
ロックバンドT−BOLANのボーカリスト森友嵐士(60)がこのほど、日刊スポーツなどの取材に応じ、事実上の“解散”となる8月10日開催の“最初で最後”の日本武道館公演やメンバーへの思いなどを熱く語った。【聞き手=川田和博】
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森友嵐士(60)は、五味孝氏(60)上野博文(60)と、現在活動休止中の青木和義(59)との4人で「T−BOLAN」であることを強調した。
森友 17年から復活して、いろんな出来事があった。その中で今、青木は実家に下がっていますけど、青木との出会いがこの道を作った。T−BOLANというバンドは青木と出会い、五味とあるバンドで出会い、上野ともあるバンドで出会い、91年にこの4人のメンバーでデビューした。T−BOLANというバンドの扉を開いた。これが歴史の全部なんです。
今、リアルなステージに青木はいないけれど、僕たちの中には、やっぱり後ろで笑っている青木がいるし、一緒に作り上げてきている。今はサポートの(楠瀬)タクヤにその場所を守ってもらっているけど、振り返れば残像というか、やっぱりそこには青木がいるんです。だから、4人で1つ。その思いは今も変わらない。そういう気持ちでステージに立っています。
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振り返るにはまだ早いが、T−BOLANとして最も印象に残っていることを聞いた。
森友 いろんな側面がありますからね。今それを聞かれて、アマチュア時代が浮かんできた。
アマチュアの頃って、対バンなんですよね。自分たちを見に来てくれてるファンだけではないから、ライブをやっていて、とんでもないお客さんもいるわけです。表向きは強気で歌っていますよ。でも心の中では、折れそうな場面もいっぱいあった。
だけど僕のバンドには太陽があって。振り返って青木を見ると、こっちが折れそうなのに最高のスマイルなんです。あいつ、僕のこと大好きなんですよ。その大好きっていうエネルギーの表情とドラミングが、僕をチャージしてくれるんです。負けそうに、折れそうになった時に後ろを向いて青木を見ると、またバ〜ンとなってね。
アマチュアの頃って、プロになって自分たちだけのお客さんとやるのとは全然違って、勝負しているみたいなところがすごくあった。負けそうになったり、自信満々になったり、いろいろな感情があった。
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でも、それをバンドのメンバーで、みんなの力を合わせながら、支えてもらいながら、フロントに立っていたみたいなところがあるんです。
そういう場面ですよね、浮かんでくるのは。やっぱりね、うれしい時よりもきつかった時の方が、いっぱい覚えていますよね。
五味、上野についても語った。
森友 このメンバーでT−BOLANを始める時に、イメージみたいなものがあって、青木は太陽っていいましたけど、上野は月、五味はサーベルで、僕はナイフなんです。
五味は、生意気だし、挑発的だけど、例えばレコーディングやクリエーティブ面では、そういう関係性でいたい。ステージ上でも僕と対立しているぐらいだったし。青木はいった通り太陽で、青木とリズム隊の上野は月。お互いに関係し合うみたいな感じだった。
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もちろんメンバーにも話しているし、洗脳されていると思う。このメンバーで行くと決めたのは僕なんです。まず青木がいて、上野がいて、この3人がいる先に五味がいる。
T−BOLANでデビューする前にいろんなアマチュアの活動をやっていて、そのころ「バンドって一体何なんだろう」とか、いろいろ考えた時期もある。例えば、ミュージシャンとして素晴らしいメンバーだけが集まったら素晴らしいバンドなのかとか、本当に仲間が良くて、まだ楽器を持たない親友4人組がいて、じゃんけんしてボーカル、ギター、ベース、ドラムって決めるのもありなわけじゃない。バンドのあり方っていっぱいある。
僕は青木と出会った。バンドをやろうと決めた最初の出会いは、青木だった。青木のパワーに支えられていることを、すごく感じていた。
最終的にベストなバンドメンバーを考えた時、やっぱり青木がいて、青木が輝くためのベースが上野なんです。これが別の人だと青木が変わる。こういう関係性があるんです。
バンドって人なんですよね。音楽的なテクニカルさだけではない、夫婦みたいな関係性がある。それが1+1=2ではダメ。5にも、10にもならないとダメなんです。
そんな風に考えて、この4人になった。決して演奏がうまいバンドではない。だけど、僕が描くT−BOLANというバンド像としては、この4人が最高で、この4人じゃなきゃダメなんです。これははっきり、胸を張っていえます。この4人で正解だったと。(つづく)
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