全日本ツーリングカー選手権第3、4戦のスポーツランドSUGOを戦ったSTP 圭市 シビック。土屋圭市がステアリングを握った モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1994年の全日本ツーリングカー選手権(JTCC)を戦った『STP圭市シビック』です。
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2.0リッター自然吸気(NA)エンジン搭載、主に4ドアセダンという“世界規格”のツーリングカーが覇を競った通称“JTCC”、全日本ツーリングカー選手権の1994年シーズン。
この年のJTCCに“ドリフトキング”こと土屋圭市は、『ホンダ・シビックフェリオ』で参戦することとなった。
土屋は、1993年、グループA規定最終年となるJTC時代の全日本ツーリングカー選手権において、チーム国光に所属。BNR32型のニッサン・スカイラインGT-Rを師と仰ぐチーム代表の高橋国光とともに操っていた。
そこから一転、1994年になるとチーム国光がル・マン24時間レース参戦プロジェクトの関連もあり、ホンダ陣営入りを果たす。それとともにチーム国光に所属する土屋は、当時のJTCCにおいてホンダの主力車であるシビックフェリオを操ることになった。
『STP 圭市 シビック』と名乗った土屋のシビックは、オートポリスで開催された開幕ラウンドはスキップし、第3/4戦スポーツランドSUGOラウンドから参戦を開始した。
そして、雨混じりのラウンドとなったSUGO戦。特に2レース目となる第4戦のレースで土屋が魅せる。第4戦はスタート時こそドライ路面で、ほぼ全車がスリックタイヤを履いていたものの、すぐに雨が降り出して徐々にウエットとなっていく難しいコンディションだった。
そんな状況の第4戦、土屋は第3戦の決勝結果から得た8番手グリッドからスタートし、他車がスピンなどで脱落していくなか、3番手まで順位を上げる。
だがしかし、その後に単独スピンなどもあり、22番手スタートから追い上げてきたニッサン・プリメーラをドライブする星野一義にパスされ、4番手にダウンしてしまう。それでも再び追い上げを開始した土屋と星野は、雨+スリックタイヤという条件下で大バトルを展開していく。
レースが残り10周を切った18周目、さらに雨が強まるなか、土屋は星野をオーバーテイクを敢行。土屋が星野を引き離しにかかり3位表彰台も狙える、かに思われた。しかし、土屋はSPコーナーで単独スピンを喫し、ガードレールにクラッシュしてしまう。幸いにもダメージは少なくレース復帰が叶い、4位でチェッカーを受けた。
次に土屋が上位へと進出したのは、筑波サーキットラウンドの2レース目となる第14戦でのことだ。
この筑波ラウンドもコンディションはウエットだった。特に1レース目の第13戦では、ヘビーレインとなりクラッシュが続出。2レース目の第14戦において、全30台中10台が出走を見合わせる事態に。
そんな大波乱の第13戦で生き残り、8位でチェッカーを受けた土屋は、第14戦を前戦の決勝結果より8番手グリッドを確保した。レース序盤、土屋はポジションを着実に上げて6番手につけると、トヨタ・コロナをドライブするトム・クリステンセンにパスされたところから15周以上に渡るバトルがスタートした。
ライバルの脱落などもあり、最終的に4番手争いとなったこのバトルは、最終周の最終コーナーで決着を見ることとなる。土屋がクリステンセンのわずかな隙をついてインに飛び込み、オーバーテイクを成功させたのだ。その結果、シーズン2度目の4位フィニッシュを記録した。
この1994年、ホンダが投入したシビックフェリオは、トヨタのコロナ、ニッサンのプリメーラ、BMWの318iといったライバルと比べて劣勢で、ホンダ陣営全体でも未勝利と低調な結果に終わる。そのような状態だったこともあり、土屋もこの4位がこのシーズンの最上位となった。
ただ、そんな劣勢下ながら、雨という難コンディションをものともしない“ドリキン”のドライビング、バトルテクニックが2度の上位入賞というリザルトをもたらしたのである。
[オートスポーツweb 2026年05月05日]