【視覚障害者と戦争】差別を受けながら戦争で役に立つことを求められ… 視覚障害者「今から考えたら馬鹿げた話」その思いを喜入友浩が取材【news23】

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2026年08月08日 15:28  TBS NEWS DIG

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TBS NEWS DIG

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戦争中に発売されたアメリカ軍の飛行機の音を収録したレコード「敵機爆音集」。当時、日本はこのレコードで敵の飛行機の爆音を覚えて、空襲に備えるよう国民に求めていました。戦時中「役立たず」と言われ、差別を受けてきた視覚障害者たち。しかし、戦争がはじまると、「耳がいいだろう」と戦争に役立つことを求められました。視覚障害者たちの記憶を喜入友浩キャスターが取材しました。

■24時間体制で敵機を監視した「防空監視哨」

栃木県鹿沼市。田畑に囲まれた自然豊かなこの町は、かつて、防空の最前線を担いました。今もその名残をとどめています。

「こちらが復元した『防空監視哨』です」

防空監視哨とは、太平洋戦争中、町に迫る敵の飛行機をいち早く察知し、報告するための施設です。

レーダーの開発に遅れをとっていた日本。頼ったのは、人間の目と耳でした。

市民に避難を呼びかけた空襲警報は、防空監視哨からの情報をもとに発令されていました。

鹿沼市の防空監視哨は、宇都宮や東京などを守るためだったといいます。

監視にあたったのは、主に10代後半の地元の青年。24時間体制で空を見張りました。

防空監視哨は、全国約2000か所に設置されていましたが、現存するものはほとんどなく、資料の大半も廃棄されています。

私たちはその実態を知る人を探しました。

■戦時下 国が“耳を鍛える”指示 解説付きのレコード「敵機爆音集」

ミカン栽培で有名な愛媛県八幡浜市。この地で監視にあたっていた人に話を聞くことができました。

井上為雄さん、98歳。当時は17歳でした。

元・防空監視哨員 井上為雄さん
「身に余るというか、光栄な話やな思って」

今でも大切にしているという手帳があります。敵味方問わず、あらゆる飛行機の図面を書き写し、必死に覚えたといいます。

元・防空監視哨員 井上為雄さん
「日本の飛行機でも、敵の飛行機でも、とにかく見逃しのないようにせないけんという気持ちが一番やったな」

実際に敵機を発見したこともあるそうです。

喜入友浩キャスター
「最初は目ですか?耳ですか?」

元・防空監視哨員 井上為雄さん
「やっぱり耳やな。爆音、爆音が先」

喜入キャスター
「その後はどうするんですか」

元・防空監視哨員 井上為雄さん
「方向が分かりますけんね。そっちを双眼鏡で探して」

当時の国の調査によると、目と耳、どちらで最初に飛行機に気づいたか聞いたところ、約8割の監視哨員が「最初は耳だった」と答えたといいます。

視覚が頼りにならない夜間の空襲も多く、国は耳を鍛えることを指示しました。

こうしたレコードも発売されています。その名も「敵機爆音集」。

「ボーイングB17D(爆音が流れる)」
「カーチスP40(爆音が流れる)」
(国立国会図書館 歴史的音源より)

機種や、高度ごとに飛行音や解説が録音されています。

■盲学校や国民学校でも「敵機を聞き分ける授業」

敵の飛行機を音で聞き分ける。戦況が悪化する中、これは国民全体にも求められました。

今でもその音を覚えている人がいます。

喜入キャスター
「当時のレコードの音があるので、一緒に聞いていただいてもいいですか」

視覚に障害がある 白畠庸さん
「これはB17ですか?」

喜入キャスター
「そうです。わかりますか」

視覚に障害がある 白畠庸さん
「重々しい音がしますよね」

京都府に住む、白畠庸さん、90歳。

幼い頃に視力を失った白畠さん。盲学校の音楽の授業で、あのレコードを聞かされたといいます。

視覚に障害がある 白畠庸さん
「『飛行機の音を聞かすからよく覚えとけ』と、蓄音機でかけて聞かせてくださいました」

喜入キャスター
「どんなことを思いましたか」

視覚に障害がある 白畠庸さん
「その頃はね、先生が言うことやから、そうせなあかんと思ったと思いますよ。嫌だとも思わなかったし」

当時、こうした授業は国民学校でも行われていました。

先生「この音はなんだ?」
生徒「カーチスホークP40であります」
先生「これは」
生徒「ボーイングB17であります」
(提供:神奈川県立図書館 / 「映画「戦ふ少国民」(1944年制作)より)

■「穀潰し」「役立たず」戦時下に追い込まれる視覚障害者

国民学校では、市民自らの避難に繋げるのが主な目的でしたが、盲学校では違いました。「防空監視」ができる人材を育成する狙いもあったとみられます。

「目の見えない人は、耳がいいだろう」。視覚障害者に白羽の矢が立てられたのです。

喜入キャスター
「そういう見方に関して当事者としてはどのように感じますか」

視覚に障害がある 白畠庸さん
「それは一理あると思います。なんか貢献したいとは思っていましたね」

長年、盲学校の教壇に立ち、視覚障害者の歴史を調べている岸博実さん。

戦時中、視覚障害者は戦力にならないとみなされ、社会から厳しい差別を受けていたと話します。

視覚障害者の歴史に詳しい 岸博実さん
「実際に『穀潰し』とか、『役立たず』という言葉を浴びてしまうことは、たくさん報告している方がいらっしゃいます」

国全体が戦争へと向かう中、障害者も「何かできないか」と追い込まれていきます。

「決戦だ 心のまなこは鉄壁だ」
「見えぬ目で 見えない敵を打破れ」

当時の点字新聞に掲載された、視覚障害者自身が戦争への決意を示す標語です。

視覚障害者の歴史に詳しい 岸博実さん
「(視覚障害者が)この戦争に何とかして参加する道はないのか、そういう気持ちは相当強かったと思われます」

■「そんなの聞いても…馬鹿げた話」友人の死で戦争への見方変わる

白畠さんも当初は戦争に貢献したいと思っていました。しかし9歳のとき、戦争への見方が変わる出来事がありました。

ある日、覚えた飛行機の音が聞こえ、急いで避難した白畠さんでしたが、一緒に逃げた友人には爆弾の破片が当たり、命を落とすことになったのです。

視覚に障害がある 白畠庸さん
「そんなの聞いて識別してみたって、もう(敵機が)そこまで来てるんですから、仕方がないじゃないすか。今から考えたら、馬鹿げた話だと思います」

■視覚障害者たちの戦争 動員された人の“思い”は

喜入キャスター:
戦時中、視覚障害者というのは非常に弱い立場に置かれていまして、音が聞こえても逃げるのが難しい。そして「役に立たない」と後ろ指を指されて戦争に参加するよう仕向けられた。その中で習得した、聞き分ける技術すらも役立たないという。非常に酷い時代だったと思います。

上村彩子キャスター:
目が見えない中で近づいてくる敵機の音に耳を澄ませる。その恐怖というのは、どれほどのものだったかと思います。

女性や子ども、そして障害者まで、何らかの形で誰もが戦争に関わることが当然となっていた。その当時の切迫さを改めて感じました

喜入キャスター:
その中で、視覚障害者の戦争参加というのは、「美談」として利用されていくんです。

実際に防空監視の任務についた視覚障害者の男性はこのように話しています。

「また、あんな時代が来るならば、その前にこの世を去ってしまいたい」

そこには差別に押しつぶされて、負い目を感じながら、戦争に参加せざるをえなかった悔しさ、悲しさが表れていると思います。

戦時中はこんなにも残酷な形で差別が作用したということを忘れてはいけないと思います。

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