
近年は喫茶店の倒産が多いが、1969年創業のサザコーヒー(茨城県ひたちなか市)の経営は順調だ。現在の年商は、喫茶業のサザコーヒー、コーヒー豆の卸業のサザコーヒーロースターの2社合わせて約25億円に達する。店舗数は16店(茨城県10店、首都圏の東京都・埼玉県に6店。5月30日時点)で、今年も都内で新店の出店を予定している。
【画像】年商25億円の茨城の喫茶チェーン「サザコーヒー」に学ぶ、地域密着型の差別化戦略
地方の喫茶チェーンが、なぜ半世紀以上にわたって支持を集められたのか。サザコーヒーを27歳の時に創業した鈴木誉志男氏(現会長)に、経営の原点と差別化戦略を聞いた。
●世界最高級のコーヒー豆を扱うが、実態は「街の喫茶店」
全国的な知名度はそこまで高くないが、サザコーヒーはコーヒー好きの間で知られた店だ。
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前編では、サザコーヒーが個人経営のチェーン店でありながら、世界最高額で取引されるコーヒー豆「パナマ ゲイシャ」(パナマ産のゲイシャ品種)を長年落札してきた話や、日本有数のバリスタを擁する横顔などを紹介した。
ただ同社の持ち味はそれだけではない。年商25億円にまでに成長した理由の一つとして、「喫茶店の居心地」を大切にしてきたことが挙げられる。
「ひたちなか市の本店では、都心の店にはない空間を大切にしています。例えば、この時期は中庭の緑がきれいでテラス席を好まれる方も多いです。来店された方にくつろいでいただけるよう、定期的に妻(前社長の美知子氏)が庭の掃除を行い、私は訪れる鳥に餌を与えています」(鈴木誉志男会長、以下発言は同氏)
テナントとして出店する他の店に比べて、土地も建物も自前の本店には創業者夫婦の思いが随所に込められている。その代表例が「茨城らしさ」だ。例えば、化粧室(トイレ)の手水鉢(ちょうずばち、洗面台の鉢)には県内特産の笠間焼を採用し、物販コーナーでは笠間焼の皿を販売している。
東京や埼玉での店舗展開を主導し、世界のコーヒー生産国に出向いて豆の調達も行う鈴木太郎社長(長男)も、「本店は両親の庭」と話すほどだ。
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「本店がある勝田地区は、現在のひたちなか市のうち旧勝田市にあたる地域です。日立製作所の関連施設が多く立地しており、技術者など知的好奇心の高い転勤者や移住者も少なくありません。そのため『よそ者が暮らしやすく、新しいモノ好き』の一面を持っています。私は『コーヒーは舌で味を楽しみながら、歴史や文化を思い描いて、脳内でも楽しむ飲み物』だと思っています。サザコーヒーはそうした方たちにも支えられてきました」
鈴木氏は、コーヒーを単なる嗜好(しこう)品ではなく、生産地の歴史や文化まで含めて楽しむ商品だと捉えている。
●「人気飲食店が持つ3要素」を大事に
店のこだわりについて、鈴木氏は「基本を大切にしてきた」とも話す。
「人気の飲食店には、(1)良い材料、(2)優れた調理技術、(3)お客さんを楽しませるホスピタリティがあります。当社もそれを目指してきました。ケーキは、茨城県産の素材を生産農家から直接仕入れて、本店近くの工房で開発しています。地元の果物をふんだんに使用するため、ケーキの原価率も高いです」
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取材日にも、さまざまなケーキが陳列ケースにあった。「サザのりんごタルト」のりんご、「モンブランタルト」の栗、「メロンショートケーキ」のメロン、「カステラショートケーキ」のいちご(各800円=取材時)はいずれも県内産だ。
「茨城県は、知る人ぞ知る農産物の宝庫です。鉾田(ほこた)市は日本一のメロン産地で、いちごの生産も盛んです。笠間市の栗も日本一の産地。りんごは大子町(だいごまち)が知られており、“茨城のコーヒー屋”として積極的に使ってきました」
接客にもこだわりがある。近年はカジュアルな服装で接客するカフェも増えているが、本店のスタッフはシャツやエプロンを着用し、落ち着いた雰囲気で来店客を迎える。この接客スタイルは前社長の美知子氏が重視してきたものだ。本店は年配客が中心だが、家族連れや親子の来店も多いため、幅広い世代が心地よく過ごせる接客を重視しているという。
本店には平日、土日を問わず多くの客が訪れる。しかし、実は茨城県は全国的に見て喫茶店利用が盛んな地域ではない。
2026年2月に発表された「2025年喫茶代支出額」(総務省家計調査、2人以上の世帯)の都道府県庁所在地ランキングでは、1位「名古屋市」(1万6431円)、2位「東京都区部」(1万6270円)、3位「岐阜市」(1万4633円)に対して、「水戸市」(ひたちなか市の隣に位置する)は「8864円」(26位)だった。全国平均(1万261円)よりも1400円ほど低い。
そんな土地柄で顧客を増やし、半世紀以上も人気店として営業してきたのが興味深い。
●映画館が経営不振となり、喫茶店を開業
1969年に「サザコーヒー」を開業するまでの経緯についても聞いてみた。
「店の前身は1942年に開業した映画館『勝田宝塚劇場』です。当時は戦時中で、物資増産地区として日立製作所水戸工場が新設され、工場の従業員を慰安する娯楽場所として誕生しました。建設主は東宝で、劇場の資材・建築費一切を日立製作所が負担。当時、日立の建築技師だった私の父・富治が建築を主導したのです。その後、戦後になって父が東宝から株式を取得して社長となり、昭和30年代に映画の全盛期を迎えますが、テレビの台頭により斜陽化。経営が悪化した際に私が隣の空き店舗をコーヒー屋にしました」
当時20代の鈴木氏は映画興行のプロデュース業務に携わった後、家業を手伝っていた。映画館の来場客向けにコーヒーを提供していたこともあり、新たな事業として喫茶店を開業したという。もっとも、開業時はコーヒー愛が強かったわけではなかった。
「喫茶店店主となってから関心が高まり、必死で学びました。柴田書店の季刊誌『喫茶店経営』を愛読して勉強し、借金をして喫茶店組合主催の南米コーヒー生産地の視察旅行に参加。焙煎機を購入して自家焙煎をスタートし、コーヒーを研究し続けました」
サザコーヒーを開業した時期は、日本でコーヒー文化が広がり始めた時期とも重なる。
「喫茶店の数は最盛期に比べて大幅に減りましたが、コーヒーの輸入量は約6倍になりました。飲食店だけでなく、自宅や職場などでコーヒーを飲む習慣が広がったためです」
実際、喫茶店の店舗数は「15万4630店」(1981年)から「5万8669店」(2021年)へと減少した(参照:全日本コーヒー協会「喫茶店の事業所数及び従業員数」)。一方、コーヒー生豆の輸入量は「6万9446トン」(1969年)から「40万9253トン」(2024年)へ増加している(参照:全日本コーヒー協会「日本のコーヒー生豆の国別輸入量・単価」「暦年別コーヒーの輸入数量」)。
喫茶店という業態は減少したものの、コーヒーそのものの需要は拡大した。そうした市場環境の変化も追い風となり、サザコーヒーは成長していった。
ちなみに、「サザ」という珍しい店名は、鈴木氏が茶道を学ぶ中で知った言葉「且座(さざ)喫茶」(さあ、座ってお茶を飲みなさい、という意味)に由来する。
●「地方のコーヒー屋が生き残るため」に差別化を続ける
「地方のコーヒー屋が生き残るために、いつも大手や他店との差別化を考えてきました」
その象徴が1997年に南米コロンビアで始めた自社農園「サザ農園」だ。現在は約25ヘクタール(東京ドーム5個分)の敷地で約8万本のコーヒー樹を栽培している。
創業後に何度も南米のコーヒー生産地を視察する中で、鈴木氏は「自社でも農園を保有したい」と考えるようになったという。
「農園取得は大きな投資でしたが、後年になって、人材育成の面で価値がありました。社員やバリスタが農園に行き、生産現場を自分の目で見ることで、コーヒーへの理解が深まり、接客や競技会などでも自信を持って説明できるようになりました」
しかし、その歩みは平たんではなかった。最初の誤算は2000年頃、現地の治安が急速に悪化し、農園がある地区を左翼ゲリラが掌握(事実上の内戦)。日本人が近寄れない状態が続き、実ったコーヒー豆も奪われた。
治安回復後に栽培を再開したものの、2009〜2010年頃にかけて中程度のエルニーニョ現象と同時に「さび病」(コーヒーの葉を枯らす糸状菌の病気)が大発生。当時植えていた品種「カツーラ」が病気に耐えきれず全滅し、その後の品種の植え替え模索中にもさび病の被害を受けた。農園はゲリラ被害を含めて3度にわたり、壊滅的な打撃を受けたという。
この危機を立て直したのが、現社長の鈴木太郎氏だ。同氏によれば、農園取得後には土地の所有権を巡るトラブルも発生したという。現地で法的手続きを進めて権利関係を整理するとともに、信頼できる管理人を自ら探し直し、農園運営体制を再構築。5ヘクタールだった農園も21ヘクタール(当時)まで拡大させた。
さらに東京農業大学で学んだ知識を生かし、病気に弱かった従来品種のカツーラの栽培を見直し、さび病への耐性が高い品種「カスティージョ」や、「ダビ」「ゲイシャ」といった品種への大規模な植え替えを断行。一連の決断が奏功し、コーヒー栽培は軌道に乗っていった。
長年の取り組みが実を結び、サザ農園は2017年10月にコロンビア・カウカ県で開催された「第1回 カウカコーヒー品評会(El major Cafe del Cauca 2017)」(コロンビア有数のコーヒー産地・カウカ県の優良生産者が参加する品評会)で優勝を果たした。現在も収穫した豆を日本へ輸入し、店舗や通販で販売している。
●「地元の偉人が飲んだコーヒー」を現代風に再現
もう一つの特徴的な差別化戦略として、独自の商品開発が挙げられる。その代表例が、2004年に発売した「将軍珈琲」(発売当時の商品名は「徳川将軍珈琲」)だ。同商品は、同社の看板商品「サザスペシャルブレンド」と並ぶ人気商品だという。
同社は以前から、地元の偉人や賢人が飲んだであろうコーヒーの味を再現する取り組みを続けてきた。
「コーヒー業界では産地や銘柄、農園別といった訴求が一般的です。しかし、『歴史上の人物が飲んだ』というストーリー性を加えることで、別の魅力を打ち出せると考えました」
こうした発想は、その後の商品開発にも生かされている。2022年には茨城県立歴史館と連携し、徳川光圀や渋沢栄一など、茨城ゆかりの人物をテーマにした商品「茨城ヒストリアカフェ」(1杯取りのドリップコーヒー×7種。1200円)を発売した。
「きっかけは、歴史館の山口やちゑ館長(当時。元茨城県副知事)から『県の歴史に関連したお土産品をつくりたい』と相談を受けたことです。当社は、看板商品の『将軍珈琲』など、これまでも歴史上の人物が飲んだであろうコーヒーの味を再現してきたので、複数の商品開発に取り掛かりました」
生産地にまで踏み込んだ農園経営に加え、歴史や文化を切り口にした商品開発も、サザコーヒーならではの差別化戦略といえる。
鈴木会長は、前編で紹介したように勝田信用組合(現・茨城県信用組合)の理事長をはじめ、ひたちなか商工会議所の会頭も務めた経験を持つ。地元経済界では名の知られた存在だが、自分は今でも「コーヒー屋の親父」だと語る。
「本店が混めば、今でも皿洗いを手伝います。会社が大きくなっても私も妻も“喫茶店のマスターとママ”なのです」
喫茶店の店舗数が減少を続ける中、サザコーヒーは、地域に根差した店づくりを土台に、生産地への投資や独自の商品開発を重ねながら事業を拡大してきた。地方の喫茶店でありながら差別化することで存在感を示す――。サザコーヒーの歩みは、喫茶店が生き残るための1つのモデルケースといえそうだ。
●著者紹介:高井 尚之(たかい・なおゆき/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)
日本実業出版社の編集者、花王の情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。出版社とメーカーでの組織人経験を生かし、企業の経営者や現場担当者の取材をし続ける。足で稼いだ企業事例・ブランド事例の分析は、講演・セミナーでも好評を博す。
「20年続く人気カフェづくりの本 ―茨城・勝田の名店『サザコーヒー』に学ぶ」(プレジデント社)、「なぜ、人はスガキヤに行くとホッとするのか?」(同)、「カフェと日本人」(講談社現代新書)、「『解』は己の中にあり」(講談社)、「日本カフェ興亡記」(日本経済新聞出版社)など著書多数。 E-Mail: k2takai@ymail.ne.jp
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