藤浪晋太郎の「161球」から10年…「懲罰登板」は本当に転落の始まりだったのか

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2026年07月08日 06:40  ベースボールキング

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阪神時代の藤浪晋太郎 (C)Kyodo News
 2016年7月8日、甲子園球場――。あれから、ちょうど10年が経った。



 阪神の藤浪晋太郎は広島戦で161球を投げ切った。3回までに5失点。それでも当時の金本知憲監督は交代を告げず、22歳の若きエースに最後までマウンドを託した。



 試合後、金本監督は「今日は何球投げようが、何点取られようが最後まで投げさせるつもりだった」「(エースとしての)責任は感じてほしい。感じないといけないと思う」と采配の意図を説明。藤浪に自覚を促す狙いだったことを率直に語っている。



 その一方で、この登板は「懲罰采配」と受け止められ、大きな議論を呼んだ。そして10年が過ぎた今でも、「あの161球が藤浪を壊した」という声は少なくない。



 ところが、データを振り返ると話はそう単純ではない。



 161球を投げた2016年シーズン、藤浪はこの試合前まで14試合に登板し、防御率は3点台前半。与四球率は前年より悪化していたものの、150キロを超える直球の威力や奪三振能力は依然としてリーグ屈指だった。



 少なくとも、161球を投げた直後に一気に成績が崩れたわけではない。



 シーズン全体では26試合に登板し、防御率3.25、169イニング。奪三振率も9.37と高い数字を残しており、「161球を境に壊れた」と断定できるデータは見当たらない。



 むしろ、本格的な異変が表面化したのは翌2017年だった。



 与四球率はさらに悪化し、死球の頻度も急増。ストライクゾーンで勝負できず、自ら苦しい投球を招く場面が増えていく。フォーム修正を繰り返すたびに、本来のダイナミックな投球との距離は少しずつ広がっていった。



 もちろん、あの161球が全く無関係だったと言い切ることもできない。



 22歳という発展途上の投手にとって、あの日の肉体的、精神的な負荷は決して小さくなかったはずだ。



 藤浪自身も後年、この試合をたびたび振り返っている。2024年にスポーツ総合誌『Number』のインタビューでは、「トラウマではない」と前置きした上で、「あの試合は首脳陣が自分をどう見ていたかを象徴していた」と回想した。



 さらに、元阪神の北條史也氏のYouTubeチャンネルでは、「もしあの試合で一生投げられない体になっていたらどうしていたのか」「見世物、さらし者のように感じた」と、当時の率直な心境を明かしている。



 一方で、金本監督にも明確な考えがあった。



 金本監督は当時、「普通にやっておけば、もう10勝していてもおかしくない投手(※当時は4勝止まり)」と藤浪の能力を高く評価していた。期待が大きかったからこそ、あえて厳しい形で責任を求めた。そんな指揮官なりの親心も、あの采配にはあったのだろう。



 当時すでに、先発投手を100球前後で交代させる考え方は日本でも広まりつつあった。そんな中、22歳の投手に161球を託す采配は、当時でもファンの批判を集めた。



 では、藤浪を苦しめた真の原因は161球だったのか。おそらく答えは、それほど単純ではない。



 制球難の兆候はそれ以前から徐々に見え始めていた。フォームの試行錯誤、技術的な修正、精神的なプレッシャー、そして周囲からの期待――。さまざまな要素が積み重なり、長い苦闘へとつながっていった。



 161球は「原因」だったと断じることも、「無関係だった」と切り捨てることもできない。ただ一つ言えるのは、あの日が藤浪晋太郎という稀代の才能、そして投手育成や球数管理のあり方について、球界全体が考える契機となったことだ。







文=八木遊(やぎ・ゆう)

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