
かわい子ちゃんモデルだった彼女が、低迷期を乗り越えてセクシーな大人の女性の歌手に“転生”。大人はもちろん、子どもたちも大興奮させた“アクション歌謡”は、どうやって考え出されたのか。元祖自己プロデュースアイドルでもあったリンダさんに、未来へつながる秘話を伺った。
歌手になりたいという夢は捨てきれなかった
今年でデビュー60周年を迎える歌手、山本リンダさん。「アクション歌謡」と称された、そのパフォーマンス力は今も変わらず、舞台を所狭しと跳ねて歌って踊りまくっている。
10月まで全国各地で60周年記念ライブを予定しており、チケットがすでに完売の会場もあるとか。さまざまな転機を乗り越えてきたリンダさんに、デビューから名曲たちの誕生秘話、そして現在に至るまでの思いをたっぷり聞かせていただいた。
母親の影響で小さいころからファッションや歌に興味があったというリンダさん。自らモデルのオーディションを受け、ハイファッションで名を馳せた雑誌『装苑』(文化出版局)のモデルとしてキャリアをスタートさせた。
「専属少女モデルとして活動していたんですけど、1年間の契約だったので、いろいろな雑誌社に電話して、モデルの仕事の幅を少しずつ広げていました」(リンダさん、以下同)
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その後、撮影してくれたカメラマンから紹介された、銀座にある有名モデルクラブに所属した。自分の出ているファッション誌のスクラップ(切り抜き)ブックを置いてもらい、仕事を待ったという。
そのスクラップを目に留めたのが、NHKのあるディレクター。『夢のセレナード』という、新たに始まる日曜夜の音楽番組の日本初のカバーガールの仕事が決まる。知名度が上がり一気に多忙となったが、歌手になりたいという夢は捨てきれなかった。
「お仕事の合間にレッスンにも通っていたんですけど、忙しすぎて行けなくなってしまいました(笑)」
しかし、一念発起して歌手の仕事につながる芸能事務所へ移籍。人気作曲家の遠藤実氏に見いだされ、初面談の際のやりとりがきっかけで誕生したのが、デビュー曲の『こまっちゃうナ』だった。
忙しいのが本当にありがたかった
質問された際にリンダさんが発した「困っちゃうな」というひと言に、遠藤氏がインスパイアされたというこの曲。元祖ミックスルーツモデルというべき愛くるしい少女がキュートに歌う『こまっちゃうナ』はいきなりのミリオンヒットに。
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もともと忙しかったリンダさんはさらに歌番組を掛け持ち、全米での公演も果たす。地方のステージ、レコード屋さんのキャンペーン、サイン会……さらに当時の人気番組『てなもんや三度笠』のレギュラー出演も決まり、多忙を極めた。
「もう、ほんとに寝る暇もなくて。テレビの仕事が終わって、夜中の12時から雑誌の撮影が始まるなんて当たり前。母が心配して『うちの子が死んだらどうするんですか!』と社長さんに訴えるほどでした。
でもありがたいことにね、私、どこでも眠れちゃうんです。新幹線でも夜行列車でも、走り出すといいリズムになってすぐ寝ちゃうの。むしろそんなに忙しいのが本当にありがたくて……」
ご本人は現在もお元気なため笑い話となっているが、令和の今では考えられないほど、スターの労働環境は不適切だったのだ。
『こまっちゃうナ』のヒット以降、多数の作品を世に送り出すも、だんだんヒットは出なくなっていく。芸能界の風は残酷で、それまでの熱狂が少しずつ冷めていった。
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「いくら寝ないで歌番組やキャンペーンに出てもヒットにつながるわけじゃないと、身に沁みて感じました。歌番組も以前は真ん中だった立ち位置が、少しずつ端っこになって……。最後には出演そのものがなくなっていく。みんなこうやって苦労してきたんだなってそのとき実感しました」
そんな低迷期、彼女の心を支えたのは、ステージで見つめた大先輩たちの背中だった。
「越路吹雪さんや岸洋子さんの舞台を拝見して、衝撃を受けたんです。『私もあんなふうに、長く歌い続けられる歌手になりたい』と」
会社を立て直すプロジェクトに指名
歌番組が少なくなっても、地方のクラブやキャバレーなどで歌い続ける仕事は続く。メガヒットの『こまっちゃうナ』の印象が強くて、大人の歌ではお客がしらけることもあったという。
「いつまでも『こまっちゃうナ』だけでは本当に私もみんなも困っちゃうんですよ(笑)」
転機は1972年に訪れる。レコード会社をフジサンケイグループのキャニオン・レコード(現ポニーキャニオン)に移籍した翌年。当時のキャニオンレコードは経営不振の“勝負どころ”で、社運をかけたプロジェクトとして「山本リンダ」の名前が挙がったという。
「(1970年の)大阪万博の会場で、出演する歌謡ショーの呼び込みをしたことがあったんですね。大雨が降っていたのでお客様の入りが悪くて、拡声器を使って雨に濡れつつも一生懸命に『何時からですー、見に来てくださいー』って。
その姿をフジテレビの方が偶然見ていてくれたんです。その縁がきっかけで……、山本リンダでヒットを飛ばして、必ず会社を立て直す。そんな大事な役目に選んでいただきました」
リンダさんの再起には文字どおり「社運」がかかっていた。そこで白羽の矢が立ったのが、作詞家の阿久悠氏・作曲家の都倉俊一氏。かくして伝説の『どうにもとまらない』が生まれる。
「曲調はこれまで日本にはなかったようなリズムで、歌詞も外国映画のワンシーンみたいなカッコいい内容で……斬新で素晴らしい歌だ! 新しい私に生まれ変われる歌だ! 待っていたとおりの歌だ! と涙があふれてきました」
レコード発売日の当日に、フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に出演が決まった。加えてその日の産経新聞には、それらを告知する全面広告が打たれた。フジサンケイグループがまさに一丸となって押し出したというわけだ。
結果はご存じのとおり。山本リンダの「第2次ブーム」が巻き起こることになる。
「キャンペーンで広島に行ったとき、デパートの8階から1階まで、サインを求めるお客様が並んでくださっていて。ありがたくてありがたくて、100人目を超えたよ!との声を聞いて、サインに涙がポタッと落ちてしまったのを今でも覚えています」
その後も『狂わせたいの』『じんじんさせて』『狙いうち』など、次々とヒットを飛ばした。
再ブレイクした要因は「アクション歌謡」とも呼ばれる「強い楽曲」の力はもちろんだが、リンダさん本人の意向を大きく反映したスタイリングにもあった。
「横割れパンタロン」を発明
「衣装には最初から自分のアイデアを入れてもらっていました。イメージは『ブラジルのビーチでツイストを踊っているお嬢さん』。白いシャツにジーパンで、シャツの裾をキュッと結んでおヘソを出したいとお願いしたんですね。それが、白だと弱いという意見が出て、赤いシャツと黒いパンタロンでいくことになりました。
『脚が見えたらカッコいいんじゃない?』なんてアイデアも出して、お衣装の先生にパンタロンの横を切り開いていただいたら、踊ったときにヒラヒラしてとても素敵だった。世界初の『横割れパンタロン』を発明したのは私なんです(笑)」
かくして「ヘソ出しルック」がお茶の間を席巻する。しかし、古巣でもあるNHKでは、当初そのスタイルが認められなかった。
「リハーサルでは裾をおヘソが出ないような位置に結んで踊ったんですね。でも本番で激しく踊ったら、結局いつもの位置になっちゃって(笑)」
結果、大したお咎めはなく、その年の『紅白歌合戦』では堂々と「ヘソ出し」を披露することになったとか。
ブームは思わぬ場所にも波及した。テレビでも活躍しながらキャバレーでのイベントもこなしていたというリンダさん。そんな大人の社交場に異例の光景が広がったのだ。
「ステージの最前列に、子どもたちがずらっと並んでいるんです(笑)。お父様やお母様にねだって連れてきてもらっていたんでしょうね。そんな小さなファンたちから、学校で私のまねをして歌って踊っていると聞いて、本当にうれしかった。大人も子どもも私の歌を楽しんでくれている。それは大きな自信になりました」
'90年に人気アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)に登場し、「第3次リンダブーム」となった際も同様の反応があったという。
「コンサートに、お母さんや子どもたちがたくさん来てくれたんですね。昔は母に『私のファンって子どもばっかり』ってぼやいたこともあったんですが、『何言ってんねん。子どもから好かれるって、こんな素晴らしいことはないよ』って言われて。何度かブームが来てくれるたびに、本当にありがたいことだなと気づかされました」
インタビュー中も歌ったり当時の振りを交えたりと楽しそうに話すリンダさん。驚くべきは、その変わらぬスタイルと、みなぎるパワーだ。
「食事に気をつけたり、自転車に乗ったりしています。やっぱりカッコいい歌をたくさんいただいているので、カッコよく歌い続けたいんです。そのためにはやっぱり元気でいなくちゃ。
ステージに立つときは、その曲の主人公になりきるんです。『こまっちゃうナ』なら15歳の少女に、『狙いうち』なら20歳の強気な女性に。そうすると、不思議と身体も心もその年齢に合わせて動いてくれるんですよ」
最近では、KIINA.(氷川きよし)との交流も深く、ライブで共演したことも話題となった。
不思議な縁でKIINA.と繋がる
「KIINA.ちゃんはね、デビューをされた当時にすでに共演もしていたんです。気立てがすごく優しくて……不思議な縁がつないでくれました。以前、『リンダさんみたいなホットパンツをはいて歌いたい』って言ってくれたこともあったんですよ」
「新しい学校のリーダーズ」など、新世代のアーティストたちとも共演。リンダさんの楽曲は、これまで幾度となく人気アーティストたちにカバーされ続けている。それだけ色褪せない魅力があるということだろう。
「私が元気で歌い続けることで、同世代の方や後輩たちに『いくつになっても輝けるんだ』という希望を少しでも届けられたら……。これからも足腰を鍛えて、ライブの際は舞台の端から端まで飛び回ります!」
情熱の歌姫、山本リンダ。彼女の“どうにもとまらない”挑戦は、61年目もさらに加速していくはず!
取材・文/高松孟晋
やまもと・りんだ 1951年、福岡県出身。アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれる。モデル活動を経て、'66年、『こまっちゃうナ』でレコードデビュー。ヒット曲多数。「60th Anniversary LIVE」会場:静岡・磐田市民文化会館 かたりあ 日時:3月28日(土)/開場14:30 開演15:00「能登震災復興支援チャリティーコンサート」会場:東京・町田市民ホール 日時:4月25日(土)/開場16:30

