
<WBC:台湾−日本>◇1次ラウンドC組◇6日◇東京ドーム
台湾代表の呉念庭内野手(32)が「あのシーン」の舞台にやって来た。
鹿児島で過ごした第一工大時代、13年の第3回WBCをテレビで観戦した。忘れられない試合がある。
「東京ドームでの台湾と日本の試合、すごく印象的でした。9回あと1球で台湾が勝つというところで、井端さんがセンター前に同点タイムリーを打って、そのシーンは今でも覚えています」
テレビで見た高校野球の甲子園大会に憧れ、高校で来日した。甲子園に出たい、プロ野球選手になりたい−。それに加えて。
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「いつか台湾代表として世界大会に出てみたいなという思いはおぼろげながらあったんですけど、あのWBCをテレビで見て、その気持ちが本当に強くなっていきました」
ドラフト指名され西武に入った。愛された。「ウーイング」という独特の応援スタイルも作ってもらった。呉念庭は西武の仲間たちのことはもちろん、熱い西武ファンたちのことも大好きだった。
そんな男が人目を気にせずに泣いている。23年12月、退団を決めた。いつか台湾でも野球をしたい−。年を重ね、その思いが濃くなっていた。
「監督やコーチをはじめ球団本部、スタッフ、裏方さんも本当にみんな優しく接してくれて、離れるのが本当に寂しくて…」
涙が止まらない。会見場の片隅には奥村社長ら球団幹部も立ち、呉念庭の姿を見守っていた。
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「日本に来て本当に良かったです。人生の半分が台湾、半分が日本。2つの架け橋というか、少しでも両方の良さを伝えられれば。いつかそういう仕事をしたいです。台湾と日本の仲をどんどん深められたら、それが一番うれしいです」
それが「会見用」の言葉でないことが1カ月後、分かった。記者宛に会社に届いた1通の年賀状。
「長い間大変お世話になりありがとうございました 今後もどうぞよろしくお願いします」
しっかりした日本語で書かれた、呉念庭からの“架け橋”だった。台湾に戻ってからも西武のこと、仲間のこと、日本のことを何かと気にしている。
人情家は故郷でさらに力をつけ、架け橋を渡ってきた。懐かしい背番号39に、何度となく勇気をくれた「加油!」の応援歌が響く。【西武担当=金子真仁】
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