参院選候補の応援のため街頭演説をする共産党の不破哲三前議長=2019年7月、東京・JR亀戸駅前 不破哲三さんは16歳で共産党に入党、故宮本顕治氏(後の党議長)の懐刀となり、党本部の所在地にちなみ「代々木のプリンス」と呼ばれた。国会では18人の歴代首相と白熱した論戦を繰り広げ、相手に敬意を払うことも忘れなかった。緻密なマルクス研究で科学的社会主義を探求し、第一線を退いた後も「理論的支柱」として党内に影響力を保った。
「1945年8月15日、敗戦の瞬間まで典型的な軍国少年だった」。2017年7月の講演で、自らの少年時代をこう振り返った。リベラルな教育運動家の父の下で生まれたが、戦時下で「教育勅語と軍人勅諭をたたきこまれて育った」という。
価値観を一変させたのが終戦だった。父の影響で「赤旗」復刊第1号から読み、古書店でマルクス主義関連の書物を探し求めた。共産党の思想、理論に夢中になり、旧制一高時代に入党。回想録「不破哲三 時代の証言」(中央公論新社)によると、周囲からは心配されたが、「将来は職業革命家になる」と意に介さなかった。
佐藤栄作氏以降の歴代首相と、入念な準備を基に激しい論戦を交わした。「(相手が)どう出てきても反撃できるように、必要と予想される資料はテーマごとにノートに張り込んだ」。89年、竹下登氏への質問では10数冊のノートを持ち込んだ。回想録では「一番面白かったのは田中角栄氏。官僚を通さず、自分で仕切る実力を感じさせた」と評価した。
06年党大会で議長を退任した後も指導部の常任幹部会委員に留任。17年7月、87歳で行った講演で「野党共闘は、さまざまな困難はあっても日本の政治に展望を開く力を持つ」と力説した。
翌18年3月のインタビューでも「党名は堅持する。党名を変えてうまくいった政党はない」と鋭い眼光で訴えた。取材後は好々爺(こうこうや)とした表情に変わり、記者をエレベーターまで案内して見送る姿が印象的だった。
趣味は山歩きで、南アルプスを愛した。登山中に論文の構想を練ることもあった。

第27回共産党大会に出席する同党の不破哲三前議長(右)。手前は志位和夫委員長(当時)=2017年1月、静岡県熱海市

第28回共産党大会に臨む同党の不破哲三前議長(左)=2020年1月、静岡県熱海市

インタビューに答える共産党の不破哲三前議長=2018年3月、東京都渋谷区の同党本部