1980年F1第1戦アルゼンチンGP F1デビュー戦を迎えたアラン・プロスト(マクラーレン) F1王者に輝いたドライバーたちのF1デビュー戦、F1初勝利を振り返る連載企画『F1王者たちのデビュー戦と初優勝の物語』を全4回でお届け。最終回/第4回目となる今回は、戴冠4回のアラン・プロスト、セバスチャン・ベッテル、マックス・フェルスタッペンという3名の軌跡を振り返る。
■アラン・プロスト(1985/1986/1989/1993年王者)のF1デビューレース
・大会:1980年第1戦アルゼンチンGP
・出走チーム:マクラーレン・フォード
・予選:12番手
・決勝:6位
14歳のときに家族との旅行先でカートと出会ったアラン・プロストは、15歳のときに自分で貯めたお金で買ったカートでレースを始めた。才能はまもなく開花し、優秀な成績を収めるプロストに目を付けたフランス国営石油会社エルフ・アキテーヌが強力な支援を開始する。プロストの四輪レースデビューは20歳過ぎだったが、フォーミュラ・ルノー、フランスF3、ヨーロッパF3でいずれも王座に就いた。
これを受けてプロストの元にはブラバムやマクラーレンから話が持ち込まれ、マクラーレンでは1979年11月にフランスのポール・リカールでテストの機会が与えられた。レギュラードライバーだったジョン・ワトソンのタイムを上回る走り見せたため、マクラーレンのチーム代表だったテディ・メイヤーが契約書を取り出してその場でプロストにサインを迫ったという逸話もある。
当時のマクラーレンは低迷期でタイトルを争えるようなクルマを用意できていたわけではない。それでも彼はデビューレースとなった1980年第1戦アルゼンチンGPにおいて予選はもちろん、真夏の猛烈な暑さの中で実施された決勝でも十分以上の成績を残した。「クルマはまるで固い氷の上を走っているようでグリップがなかった。ウイリアムズ、リジェ、ブラバムといったトップチーム、経験豊富なドライバーとも競い合えなかった」とプロスト。
「このコースでは多くのインシデントが起こるのは明らかだったし、実際にそうなった。僕のプランはそうような状況のなかでできるだけ速く、しかし慎重に運転することだった」と付け加えた。24台出走で完走は7台のみ。プロスト自身もトップから1周後れだったが、6位入賞で最後のチャンピオンシップポイントを手に入れた。
■アラン・プロストのF1初優勝
・大会:1981年第8戦フランスGP
・出走チーム:ルノー
・予選3番手
プロストはマクラーレンに早い時期から見切りをつけていた。クルマは戦闘力だけでなく信頼性も低く、チーム傾きかけていたからだ。1980年第3戦南アフリカGP予選では、『M29C』のフロントサスペンションが走行中に壊れクラッシュし左手首骨折。第13戦カナダGP決勝では、『M30』のリヤサスペンショントラブルでリタイア。最終戦アメリカ東GPは予選でサスペンショントラブルによる衝突事故で脳震盪となり病院行き。プロストはチームへの不信感から決勝出走を拒否した。
プロストはマクラーレンと複数年契約を結んでいたが、旧体制と結んだ契約はロン・デニス率いる新体制では無効との法的解釈を突き付けて1年限りで破棄。こうしてプロストは、ターボエンジンを早くから搭載し、すでに勝利を挙げ、好条件で誘ってくれた母国のルノーと1981年より契約を結んだ。ただし予選では速さを見せるも、シーズン前半戦で目立ったのは1981年第3戦アルゼンチンGPの3位表彰台。接触事故やスピンアウト、ギヤボックスやクラッチ、エンジンのトラブルでリタイアが続いた。そうしたなかで母国グランプリである第8戦フランスGPを迎えた。
開催地はプロストの生まれ故郷から直線距離で約200キロ、クルマで約3時間のディジョン。予選のプロストはジョン・ワトソン(マクラーレン・フォード)と同タイムで3番手。決勝(80周)はネルソン・ピケ(ブラバム・フォード)スタートからレースを支配、しかし58周を消化した時点でサーキットを猛烈な嵐が襲い赤旗中断となる。2回目のスタートでピケが出遅れた結果、プロストがトップに立ち見事な逆転優勝を飾った。
「これまでも勝てると思っていたけど、これでようやく勝てると分かった」と、プロストは胸を張った。
■セバスチャン・ベッテル(2010〜2013年王者)のF1デビューレース
・大会:2007年第7戦アメリカGP
・出走チーム:BMWザウバー
・予選:7番手
・決勝:8位
カートレースで経験と実績を積んでいたベッテルは、レッドブル・ジュニアチームが存在しなかった1998年からレッドブルの支援を受けていた。2004年ADAC フォーミュラBMW(ドイツ)王者、2005年F3マカオGP3位、2006年ヨーロッパF3選手権2位と好結果を残していた彼に、BMWザウバーが興味を示した。BMWザウバーはレッドブルからベッテルを借り受け、2006〜2007年シーズンのサードドライバーとして金曜フリー走行に起用し、じっくりとF1経験を積ませた。
転機となったのは2007年第6戦カナダGP。BMWザウバーのロバート・クビサが決勝で大事故に遭い、連戦となる第7戦アメリカGPでFIA国際自動車連盟の医師団は医学的見地からクビサに出走許可を与えなかった。こうしてチームに帯同していたベッテルにF1実戦デビューの機会が訪れた。
初めての予選で7番グリッドを獲得し、「Q3へ進出できただけでも大きな一歩」とベッテル。ただし決勝ではスタートで出遅れ、ターン1では前のクルマへの追突を避けようとしてコースオフ、芝生の上を走行して11番手へ落ちた。「順位を挽回しようとブレーキを遅らせすぎた」とミスを振り返った。
それでもチームメイトのニック・ハイドフェルドの油圧トラブルなどで徐々に順位を上げ、レース終盤にはマーク・ウエーバー(レッドブル・ルノー)を激しく追い詰める8番手争い。残り5周、ニコ・ロズベルグ(ウイリアムズ・トヨタ)がエンジントラブルでリタイアしたことで、ベッテルは8位でチェッカーを受け、初レースで入賞を飾った。「夢のようだ。これからもレースを続けたいね」と喜びを語った。
■セバスチャン・ベッテルのF1初優勝
・大会:2008年第14戦イタリアGP
・出走チーム:トロロッソ・フェラーリ
・予選:ポールポジション
2007年第7戦アメリカGPで好成績を残したベッテルに対し、レッドブルは第11戦ハンガリーGPからジュニアチームであるスクーデリア・トロロッソ(当時はフェラーリエンジン)のシートを用意した。BMWザウバーと彼の契約も支障なく解消できたからだ。2008年もシートを確約されていたベッテルは、シーズン序盤こそリタイア続きだったものの、シーズン中盤は着実に入賞を重ねた。
迎えた2008年第14戦イタリアGPは激しい雨に見舞われた予選で、チームのタイヤ選択も当たり史上最年少(21歳73日)ポールポジションを獲得した。決勝は全車両エクストリームウェットタイヤ装着義務、セーフティカー(SC)先導によるスタートに。2周終了時点でSCが退去すると、ベッテルはクリーンな視界を活かして後続を徐々に引き離した。
2回のピットストップも無難にこなし、2回目のピットストップでは水量の減った路面に合わせて絶好のタイミングでスタンダートウエットタイヤへ履き替え、レース終盤はペースを落として安全運転。こうして本家レッドブル・レーシングよりも早い優勝をレッドブル・ファミリーにもたらし、ベッテル自身は当時の史上最年少優勝を、21歳74日/F1参戦22戦目で手にした。
「言葉が出ないよ。本当に信じられない週末だ。ポールポジションだけでも信じられなかったのに、レースでも優勝できた。僕たちは今日、完璧な戦略を実行した。表彰台から見た光景、そしてファンの歓声は一生忘れない。人生で最高の日だ」とベッテルは記者会見で喜びを語った。
■マックス・フェルスタッペン(2021〜2024年王者)のF1デビューレース
・大会:2015年第1戦オーストラリアGP
・出走チーム:トロロッソ・ルノー
・予選:12番手
・決勝:リタイア(エンジン)
カートレース時代のフェルスタッペンは、オランダ、ベルギー、ヨーロッパそして世界でも圧倒的な戦績を残した。四輪レース転向後は2014年の米国フロリダウインターシリーズを手始めに、ヨーロッパF3で10勝を挙げて選手権3位に就いた。同年8月にはレッドブルジュニアチーム入り、16歳10カ月の時点で2015年のトロロッソ入りが相次いで発表され、シーズン終盤にはトロロッソのフライデードライバーとして起用された。
ただし、2015年の17歳165日という史上最年少でのF1デビューは物議を醸した。ジュニアフォーミュラの経験がわずか1シーズンと少なく、一般公道の自動車運転免許を持たない、として懸念を示す関係者は少なくなかった。しかし、当時のFIA規則にはフェルスタッペンへのスーパーライセンス発給と、F1昇格を阻む条項は存在しなかった。
周囲の心配をよそにF1デビュー戦の予選の結果は、Q3進出には至らずも12番手と本家レッドブルレーシングのダニール・クビアトを上回った。決勝ではミディアムタイヤでスタートしながら、ソフトタイヤを履く周囲のライバルと互角のペースを維持。一時は6番手まで浮上するも、エンジントラブルでリタイアとなった。
「スタート前はまったく緊張しなかった。ミディアムタイヤでのレースペースは非常に良かった。6、7位でレースを終えられたかもしれないが、リタイアしたのは技術的な問題で自分のせいではない。僕らの目標はコンストラクターズ選手権5位で、まずはポイントを獲得しないといけない」とレース後にフェルスタッペンは語った。
■マックス・フェルスタッペンのF1初優勝
・大会:2016年第5戦スペインGP
・出走チーム:レッドブル・タグホイヤー
・予選:4番手
ルーキーながら10度の入賞で2015年選手権12位となったフェルスタッペンは、2016年第1戦もトロロッソで走った。とはいえ、第5戦スペインGPから彼はクビアトに代わりレッドブル・レーシングへ緊急昇格。この人事異動については、チームメイトを組むカルロス・サインツとフェルスタッペンの父親同士の関係悪化、ライバルチームによる水面下でのフェルスタッペン引き抜き、クビアト自身のパフォーマンス不足が原因とされる。
レッドブル・レーシングで当時チーム代表を務めていたクリスチャン・ホーナーは、この人事異動を時期尚早と反対。一方、レッドブル・ジュニアチームを率いるヘルムート・マルコは、強くドライバー入れ替えを推進して結果的に判断が正しかったと証明された。
決勝はフロントロウを占める2台のメルセデスが1周目に同士討ち。これでレッドブルの2台とフェラーリの2台による熱戦へ。明暗を分けたのはピットストップ戦略。チームメイトのダニエル・リカルドは3ストップを選んだが渋滞に捕まり4位。同じ3ストップのベッテル(フェラーリ)は3位。レース終盤は2ストップを選んだふたりの争いとなり、キミ・ライコネン(フェラーリ)から容赦ないプレッシャーを受けつつもフェルスタッペンが0.601秒差で逃げ切った。
ベッテルの記録を塗り替える最年少優勝(18歳227日)、F1参戦24戦目で優勝を飾ったフェルスタッペンは、「本当に素晴らしい気分。レースではスピードとともにタイヤマネジメントにも専念した。僕たちは最善の戦略を採ったと思う。最後のスティントではキミから猛烈なプレッシャーを受けたが、オーバーテイクは難しいので自分がミスしないよう専念した」と記者会見で話していた。
(執筆:石井功次郎)
[オートスポーツweb 2026年08月18日]