ。


綾野、紀子役の咲耶(25)矢添のなじみの娼婦・千枝子役の田中麗奈(45)が、モノクロのスクリーンの中を泳ぐように生き生きと動く。そう指摘すると、荒井監督は相好を崩す。


荒井監督 それは、ありがたい。でも、本来、映画って、そうあるべきだよね。(監督の仕事は)役者が泳ぐプールを作っていれば、いいわけだから。綾野さんは、仕事は全部、そういうふうにしようとしてやっていると思っていると思いますけど。


綾野も、笑みを浮かべつつ、うなずいた。


綾野 基本は泳ぐ…泳いでみたら、きれいな水じゃないとか気付くんですけど、きれいな水じゃなくても泳ぎますし、泥水でもいいし、沼も火の海も…いったんは泳ぐんです。


綾野は何より、2作連続で主演を決めた最大の理由となった、日本を代表する脚本家である荒井監督の紡いだセリフを味わって欲しいと力を込めた。


綾野 今回の脚本を読ませていただいた時も、前回以上に本当にセリフが美しくて、色っぽくて、豊潤で…この言葉の渦を浴びることができる喜びがありますから。荒井さんの文体が、世界観を全て作ってくれるので、俳優としてやるべきことって、いかにせりふを邪魔しないかということが重要で。だから肉体的表現や、情報過度な表情とかは基本、必要ないだろうと。かつ(演じた)矢添さんは、言葉を生業にしている作家である。そうしたところで、荒井さんの言葉を浴びることができることは、とてもうれしいことであり、幸いでした。こんな珍味な作品に出られることなんて、役者人生で何本もあるわけじゃないので。


過度な表現を避けたという言葉通り、1つ1つのセリフを、朴訥と言っても過言ではないほど丁寧に口にする。その姿は、映像と相まってモノクロ時代の昭和の俳優をほうふつとさせる。ただ、「往年の俳優を意識したか?」と尋ねると、綾野は「(意識は)ないです」と即答した。


綾野 現場主義なので、脚本と現場から生まれてくるもののために、ただただ、そのための準備をする。せりふを強く言うなど、情報過多な芝居も好きですが、脚本に行動も表情も全て書かれている、この作品は、そのチョイスが必要がない。あまり抑揚で表現しない。一語一句、今回は変えていないので。でも、声の出し方も、ややラジオボイスのようなニュアンスなので、特殊な集中力が必要なんですけどね。昔の映画って、きっとオールアフレコだと思うんですよ、同時録音じゃなくて。だから映像と声が、良い意味でマッチングしていないじゃないですか。だから、余計、朴訥に見えるというのがあるのかも知れない。


表現という1点において、語り合った対談の最後に「表現の自由を乗り越えようという思いが、こうした作品に結実したのか?」と尋ねると、綾野は1つ1つ、丁寧に言葉を紡いだ。


綾野 どんな環境であれ、全力を出し切ることに変わりはないので。エンタメって、どこまでも求められていることに対して、どう魅力的に超えていけるか、みたいなところもあると思うので。時代のせいにするのではなく、そういったところに誠実に向き合っていきながら、求められていることが、もしあるとするならば、まずいったん、考えた上で超える。見てくださる人に楽しんでもらえればいい、というのが常にあるので。見てくださる方に、育てていただく。あらがうとかじゃなく…僕にとっては大切な1本です。

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