人気爆発中『超かぐや姫!』は小説にできるのか? 桐山なるとのノベライズで深掘りされる彩葉の心情とは

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2026年02月10日 13:00  リアルサウンド

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『超かぐや姫!』(原作:スタジオクロマト・スタジオコロリド/著者:桐山なると/口絵・本文イラスト:うらたあさお/ファミ通文庫)

 Netflix配信のアニメ映画として人気爆発中の『超かぐや姫!』。あまりの評判に2月20日から1週間限定の劇場上映も決定したが、それまで待ったりNetflixに入るのを考えていたりしているなら、まずはノベライズを読んでどのような話か知るのもアリだ。桐山なるとによる『超かぐや姫!』(ファミ通文庫)は、基本アニメのストーリーをなぞっているからどれだけ面白いかがよく分かる。キャラの心情や背景も描いていてアニメを見た人にもいろいろ発見がある。


【画像】『NARUTO』岸本斉史が描いた『超かぐや姫!』のかぐや


■「鬱陶しい」母親の存在と、かぐやとの出会い


「――今でも彩葉はすぐに泣いて帰ってくると思ってます、甘ちゃんやから」
「――無理は怠けモンの言い訳や。私は私が出来たことしか言うてへんよ」
「――神頼みするやつは阿呆や」


 小説『超かぐや姫!』の一章に挟みこまれるこれらの言葉を、アニメの『超かぐや姫!』をまだ見ていない人が読んでどう思うかというと、やはり「鬱陶しい!」の一択だ。言葉はどれも酒寄彩葉という女子に向かって母親が浴びせかけたもの。キツくて厳しい母親だなあという印象が浮かぶと同時に、母親が彩葉のことをまるで認めておらず、上から目線でぎゅうぎゅうとプレッシャーをかけていることも感じ取れる。


 アニメを見て、彩葉が家を出て、ひとり暮らしをしながら生活費と学費を稼ぐため、アルバイトに精を出しているのはひとえに母親が鬱陶しかったからだろうと感じた人も、小説を読めばここまでイケズなら家を出たのも当然だと思っただろう。生活できさえすれば十分なはずなのに、学業にまで精を出すのも母親が彩葉の頑張りと決して認めようとしなかったから。小説を読めばそうした背景をより深く知ることができる。


 そういう訳で忙しい彩葉の息抜きは、少しばかり得意なオンラインゲームで遊んだり、「ツクヨミ」というネット空間に入って管理人でライバーの「月見ヤチヨ」をひたすら応援すたりすること。そこに割り込んできたのが謎の少女「かぐや」だ。彩葉が暮らす家賃3万8000円のアパートの前に立つ電柱が七色に輝いたと思ったら、扉のようなものが開いてそこに赤ん坊が眠っていた。放り出す訳にもいかず部屋に連れ帰ったらみるみるうちに大きくなって、人外ぶりを見せつつ破天荒な言動で彩葉を振り回す。


 食べたいものを食べ、買いたいものを買いまくる。必死で貯めた彩葉のお金を使い倒して購入した「スマコン」というデバイスで、彩葉といっしょに「ツクヨミ」にも入ってしまうが、そこで物語がググッと動く。ヤチヨが、ネット上で活躍してファンを集めているライバーを対象にした「ヤチヨカップ」を開催して、1番多く新規ファンを集めたライバーとコラボすると発表したのだ。


 彩葉も他の多くもライバーも、大人気のプロゲーマーユニット「ブラックオニキス」が優勝するに違いないと思い諦めていた。けれども、かぐやはそうした諦めの感情などまるで抱かず、自分が優勝すると宣言してライバーになり、あの手この手を使ってどんどんと人気を上げていく。


 このあたり、怒濤の勢いで進んでいくため気に止まらないこともありそうだが、かぐやが優勝を宣言した時に彩葉のそばにヤチヨが現れ、興奮してうまく喋れなくてログアウトした彩葉に向けて、アニメでも小説でもヤチヨが「またね、彩葉」と名前を読んで名残惜しそうにする。ここに、ただのユーザーのひとりを相手にしたものとは違う情感がこもっていそうなことを覚えておこう。


■彩葉は“チョロハ”か?


 ここからの展開では、絵が動いてキャラが喋り歌って踊るアニメなら、人懐っこさを振りまき彩葉を巻き込んで存在感を増していくかぐやの愛らしさに引き付けられる。ライブの場でのパフォーマンスや歌声の素晴らしさに心を奪われる。一気にファンを獲得してヤチヨカップでの優勝に近づこうとして挑んだブラックオニキスとの対決で、仮想空間を縦横無尽に走り飛んでぶつかり合うバトルの迫力にのみ込まれる。


 小説では、そうしたビジュアルや音声でのダイナミックな描写はできないが、文章によってしっかりと記すことで雰囲気だけは感じさせてくれる。加えて、小説ならではの心情描写によって、彩葉がずっと引きずっている母親との関係を、臆するとか諦めるといった気持ちを抱くことなく、グイグイと進んでいくかぐやに引っ張れることで上書きしていく様子を読み取れる。


 「――形無しで成功するんはホンマに一握りや。楽しんでる場合やあらへん。お父さんからもらったもん、遊んで食い潰すんか」。そんな母親の超ウエメな言葉に押しつぶされて、やめてしまっていたピアノや音楽への思いを、自分のために音楽を作ってほしいというかぐやの期待によって改めて掘り起こして鍵盤に向かっていく展開に、人はきっかけさえあれば変われるのだということを改めて思い知るだろう。


 プロデューサーになってと縋るかぐやに、「ちょっとだけなら、いいけど……」とOKを出してしまうあたりはまさしく“チョロハ”だが、何事にも前向きなかぐやに誘われ、友達にも感心してもらえるのならと波に乗る姿は、見ていて案外に気持ちいい。頼られる嬉しさというものを感じるからかもしれない。


 少女同士が知り合い、いっしょになって走り続けながら深めていく関係を楽しめるアニメと同じ感慨を、小説からもしっかりと得ることができる。その上で小説は、彩葉という少女が独り立ちしているようで実は囚われていた母親による呪縛であり、そうしなければいけないと思い込んでいた心の枷を、予想していなかった出会いによってぶち壊し、真の意味で独り立ちする姿を読み取らせる。


 プレッシャーだとか固定観念だとかに押しつぶされ、引きずられて身動きがとれなくなっている人に、足を踏み出すきかっけを与えてくれる。そんなノベライズだ。


 もちろん、アニメが描いているように、かぐやがタイトルにもある「かぐや姫」として迎える試練にどう立ち向かうのかといった興味も誘ってくれる。その結果起こる出来事をくぐりぬけた先に来る、どこかホッとするような感動もしっかりと得られる。最初の出会いで、彩葉にヤチヨが何か含むような言葉をかけた理由も分かる。


 さらにその先に待っている、長い長い時を隔てて訪れる素晴らしい時を小説で感じよう。そしてNetflixでの配信なり待望の劇場上映なりを見て、音と映像によって繰り出されるボカロ曲の素晴らしさでありダンスやバトルのカッコ良さに浸ろう。映像も物語もどちらも最高の作品を、長編初監督として作り上げた山下清悟の才知を讃えよう。


(文=タニグチリウイチ)



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