※イメージです ワールドカップでの日本サポーターによる後片付けが、また海外から称賛を集めています。
開催国アメリカの放送局「CBS」は番組「CBSイブニングニュース」で、一部の日本サポーターが青いビニール袋を手に試合後に客席のゴミ拾いをする様子を紹介。「殴り合う観光客とは正反対」と高く評価しました。
ゴミ拾いの様子は同番組の公式Xや、国際サッカー連盟(FIFA)の公式SNSでも紹介され、ネット上でも称賛の声が広がっています。
◆「礼儀正しい日本人」として褒められたいだけ?
「日本人は勝とうが負けようが相手に感謝の気持ちを持っている。それを大切にすることが次の戦いでツキを呼ぶと信じているから、座席をきれいにして帰る」
あるいは、大谷翔平選手が高校時代から続けていたゴミ拾いの習慣なども重なり、サポーターの行為に共感が集まるのでしょう。
確かに、ワールドカップやオリンピックなどの国際大会では、こうした一日一善的な振る舞いが毎回のように美談として報じられます。
しかし、果たしてそれはそこまで手放しで称賛されるべきことなのでしょうか。
少し挑発的に言えば、海外の人、もっと言えば欧米の白人社会から「礼儀正しい日本人」として褒められたいだけなのではないか。そんな疑問さえ湧いてきます。
なぜなら、海外で見せる美しい振る舞いと、国内での傍若無人な振る舞いとの間には、あまりにも大きな落差があるからです。
◆善行が日常生活と地続きになっていない“不気味さ”
Xではとあるユーザーが「世界的に見ても家庭での家事・育児への参画が少ない日本人男性が、ワールドカップという舞台でだけ熱心にゴミ拾いをする光景」に対し皮肉を込めて投稿し大きな反響を呼んでいました。
辛辣ですが、本質を突いた指摘でもあります。
なぜワールドカップやオリンピックになると、途端に外面が良くなるのか。ただゴミを拾うだけの行為に、わざわざ物語や精神性を付与し、世界に向けてアピールする。その背景には、どのようなセルフイメージがあるのでしょうか。
不気味なのは、その善行が日常生活と地続きになっているようには見えないことです。
夏の花火大会や渋谷のハロウィーンが終われば、街には大量のゴミが散乱します。観光地でのポイ捨てや迷惑行為も珍しくありません。
もしワールドカップでの後片付けを「日本人の美徳」として称賛するのであれば、それらもまた「日本人のだらしなさ」として引き受けなければ筋が通らないでしょう。
◆落差の背景にある日本人特有の心理
ワールドカップでは客席に塵ひとつ残さない国民が、ローカルな花火大会ではゴミを散らかして帰る。
どちらも同じ日本人です。にもかかわらず、なぜここまで極端な差が生まれるのでしょうか。
そこにあるのは、海外の目、とりわけ欧米からの評価を絶対的な尺度としてきた、日本人特有の心理ではないでしょうか。
国際大会は、スポーツを楽しむ場である以上に、「日本人とは素晴らしい民族である」と世界に宣伝する舞台として利用されている面がある。そう考えると、あの過剰なまでの後片付けにも説明がつきます。
そして、ひとたび「さすが日本人」という評価を得られれば、それで任務は完了です。同胞からどう見られようが、あるいは非欧米諸国からどう評価されようが、関心は薄い。
あの後片付けのプロのような一般サポーターたちの姿は、外面の良さを合理化した結果に過ぎないのかもしれません。
◆私たちが誇っているものの正体とは?
だから、これを単純な美談として受け取ることに抵抗を感じてしまうのです。
もちろん、ゴミを拾うこと自体は悪いことではありません。しかし、それが日常の倫理ではなく、「世界から褒められる日本人」という自己像を演出するための儀式になっているのだとしたら、話は別です。
報道やそれに対する反応を見ていると、そうした懸念を抱いてしまいます。
必要なのは、ワールドカップの客席だけをきれいにすることではありません。誰も見ていない場所でも、海外メディアが取り上げなくても、同じように振る舞えることです。
もしそうでないのなら、私たちが誇っているのは美徳ではなく、他者からの評価に怯えながら生きる、卑屈なナショナルイメージにすぎないのかもしれません。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4