
俳優・星野真里さんの長女・ふうかさんが9歳だった2024年にインスタグラムを始めると、フォロワーがぐんぐん増え、1年数か月で10万人を突破した。
難病もさまざまなことに挑戦し、楽しむ姿
ふうかさんは、先天性ミオパチーという難病で、移動は車椅子、人工呼吸器を使いながらの生活を送っている。しかし自転車に乗ったり、キャンプをしたり、鉄棒に挑戦したり、舞台を見たり、国内外に旅行に出かけたり……。さまざまなことに挑戦し、楽しむ姿と、それを支える家族の姿が感動や共感を呼んだのだろう。
昨年12月、フォロワー10万人達成を機に開いた初のインスタライブでは、ふうかさんは、冒頭、司会の父親・高野貴裕さんと“イエーイ”と歓声を上げ、フォロワーからのいろいろな質問に、時にユーモアを交え、時にじっくり考え、冷静な視点で答えた。その声は、星野さんの使うApple製品の音声アシスト、Siriが間違えて反応するほど、どこか似ている。その星野さんが語る。
「インスタグラムは、ふうかのことを知っていただきたいと思って始めたんです。私も今は自然と取材にお答えしたりしていますけど、ふうかを授かる前は、障がいや難病、福祉について何も考えないで生きてきました。ところが娘と出会ったことで、世界の見え方が変わったんです。
道を歩いていても、段差を見かけると車椅子で上がれるのかと考えたり、ビルに多目的トイレがなかったら困る人がいるのでは、とか思ったりするようになりました。フォロワーのみなさんも、娘のことを通して、違う目線で社会を見たり、一瞬でも考えたりするきっかけになってくれたらと思いました。
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でも、インスタグラムだけでは伝わらないことがあるのも事実で、本という形だからこそ届けられることもあるのではないかと思い、本を出したいと思ったんです」
本の出版が叶う
星野さん自身、本が好きということもあって、自ら本の企画書を作成する力の入れようで、複数の出版社に提案。その熱い思いが伝わって、今年1月に出版が叶った。
著書はふうかさんが生まれる前のことから始まり、病名がわかったとき、初めて車椅子に乗れたとき、髪の毛を染めたとき、『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)に出演したとき、細身のふうかさんにも身に着けられるような肌着をクラウドファンディングして開発したとき……など、さまざまな出来事が綴られている。
星野さんは、ひとつのエピソードを書き終えると、真っ先にふうかさんに読んでもらったという。
「本が出たことで、彼女が嫌な思いをしないようにしたかったからです。私の原稿を読むのを楽しみにしてくれていましたね。特に、お腹にいたころや赤ちゃんのときのように、自分の記憶にないことは、面白がって読んでいて。次のエピソードはまだできないの?と催促されました」
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随所に、ふうかさんのひと言も添えられている。
《ああ、痩せたいって言ってみたいわ ぶにゅぶにゅの自分のおなか、見てみたいわ》
迷子になったときに便利だからと携帯電話を欲しがるふうかさんに対し、「まだ先かな」という母の言葉の後には、
《最後には名前を叫ぶからね俳優の星野真里〜!って わたしはインスタグラムをやっているふうかです〜!って でもこれは最終手段だよ、個人情報だからね》
夫の高野さんは、完成した原稿を読み、一緒に歩んできた10年を思い返して涙があふれたという。
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2歳まで生きられるかわからない……
星野さんがふうかさんの命を宿したのは、'14年の後半だった。クアトロテストという出生前検査を受けたとき、2人で話し合ったのは、「もし何か疾病があったら諦めよう」ということだった。再検査も促されなかったので、'15年7月、出産した。
喜びもつかの間、成長に不安を覚えることばかりが続いた。生後3〜4か月たっても首がすわる気配はなく、ミルクの飲みも悪く、体重も増えない。
「振り返ると、このころがいちばん不安でしたね。娘の身体の中で何が起きているのかがわからない。怖かったです。ネット検索しては希望が持てる情報を探していました」
しかし6か月健診のあとに病院で検査を受けたところ、先天性ミオパチーと診断された。星野さんの説明によれば、人間の細胞の一つひとつには「核」があり、通常この核は細胞の隅にあるのだが、ふうかさんの場合は中央にあるという「中心核ミオパチー」という珍しいタイプである。原因はわかっていない。
担当医から「2歳まで生きられるかどうか、わからない」と言われ、衝撃を受けるが、次のひと言に希望を抱いた。
《でも彼女なりの成長はしますよ》
「つまり、“今がいちばん元気で、どんどん弱く消えていく命ではなく、ここから先がある命なんだ”という意味だと思ったんです。私たちがやれることはあるんだと。それが希望になりました。障がいはあるけれど、私たちが彼女のために何かできるということが救いになりました」
“できること”が少しずつ増えていくのがうれしかった。
「赤ちゃんの成長といえば、つかまり立ちができたとか、歩けたとか、そういう大きな変化を思い浮かべることが多いと思うんですが、娘の場合は、ほっぺたを触れるようになったとか、首だけ右に向けられたとか、お菓子の包み紙を開けられたとか、ほんのささいなことでもすごいと喜べる。簡単なことで幸せになれるって得だなと思いました」
幼稚園に入るときには冒険をした。その幼稚園は、ふうかさんのために追加の保育士などはつけられないという条件だったが、その環境で3年間通い続ける。
「年少の終わりごろに車椅子に乗れるようになったんですが、自分で動ける喜びを感じる一方で、鬼ごっこなどをするとどうしても周りの子たちについていけない。
その悔しさを感じられたのは貴重な体験でした。もともと先回りしてサポートしない姿勢の幼稚園だったので、娘の挑戦を見守ってくれました。娘のすごいのは悔しい思いをしてもへこたれないところです」
生まれ持ったマインド
一度ヘコむと、「私、できないもん」と言って、友達から離れてしまうケースも考えられるが、ふうかさんはちょっと違う。
「そういうときは“しょうがないじゃん、だって私、できないもん”って堂々と言っちゃうんですね(笑)。そういう態度を取れるのは誰に似たんだろうって。たぶん生まれ持ったマインドなんだろうと思います」
ふうかさんが少しずつできることが増え、自分自身のことを好きだと言ってくれることが、希望の光だったと、星野さんは言う。一方で星野さんの中でも変化があった。ふうかさんの可能性をさらに広げようと、社会に働きかける中で、身にまとっていた殻が破られていったのだ。
「思えば強くなりましたよね。出産前は、私、話をするのが苦手だったんです。自分が発する言葉に自信がないので、私の話で相手の時間を取って申し訳ないと思ってしまうほどネガティブな性格でした。
明石家さんまさんはそれを面白がってくださって『踊る!さんま御殿!!』に何度か出演の機会をいただいたこともあったんですが、子どもを持つとそんなことも言っていられなくて、娘のために苦手な人付き合いもするようになりました。幼稚園も最初は入園を断られたのですが、いろいろなお話をしながら可能性を探っていただきました。
娘を守るのは私たち親しかいないわけですから、私が動かなければ娘の前に道はできない。強くならざるを得ないんです。娘のおかげでいろんな経験をして、少しずつ社会人らしくなれているのかなと思います」
特別扱いされていないことがうれしかった
社会福祉士資格を、夫婦で取ったことも貴重な経験だ。
「福祉の全般的なことを学べるので、ふうかを育てるうえで何か役立つだろうと思ったんです。勉強してよかったのは、福祉の歴史を学べたことですね。
私たちは、今ある制度の中でどうするかを考えがちですが、歴史をたどると、人が考え、動くことで、少しずつ制度が整えられているんです。だから変えてはいけないものではない。小さい力ではあるけれど、私でも何かができる可能性があると思えたのは大きな収穫でした」
小学校で学ぶふうかさんから気づかされることもある。
ふうかさんは今、小学校4年生で、特別支援学級に通っているが、時々通常学級の子どもたちと同じ教室で学べるチャンスがあるという。
「いろんな人の意見が聞けて楽しいらしいんです。それに4年生にもなると、みなさんお口も達者になって、言い争いなどが起きるようで、あるときふうかが、クラスメートから“バカじゃないの”って言われたようなんです。
ショックを受けたのかと思ったら、“うれしかった!”って。乱暴な言葉なんだけど、自分に気を使わない、特別扱いをしないことがうれしかったって」
星野さんはそれを聞いて、“ハッ”とした。
「支援学級は手厚く、それぞれの子どもに合ったスピードでサポートしてくださるから、ありがたいんです。でも、ほかの世界を知る機会にはなかなか恵まれない。支援学級だと、先ほどのような口ゲンカにまで発展させないでしょうね。もちろんそれは大切なことなんです。
でも、娘のように少々のことではへこたれないガッツのある子にとっては、丁寧に守られない体験によって生じる喜びもあるのだということに気づかされました。と同時に親だけではできないことがあるんだな、というのも発見でした」
先ほど触れたインスタライブでもふうかさんは、「障がい(のあるなし)に関係なく、健常の子たちと一緒に授業を受けたい」と、インクルーシブ教育への希望を語っていた。
「そういう望みをふうかが持っているのならば、少しでも一緒に学べる時間が増えるように、学校の先生と相談しながら、彼女にとってよりよい学びの場をつくっていけたらと思っています」
本書の最後に、ふうかさんは、「10年後の自分へ」というタイトルで文章を書いている。テーマを考えたのはふうかさん。明るい未来を書いているのだが、では、星野さんが、もし同じタイトルで書くとしたら、どんな内容になるかを聞くと、次のような答えが返ってきた。
「彼女もコミュニケーション能力が高まったので、障がいの有無に関係なく、いろいろな子どもたちとの語り場ができないかなと思っているんです。勉強のことや思春期特有の心や身体の悩み、不安などを自由に話すことで、対処の仕方がわかったり、今、自分が何をすべきかという課題や目標も見えてきたりすると思うんです。
幸い、インスタグラムを通して知り合った中学生や高校生の先輩がいるので、そういう子と話せるプラットフォームをつくろうかと考えているところです」
本のタイトル『さいごにきみと笑うのだ』は、星野さんがもともと抱いていた希望の形だという。
「私は生きるって大変だと考えてきたほうなので、人生の最後は、“あー楽しかった”って言って終わりたいという思いがあったんです。ふうかと一緒に過ごす日常の中では時にケンカもあったりするけど、人生の最後を一緒に笑って迎えられたらいいなと思っています」
<取材・文/西所正道>

