
Text by 齊藤大介
愛する相手の過去に、想像もしなかった衝撃の秘密があったら——。
ゼンデイヤ&ロバート・パティンソン主演、A24製作の映画『ドラマなふたり』は、結婚を控えたカップルの関係が、思いがけない告白によって危機にさらされる物語。親密な関係のなかに突如生まれた疑念から、愛と理性、他者を理解することの限界を見つめる作品だ。
監督・脚本は、『シック・オブ・マイセルフ』(2022年)『ドリーム・シナリオ』(2023年)のクリストファー・ボルグリ。パーソナルな視点から独創的な物語を編み出してきた鬼才が、ラブストーリーとブラックコメディの融合から描き出したのは、現代社会に横たわる倫理とコミュニケーションの問題だ。果たして私たちは、互いの価値観や倫理観を、ほんとうに素直に語り合えているのだろうか?
物語の着想と脚本の変遷、ゼンデイヤ&パティンソンとの共同作業について、ボルグリにじっくりと話を聞いた。
―はじめに、本作の出発点をお聞かせください。カップルの秘密が明かされ、愛情に危機が訪れるというストーリーをどのように着想したのでしょうか。
クリストファー・ボルグリ (以下、ボルグリ):アイデアは断片的に浮かんでくるので、出発点を明確にたどるのは難しいですが……、この企画が生まれた頃を思い出すと、恋に落ちたあと、自分が別人になったように感じたことがありました。脆くなり、判断を誤り、思考があいまいになった。相手のことで頭がいっぱいになり、どうすればその魔法が解けるのかがわからなくなってしまったんです。
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―断片的なアイデアから始まったということで、脚本の完成までには試行錯誤を繰り返したのでしょうか。
ボルグリ:はい。今回は「映画」としての明確なイメージをなかなか持てない、難しい創作でした。劇中で生じるジレンマや問題は理解しているつもりでしたが、「これなら映画になる」と感じられるまでに、何度も脚本を書き直す必要があったのです。
過去には、脚本を書き始めてすぐ、明確なイメージを直感的に抱けた作品もありました。しかしこの作品は、当初は映画よりも小説に近く、あまりにも規模が大きかった。エマが幼少時から大人になるまでの経緯をすべて描いていましたが、映画の構造に収めるため、長い年月をカットする必要があったんです。映画としてのかたちは、執筆を進めるなかで自然と現れてきた。そのかたちを見極めるまでに時間がかかった、大変な脚本でした。
クリストファー・ボルグリ。1985年、ノルウェー、オスロ生まれ。『シック・オブ・マイセルフ』(2022)が、2022年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品されて高い評価を受け、世界各国の映画祭でも上映される。同作を観たプロデューサーのラース・クヌードセンとアリ・アスターもボルグリの才能に衝撃を受け、続く『ドリーム・シナリオ』(2023) をA24のもとで製作しプロデューサーを務める。同作で主人公の大学教授を演じたニコラス・ケイジが、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされる。
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ボルグリ:僕はきっと、エマの味方をすること自体をひとつの挑戦にしたいと思ったのでしょう。
さまざまな映画やテレビドラマ、小説をとお して、僕たちはトラウマを題材とした物語をたくさん知っています。不当な扱いを受けたり、ひどい目に遭ったりしたことから傷が生まれ、その傷によってとんでもない行動が引き起こされる——そうした明確な因果によって、僕たちはその人物を理解できたように考えるのです。
しかしそれは、人間がそなえる「悪の資質」についての、ごく単純で限られた理解だと思います。「悪の資質」とは、多くの映画で描かれているよりも、僕たち全員にとってもう少し身近なものではないかと、少なくとも僕は考えている。
ボルグリ:だからこそ、「こんなトラウマがあったから、彼女はこうなったんだ」というありきたりな描き方はしたくないと思いました。むしろ、オンラインの情報や周囲の文化を通してひどい考えに身をさらし、ほとんど己の手で自分を悪に変えたような人物としてエマを描きたかったんです。自分を導いてくれる人がいないまま、ある種の魅力にひきつけられたことで歪んでしまった人に。
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エマはなぜ、多くの人が倫理に反すると感じるような行動を思いついたのか……僕たちがその答えを知ることはありません。それは本人にさえわかっていないことだし、この映画がすべてを知っているわけでもないから。
―脚本はキャスティング以前に書かれていたそうですが、ゼンデイヤとロバート・パティンソンの起用後に修正したところはありましたか。
ボルグリ:はい。どの作品でもそうしているように、少しだけ書き直しました。ささいなセリフから人物の背景まで、僕はあらゆることを役者たちと一緒に調整し、磨き上げています。優れたアイデアやセンス、直感を持った方々と協力できる機会が多いので、みなさんの才能や発想を活かして、ともに映画を洗練し、よりよいものにしたいのです。
僕はいつも、脚本・演出・編集のすべてを開かれたプロセスだと考えています。撮影が始まるまで執筆を続けることも、脚本の面では重要なこと。どの作品でも自然にそうなっています。
―本作の場合、俳優との共同作業を通じて、どんな具体的な変化がありましたか。
ボルグリ:細部まで正確に思い出すのは難しいですが、リハーサルを通じて多くのセリフを練り直しました。たとえば、結婚式でチャーリーがスピーチをする場面は、僕とロブ(ロバート・パティンソン)で、ほとんどゼロから脚本を作り直したように思います。あのシーンを彼は非常に大切にしていて、大きな力を注いでくれました。
ボルグリ:ゼンデイヤは、10代のエマの背景を築きあげる手助けをしてくれました。彼女自身が、アメリカ人女性のティーンエイジャーとして経験したことを役に重ねながら考えてくれた。脚本に取り入れた彼女のアイデアは、まさに贈り物だったように思います。
ロブとゼンデイヤには、「ふたりの接し方はどこできつくなり、どこで優しくなるのか、互いに口論のなかでどんな反応をするのか」という考えと直感がそれぞれありました。「これはやり過ぎなのか、まだ足りないのか」と議論を重ねることで、脚本を検証していった。たとえ大きな発見がなくとも、良いアイデアを取り入れ、さまざまなニュアンスを改善したことで、登場人物と脚本がより強化されたと思います。
―この映画は、ある意味で現代の倫理とコミュニケーションを描いています。SNSの時代になり、人々は倫理について語り合いやすくなったように見えます。しかし、実際にはお互いの立場を厳しく監視していて、本当の考えや、倫理観について率直に話すことはむしろ難しくなっている。本作はこのような社会の空気をみごとに捉えていると思いますが、監督自身はどのように考えていますか。
ボルグリ:僕は「黄金律」を信じています。それは、自分が接してほしいように、他人にも接するべきだという考え方。あたかも自分自身は潔白であるかのように、他人を過度に裁いてはいけない——「罪のない者だけが石を投げよ」といった、とても古くからある考え方です。
道徳的なグレーゾーンや、文化的な「オバートンの窓」※——社会的に許容される言説の範疇——の内側にとどまることについて探究するのは、非常に繊細な領域です。僕がそのことに惹かれるのは、僕たちはもっと人間性について話し合わなければいけないと感じているからでしょう。
僕たち人間は、生まれ持った性質と、育ってきた環境の両方によってかたちづくられています。精神的な複雑さや、物事の考え方や感じ方、欲望のかたちを自分の意思で選んだわけではない。もちろん、善い行動をしようと努める責任は誰にでもあるもので、当然ながら他者を傷つけてはいけない。「黄金律」も、まさにそのことを語っているのです。
ボルグリ:しかし、人間として生きることがいかに困難か、また過ちを犯すことがいかに容易いかということについて、一定の共感や理解は必要だと思います。おそらくは誰もが、それぞれの犯した過ち以上に大きな存在です。我々はみな不完全で、それでもよりよい人間になろうとしているのだと、率直に認めることがもっと許されるべきでしょう。
もしも社会全体が、他人に対してもう少し批判的でなくなり、懲罰的でなくなれば、こうした問題を深く考えることはもっとかんたんになるのかもしれません。どうすれば誰もがよりよい存在になり、互いに助け合えるのかということを、もっと思慮深く考えることができれば。そして、誰もが偉大さや愛の資質を持つ一方、悪の資質もそなえているのだと捉えることができれば……。
これは本当に難しい質問です。僕はただのフィルムメイカーで、演説家ではないので、「こう生きろ、こう振る舞え」と説きたいわけではありません。ただ、自分の意見があって、自分なりの関心と視点から、あらゆることを探究する映画を作っているのです。僕自身としては、人間心理の細やかさと複雑さを、文化のレベルでもっと理解する必要があると考えています。

