
1996年末、スティーブ・ジョブズ氏はなぜAppleに戻ってきたのだろうか。
●ジョブズ氏の復帰はAppleのオブジェクト指向移行のスタートライン
この時期、MicrosoftがついにMacに迫る使い心地を実現したOS「Windows 95」を出荷したことで、Appleは勢いを失っていた。マウス操作で先行し、多くのクリエイターが愛用していたMacには当時、まだMacにしかないユニークでクリエイティブなアプリがたくさんあったが、それらが次々とWindowsへと移植されていた。ソフト開発者にとっても既に人気を確立したMacよりも、勢いよく増える新規顧客のWindowsユーザーの方が魅力的だった。
当時、アメリカで年に2回、東京で1回、「MacWorld Expo」というMac関連製品の展示会が行われていた。一時は無料エリアの通路にまでブースがあふれる活気があったが、1996年頃には出展取りやめが増え、展示エリアがスカスカに空き始めていた。
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この頃、Appleをもう1つ悩ませていたのが、同社の未来がかかった「Copland」という開発コード名の次世代Mac OSが何年経っても完成しなかったことだ。同社はCoplandの後にはAIベースのOS「Gershwin」(ユーザーが次に何をするかを予見して動作する)が控えており、最終的にはTaligentが開発するPink(TalOS)というOSに移行する構想を語っていた。
しかし、その第一歩で、21世紀のOSには不可欠とされていた安定した動作を支えるメモリ保護技術や、小さなプログラムをたくさん同時に動かす上で必須のプリエンプティブマルチタスク技術が完成せず、結局、Appleは自社開発を諦め、他社からこの技術を買ってくることにした。
Microsoftも含めいくつか候補があったが、筆頭候補はかつてジョブズ氏をAppleから追い出すのに一役買ったと言われるジャン・ルイ・ガセー氏という元Apple重役が作った「BeOS」だった。一方で、当時のApple最高経営責任者(CEO)のギル・アメリオ氏は水面下でジョブズ氏が率いるNeXTとも面会をしていた。
ジョブズ氏は1970年代にゼロックスで見て衝撃を受けたもう1つの技術、Smalltalkというソフトウェア環境が実現していた「オブジェクト指向」というソフトウェアのあり方こそが未来だと確信した。NeXTはそのオブジェクト指向を実践し、世界に広めるための会社であり、オブジェクト指向技術を実現するためにメモリ保護やプリエンプティブマルチタスクが必要だから、それを採用していた。
BeOSはどちらかというと、ホビイスト向けOSだった。これに対してNeXTは高価だったが安定動作など品質の高さで信頼を獲得しており、信頼第一の銀行などの大企業で実績を積んでいた(また当時、簡単にWebアプリ開発ができるWebObjectsという画期的技術もリリースしてちょうど注目を集め始めていた)。
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NeXTが重視していたのは「オブジェクト指向」という技術を一般に広めることだ。
実はジョブズ氏が不在の時代にAppleが求めていたOpenDoc、Taligent、Kaleidaなども、その本質はオブジェクト指向という技術の実現を目指していた。
オブジェクト指向というのが何かを説明しようとすると長くなるが、ジョブズ氏がAppleに復帰して数週間後、1997年1月のMacWorld Expoで語った説明がオブジェクト指向であるNeXTの技術に移行するメリットを非常に分かりやすく伝えている。
ジョブズ氏はOSを土台、アプリをその上に建て増すフロアとして、何階建てのアプリ(できることが多い優れたアプリ)を作れるかという比喩を使った。アプリは、OSの上の構造物だが、3階建て以上積み上げてしまうと負荷が大き過ぎて(複雑になり過ぎて)崩壊してしまうという前提だ。
「DOS(Windowsの前身のMS-DOSや、Apple IIが採用していたProDOS)は、土台として1階レベル、その上に複雑な構造物を積み上げようとしても作れるのはせいぜい4階建ての建物だ。これに対してMac OSはOSの格は1階建てだが、その上にToolboxがあった(今日で言うパソコンOS用APIの元祖のような存在)。このToolboxのおかげで、開発者は建物の5階から増築を始めることができた。そのためPageMakerなどのDOSでは提供できなかった複雑なアプリを提供できるようになった」
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しかし、1995年にライバルのMicrosoftもWindows 95を出し、条件はそろってしまう。
しかも、MicrosoftはWindows NTというOSを出し、これは土台の部分のOSが次世代仕様で2〜3階建ての土台になっているので、今、Appleは危機的な状況にいるとジョブズ氏は語った。
そこでNeXTの技術の登場となる。NeXTのOSは、MachというWindows NTに勝るとも劣らない基盤を持っており、その上に最も先進的なオブジェクト指向技術のOPENSTEPが乗っている。「このため、アプリ開発者は建物の20階からアプリを作り始めることができる」(ジョブズ氏)
ジョブズ氏流の自画自賛も入った大げさな表現にも思えるが、その後、このOPENSTEPがMac OS XやiOSへと進化し、iPhoneのヒットをきっかけに世界中で多くの人が数週間の勉強でアプリ開発者になり、少なからぬ人が大成功を収めた事実が、ある程度、この説を実証しているようにも思える。
●1種類の製品とBTOで多彩なニーズに応える
この1996年末のスティーブ・ジョブズ氏復帰から、Appleは驚くような快進撃を始める。
1997年、Appleの株価は一度、12ドルほどまで落ち込むが、夏にジョブズ氏が経営権を握ってからは財政状態が一気に好転し黒字が続く。当時、12ドルで買った1株は、その後、何度かの株式分割を経て、現在では900倍以上の1万1000ドル近い価値を持っている。この時期のジョブズ氏の意思決定はビジネス視点で非常に学ぶことが多いが、この記事ではAppleの製品のイノベーションだけに焦点を絞りたい。
当時、Appleの赤字の最大の原因は製品が多過ぎて大量の在庫を抱えていることだった。この問題を解決するため、Appleは一度、製造する製品をゼロにして再始動する。
その後、1997年秋に高いパフォーマンスを安価に提供することが期待されユーザーから熱望されていたプロ用デスクトップ機、「Power Macintosh G3」というたった1製品で事業を再始動した。
たった1製品でもあらゆるニーズに応えられるように、製品発表と同時にオンライン直販サイトの「Apple Store」を開設し、搭載メモリ容量やHDD容量などの構成を選んでオーダーできるCTO(またはBTO)をスタートさせた。
実はこれが同様のサービスを提供していた、Compaq Computerからヘッドハントしてきたティム・クック氏が手掛けた初の表に見える成果だった。
●レガシーフリームーブメントを先導
翌1998年、Appleはプロ用ノート型の「PowerBook G3」とコンシューマー用デスクトップ機の「iMac」を同時に発表した。それまでのパソコンと見た目が全く異なるiMacが世界的に大きな話題となり、大成功を収めたことは今さら語る必要はあるまい。
このiMacは、コンシューマー製品としてディスプレイと一体型で空冷ファンがないことが望ましいというジョブズ氏のこだわりで作られ、製品を開封してから3ステップでインターネットにつながる簡単さを売りにしていた。技術的にはそれに加えて、レガシーフリーと呼ばれる、パソコンの性能向上や使い勝手向上の足を引っ張っていた古い技術を一気に切り捨てた点でも注目に値する。
それまでのMacは、マウスやキーボードを接続するADB(Apple Desktop Bus)と呼ばれる端子、プリンタやFAXモデム(固定電話に接続する機械)を接続するシリアル端子、HDDやCD-ROMの接続に使われていたSCSI(スカジー)端子といった異なる種類の端子がたくさん付いていたが、iMacではこれらが全てUSBに集約された(FAXモデムは本体内蔵)。
レガシーフリーで特に大きかったのが、それまでソフトやデータを交換する際に日々使われていたFDDを廃止したことだった。
当時のソニー社員によれば、ジョブズ氏も最初はFDDの代わりに物理的にデータを手渡しできる方法が必要と考え、iMacにソニーのメモリースティックを搭載することも検討していたという。
しかし、最終的には既に電子メールも普及し始めていたこともあり、レガシーフリーであることを強調するためにも、あえてUSB以外の装備はなくす方向で決断したという。
さらにAppleは1999年、持ち歩けるiMacをコンセプトにした4つ目の製品「iBook」を発表。ここからしばらく、Appleはプロ用とコンシューマー用に、それぞれデスクトップ型とノート型という2×2=4種類の製品で全てのユーザーニーズを賄うことになる。
ちなみに、このiBook発表時、同時に発表されたのが無線LANルーターの「AirMac」だ(米国での商標はAirPort)。当時、既に携帯電話網を使った通信カードをパソコンに挿して、いつでもどこでもインターネットに接続できる技術は一般化していた。このため、アクセスポイント周辺でしか通信できないWi-Fiのメリットを理解できない人も多かった。
Wi-Fiの元になった技術はかなり古くからあり、1997年には2Mbpsで通信できるIEEE 802.11規格が発表されていたが、Appleはこれでは速度が遅いと考え、当時の家庭内ネットワークとほぼ同じ速さの11Mbpsで通信できる次の規格、IEEE 802.11bに照準を定めていた。
実はiBook発表のタイミングではIEEE 802.11b規格は正式に決まりきっていなかったが、暫定のIEEE 802.11bで製品化を行い、その後、ソフトウェアアップデートで正式なIEEE 802.11bにアップデートした。同年秋にWi-Fi製品の互換性と普及を推進する業界団体「Wi-Fiアライアンス」(当初はWECA)が誕生し、Wi-Fiの商標登録が行われたことからも、iBookはいわゆるWi-Fi機能を内蔵した最初の製品であると言っていい。
Appleの強みは、製品の仕様を自社で決められることにある。それ以外のメーカーでは、互換機能が多い方が満たせるニーズが広いため、いつまでも古い技術を引きずりたくなってしまう。
AppleはiMacやiBookで、前進するには古い技術を切り捨て新世代の技術へ移行することが大事だということを体現し、他の多くの会社にもインスピレーションを与えたのではなかろうか(もちろん、利用する側のユーザーが戸惑ったり困ったりする場面は多々あったが)。
●日本だけでなく世界でもノートPCが主流の時代へ
ジョブズ氏が製品を4種類だけに絞ったのは、4製品くらいなら全ての製品に専門の精鋭部隊を注ぎ込んで12〜20カ月に1回のペースで製品をアップデートできるという狙いもあった。実際、それ以後、AppleはiMacやiBookの新色モデルも含めると、かなり頻繁に新製品を発表し、それなりに話題になった。
「半透明でカラフル」という当時の製品イメージは、一度はつぶれかかったAppleが他社とは違った面白そうなことをやっているというポジティブな印象を与えるには良かったが、毎回カラーバリエーションを出すのは在庫管理が大変で、しかも色によって好き嫌いが分かれてユーザーを失ってしまう危険もあった。
2000年代に入ると、Appleは一気に逆振りでシンプルエレガントな製品を出し始める。
その第1弾として、ビジネス的に安定してきたAppleが、5種類目のMacとして「Power Mac G4 Cube」を発表した。ジョブズ氏肝入りの製品で一部から人気が高かったが、ビジネスとしては失敗し2代限りで消えた製品でもある。
翌年には、カラフルだったiBookから色を取り去り真っ白にしたiBook(Dual USBまたはSnow)モデルが登場している。
そして2001年には、Apple初の液晶ディスプレイ一体型デスクトップ機「iMac G4」が登場する。他社製品のように液晶の背面にパソコン本体をくっつけてしまうと、液晶ディスプレイの本来の強みである薄さが(当時の技術では)台無しになってしまうと考え、半球型の本体から伸びるステンレスアームの先にディスプレイを付けた他に類を見ない不思議な形状にたどり着いた(ひまわりからインスピレーションを得たという)。
日本では「大福」の愛称で親しまれているが、自分の目の前に置くとディスプレイだけが浮かんでいるような印象を与え、使っていて心地が良い。また、ほとんど負荷を感じず滑らかに意のままに好きな場所と好きな角度にディスプレイ位置を調整できる作り込みが、本当にすごかった。
そして、初代iBookの登場以降、実は大きな変化が起きていた。それまでパソコンは、価格の安さからデスクトップ型の方が主流だった。しかし、iBook登場後は、無線LAN(Wi-Fi)の快適さもあり、段々ノートPCのユーザーが増えていき、iBook(Dual USB)登場の頃にはほぼ半々になったと言われている(ただし、日本は元々、省スペースのためにノートPCの人気が高かった)。
一方で2000年から2001年頃は、1996年のWindows 95登場と1998年のiMac登場によるパソコンブームが一段落し、ドットコムバブルが弾け、パソコンの売上が少し落ち着いていた時期でもあった。
デジタル市場の関心は、パソコン本体から“ポストPC”と呼ばれるデジタルカメラ、音楽プレーヤー、カムコーダー、PDA(携帯型情報端末)といったものに移行しつつあると言われていた。
そのような中で、Appleは2001年1月にMacがそういったデジタル機器のハブになるというデジタルハブ構想を発表し、iTunes(当初は他社製の音楽プレイヤーに曲を転送する機能があった)を発表した。それから3カ月ほどでAppleも音楽プレイヤー市場に参入すべきかを検討して投入を決断。そこから何と半年でiPodを製品化してしまった。
●時代はポストPCへ
それまで、Appleの製品はパソコンしかなく、しかも主流であるWindowsではなく、こだわりを持ってMacを選ぶユーザーしかいなかったため、世界的には3〜5%ほどまでシェアが落ち込んでしまっていた。しかしiPodが出ると、これを使いたいというWindowsユーザーが続出し、他社からWindowsでiPodを使えるようにするソフトまで続々発売され始めた。
こうした状況を受け、2002年にAppleから正式なWindows版iPod(iPod for Windows)が登場すると、これが爆発的なヒットとなり、AppleはそれまでのMacだけを売っていた時代とはユーザー数が異なるビジネスをすることになる。
初期のiPodは、MacとFireWireというケーブルでつなぐだけで、充電と曲の転送やプレイリストの同期が同時にできたが、Windows PCは標準でFireWire端子を備えた製品が少なかった。そこで2003年の第3世代iPodからはFireWireの接続にも、USBの接続にも対応できる独自の端子を開発してUSB対応を始め、2005年には完全にUSBに移行している。
2005年には、それまで21年間のMacの累計出荷台数280万台を、販売開始から実質3年ほど(Windows版では2年ほど)のiPodがあっさり抜いてしまう。
このiPodの爆発的な成功が、Macユーザー以外にもAppleというブランドを広め、2007年発表のiPhoneが成功する足掛かりとなった。
2006年に創業30周年を迎えたAppleが「最初の30年は序章に過ぎなかった。2007年へようこそ」といって発表したのがiPhoneだったが、同製品には「iPodを出しているAppleの待望の携帯電話」として世界中から大きな注目が集まり、iPodの勢いすらも上回る速さで、エレクトロニクス製品市場で最も勢いよく売れた製品の記録を塗り替えた。
ジョブズ氏は年間10億台出荷する携帯電話市場の1%(つまり年間1000万台)を売りたいと言っていたが、現在、iPhoneは年間2億台近くが売れている。
2008年にアプリストアの「App Store」をオープンしたことで、世界中に多くのアプリ長者が誕生した。
また、2010年にタブレットの「iPad」が登場すると、iPadの販売初速はiPhoneを上回った。現在、iPadは生徒1人1端末を持つ日本のGIGAスクール構想でも、人気の端末となっている。
ただ、iPhoneとiPadに並々ならぬ情熱を注いでいたスティーブ・ジョブズ氏は2011年にiPad 2とApple新社屋「Apple Park」構想を発表した直後に惜しまれつつも逝去した。彼は晩年、Appleのパソコンメーカーとして始まったというレガシーを全て精算し、iPod、iPhone、iPadという非パソコンの製品を発表し、社名をApple Computerから、Computerの文字を取り、デジタル時代のライフスタイルブランド「Apple」に切り替えた上で、次の時代の改革をティム・クック氏に託した形になった。
●ウェアラブル製品でファッションとウェルネス分野へ
ティム・クックCEOは数字に強い経営者であるだけでなく、毎日朝4時前に起きては1時間以上ジムでトレーニングをする健康意識の高い経営者として知られている。
その影響もあるのか、それともたまたま時代がそうだったからか、クック氏時代のApple製品は、これまでのMac/iPhone/iPad/Apple TVなども引き継ぎながら、より身体に身近なウェアラブル製品が鍵となり始める。
最初に発表されたのは「Apple Watch」で、当初はiPhoneへの依存を軽減するための通知受信端末とフィットネスモニターの機能、そしてファッション性の3つを軸にしており、特に身に付ける製品ということもあって、まずは超高級モデルを用意して世界中のセレブに使ってもらったり、高級ファッション雑誌に取り上げてもらうことで、ガジェットっぽさを払拭した。
さらにその後、エルメスとのコラボモデルを作ったことで、他のスマートウォッチと異なりApple Watchだけはファッションアイテムとしても成立するという文脈をまずは作っていった。その上で一般向けモデルも普及させたのは、今考えるとうまい戦略だったのかもしれない。
そして、このApple Watchに元々フィットネス機能として搭載されていた心拍計が、世界中で多くの人の心拍異常発見につながり、Appleに「命が救われた」という感謝状が届いてからは、Appleは心電図や血中酸素濃度計測などの機能や、最新の医療研究の成果なども盛り込み、「命を守るスマートウォッチ」という新たな価値も構築し始めた。
このApple Watchに負けない勢いで世界に広まったのが、ワイヤレスイヤフォンの「AirPods」シリーズで、面倒なBluetoothのペアリング設定が不要で接続でき、MacからiPhoneといった機器間の切り替えも自然な「魔法のような体験」でユーザーを魅了した。
最近では、そこに聴力サポートやApple Watchなしでも測れる心拍機能などの健康機能、そしてiPhoneと連携させて利用するライブ翻訳などの機能も搭載し、画面を通さずに触れる現実世界をもデジタル技術で拡張しようとしている。
加えて現実の拡張と言えば、まだ成功した製品とは言えないが、他には類を見ない圧倒的体験で無視できない業界のリーダー製品の座を維持しているのが「Apple Vision Pro」だろう。
これがこのままの仕様、このままの価格で一般に普及することはないと思うが、圧倒的高品質なApple Vision Proがあるからこそ、高品質な拡張現実のアプリやコンテンツの開発が今から可能だ。これらが充実し、技術が追い付いてきたところで、より軽量で価格も手頃なスマートグラスが出てくるというのは、誰の目にも明らかなシナリオだ。
これらの製品が、私たちの心身の健康やAI時代の新しい働き方にどのような変化をもたらすかに期待が膨らむ。
●AI時代、Appleは再び原点に回帰する?
さて、ここで気になるのが、これから重要になるAI時代という大海原でAppleがどのように舵取りをするかだ。
現在、既にいくつか細かな機能を「Apple Intelligence」として提供しているAppleだが、2026年にはグーグルのGeminiを使って、もっと高度な情報提供を可能にするとうわさされている。しかし、Apple Intelligenceの戦略の本質は、ChatGPTと組んだことでも、Geminiと組んだことでもなく、ユーザーからどんな要望があったかを理解して、それを適材適所で異なるAIモデルに仕事を振り分ける大工の棟りょうのような設計にある。
実際、この2つ以外にもAppleの開発環境「Xcode」では、プログラムコード生成が得意なAnthropicの「Claude」と連携している。また簡単な質問に答えたり、単純な絵を描いたりといった用途では、Appleは自社開発したAIモデルに仕事を振っている。
このように特定のモデルに依存せず、常にその時点で最強のAIモデルと連携しながら、仕事を割り振ることで、Apple製品のユーザーは最強のAI体験を得られる。
そうやってAIサービスでの信頼を築きながら、Apple独自のAI技術を育て、ある時点でそちらの技術の方が他社よりも優秀になったら他社依存をやめて自社技術に切り替える。これはAppleが、これまでにもさまざまな技術で踏襲してきた手法だ。
AppleのAIアプローチで、もう1つ重要なのがローカルLLM志向、つまり、通信を使ってサーバにAI処理をさせるのではなく、iPhoneやiPad、Macといった製品内に完全なAI機能を内蔵し、よほどのことがない限り通信なしでAI処理を行うという方法だ。
既に現在もそのような設計になっているが、最近のApple製プロセッサはAI処理への最適化が進んでおり、特にM4以降のプロセッサでは、かなり高度なAI処理がMac単体で行えるようになってきた。
もちろん、他社もプライバシーの観点からローカルLLMを重視はしているが、Appleは会社の成り立ちやDNA的に、その方向を目指すというのが筆者の考えだ。
初代Apple Iが出た当時、既に世の中にはメインフレームという大型コンピュータが存在しており、1台のコンピュータを複数の人がネットワーク経由で利用していた。その一方で、政府や大企業が、こうしたコンピュータを使って人々の統計データを分析したり監視を強めたりしていた。
1970年代、カウンターカルチャー(対抗文化)で育ったスティーブ・ジョブズ氏らが生み出したApple IやApple IIなどは、そういった政府や大企業に対抗できる力を個人に与えようと、自分1人で占有できるコンピュータ「パーソナルコンピュータ」(PC)として誕生した。誰もが自分の意見や情報を出版できるDTPや、大企業でも個人でも同じように自分のページが持てるWebの文化もその延長線上にある。
翻って、今日主流のChatGPTやGemini、Claudeといったサービスは、一応、ユーザーを理解してあなただけのために作られた返答をしてくれるが、映画「her」(せかいでひとつの彼女)の人工知能のように、根っこでは1つのAIとしてつながっている。
こうしたモデルが導くのは、世界中の全ての人々がAIから均等にパワーをもらう同質な社会だ。同質の人が大勢いるから、不要な人もたくさん生まれてきてしまう(実際にはAIはサブスクリプションの料金によって差別をしてきそうだが)。
私はそうではなく、iPhone/iPad/Macに内蔵されたAIが「あなただけのAI」として成長する――つまり、ちゃんとあなたの秘密を守りながら、あなたの趣味嗜好(しこう)を深く理解し、あなたの個性に合わせて能力を伸ばしてくれる――そんな風になれば、人々の個性がより大事になり、みんなが必要とされるようになり、世の中はもっと豊かになるのではないかと思っている。
学生時代も含め、45年以上Appleを見てきた勘で書かせてもらうと、私はAppleが目指すAI社会は、こちら側ではないかと思っている。
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