【今週はこれを読め! ミステリー編】最も妙なクリスマス・ミステリー〜小松立人『そして物語のおわりに』

0

2026年05月01日 11:21  BOOK STAND

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

BOOK STAND

『そして物語のおわりに』小松 立人 東京創元社
『そして物語のおわりに』は、今までに書かれた最も妙なクリスマス・ミステリーである。
 そんなジャンルを正式に定義した人は寡聞にして知らないが、クリスマス当日をまたいで事件が起きるミステリーをそう呼んで差し支えないのではないかと思う。なぜかクリスマスはミステリーと縁の深い時期でもある。女王アガサ・クリスティーの新作はこの時期に刊行され「クリスマスにはクリスティーを」のコピーで売られていた。そのへんからなんとなく「クリスマスにはミステリーを」となったのではないかと思う。
 そのクリスティーの代表作にちなんだ題名の、『そして誰もいなくなるのか』(東京創元社)という長篇で小松立人は第33回鮎川哲也賞優秀賞を受賞し、作家デビューを果たした。これは一口で言えば変な小説だった。ある事件の犯人たちが事故で死亡する。なぜか彼らは事故から一週間前に戻され、決定的な瞬間までの日々を生き直すことになる。その間に一緒に猶予を貰った仲間の誰かを殺せば寿命を奪える。つまり、その分だけ長生きできるのである。案の定犠牲者が出て、誰かが自分の命を長らえるために仲間を殺していることがわかる。
 ご覧のとおり、元祖の『そして誰もいなくなった』(クリスティー文庫)とはまったく関係がない。クリスティーの長篇は、偽の招待状で孤島に集められた男女が、次々に殺されていくという内容で、いわゆる孤島ものの元祖と見なされることが多い。閉ざされた環境を作り出して、その中にいる人間に容疑者を限定することで犯人当ての興味を強化する趣向を、クローズド・サークルと呼ぶ。嵐の山荘、雪の山荘などと言われるものも同巧である。
 で、『そして物語のおわりに』だ。この小説は医学生の張田雅之が、友人の久郷一と共に小雨が降る中、海でボートを漕いでいる場面から始まる。なぜボートを漕いでいるのか。張田は居酒屋でアルバイトをしている。その店主である柏谷幸男の父親である高視は、クリスマス前後にその孤島にある屋敷に親族や知人を招いて、泊りがけでパーティーをするのを恒例行事にしている。そんな催しに付き合わされるのは気づまりだから、ということで幸男は知り合いである張田を招いたのだ。その張田に付き合ってやってきた久郷が遅刻をしたため、島までのチャーター船には乗り遅れてしまった。仕方なく二人は、近くの貸しボート屋から手漕ぎの舟を無理やり駆り出し、海を渡ってきた、というわけだ。
 冒頭の変な展開だけでこんなに字数を使ってしまった。この後に起きる事件と貸しボートの一件はほとんど関係がないから、今の説明は忘れてもらってかまわない。しかし、小説全体を鑑賞する上では結構大事なピースになっているので、プロローグもきちんと味わって読んでもらったほうがいいと思う。
 貸しボートでの渡海という無茶な行動に呆れられながらも二人は屋敷に迎え入れられ、無事に柏谷高視との対面を果たして晩餐をご馳走になる。その過程で、高視が実は不治の病に罹っていて余命幾許もない、という事実を知らされるのである。
 さて、ここまでが長い長い前置きである。このあと、一夜明けると屋敷内に変死体が見つかって、という定番の展開になる。お待たせしました。誰が殺されるのかは説明しなくていいだろう。ええと、複数死ぬ、ということだけは書いておくか。島から本土に渡る手段はなくなる。二人が乗っていた貸しボートも破壊されてしまい、借り賃を払っていた久郷は、いくら支払うことになるんだ、と青ざめる。
 島に囚われの身になった者たちが、自身に迫る危険に怯え、動揺する。それがいわゆる孤島ものの定石なのだが、本作は必ずしもそれに忠実ではない。視点人物の張田と久郷が人間関係の部外者であることも一つの理由だろう。実は、張田はミステリー・ファンである。屋敷の住人も同好の士であるらしく、書斎の一画に自身のベストセレクションを置いた棚を設けている。それを張田は見逃さない。久郷に対して滔々と解説する。

「ここに並んでる本は、これだけの冊数のベストセレクションだけあって、そうそうたる作品群だ。そして、その順位づけには高視さんの趣向が顕著に現れている。この三作品、『そして扉が閉ざされた』『斜め屋敷の犯罪』『時計館の殺人』は一般にも名作として知られているし、俺個人もそう思う。[......]ただ、この三作品に順位をつけるとしたら、人それぞれ違うだろうけど、『斜め屋敷の犯罪』や『時計館の殺人』が、『そして扉が閉ざされた』よりも、物理トリックを使用して大がかりだということは間違いない。[......]」

 などなどと。本欄の読者ならご理解いただけると思うが、作品内でこうしたミステリー談義が繰り広げられる場合は本筋と無関係ではない、というのが現代的な作法である。では、どのようにミステリー談義の部分は全体像に嵌めこまれることになるのだろうか。
 物語の中盤で謎解きが始まる。そこでは「クローズド・サークルの状況下で殺人が行われることのメリットとデメリット」についての考察も行われ、なかなかにマニア心をくすぐってくれる。なるほどな、と思って読んでいて、とんでもない一行にぶつかった。181ページのことである。えええ、と目が丸くなり、改めて、そうだ小松立人は一筋縄ではいかない小説の書き手だったんだ、と思い出した。
 この謎解きの後もまだまだページは残っているので、展開がさらに波乱含みであることは想像に難くない。それにしても181ページのそれは衝撃的だったな、などと感心しながら読み進めていくと、その推理に対してある登場人物がこういうことを言っていた。

「つまり----、物語の持つ威力に感動したというのか、説得力が凄いというのか、とにかく筋が通っていて破綻してないものには、反論出来ないってことだ。詭弁万歳ってとこだな」

 ここでは推理が物語に重ね合わされている。世界はさまざまに解釈が可能だ。一つの解釈が強力であれば、それは他を圧倒するだけの存在感を持つ。物語で物語を塗り替えるという要素が謎解きの小説には備わっている。そのことを作者は認識しているのだ。
 この台詞が発せられたあたりから、物語は『そして物語のおわりに』という題名の方へ吸い寄せられていく。漕ぎ手のいなくなったボートのように漂い、意外な場所へと漂着する。衝撃度で言えば、先に挙げた181ページの驚きの上を行くのではないか。こういうことを書きたかったのか、と得心したし、その言が広い範囲に及ぶであろうことも理解できた。たいしたことをするものだと思う。
 しかし、やっぱり変だ。小松立人、どうかこのまま変でいてもらいたい。
(杉江松恋)


『そして物語のおわりに』
著者:小松 立人
出版社:東京創元社
>>元の記事を見る

    前日のランキングへ

    ニュース設定