合意30年、返らぬ「普天間」=県民ににじむ不信と疲労―沖縄知事選、8回目の選択

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2026年09月12日 07:31  時事通信社

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時事通信社

米軍普天間飛行場の滑走路の誘導灯を指す上大謝名自治会長の大城ちえ子さん=8日、沖縄県宜野湾市
 米軍普天間飛行場の返還合意から8回目となる沖縄県知事選が13日、投開票される。日米合意から30年。沖縄の基地負担軽減の目玉だった普天間返還には県内移設の条件が付され、この間の知事選は県内移設を受け入れるかどうかが争点であり続けた。返還の見通しがいまだに立たない中、米公文書からは新たな「返還条件」の存在も浮かんでおり、県民の顔には不信と疲労がにじむ。

 沖縄本島中部の普天間飛行場の滑走路進入コースの直下に位置する宜野湾市上大謝名。離着陸する戦闘機や輸送機が頭上を飛び交い、昼夜を問わずごう音が鳴り響く。自治会長の大城ちえ子さん(72)は「子どもたちの上を米軍機が飛ぶたびに返還してほしいという思いが強まる。なぜこの状況が放置されているのか」と嘆息する。

 当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使が普天間飛行場の返還を発表したのは1996年だった。大城さんは公民館でニュースを知り、仲間と万歳して喜んだことを鮮明に覚えている。

 しかし、返還は本島北部の名護市辺野古への移設という条件付きだった。「沖縄に米軍基地をこれ以上押し付けるな」と反対運動が盛り上がり、返還に向けた動きは遅々として進まなかった。大城さんも早期返還を願いつつ、「同じ苦しみを名護の人たちに味わわせていいのか」と葛藤した。

 2004年には「世界一危険」と言われた普天間飛行場の現実を突き付けられた。同飛行場に隣接する沖縄国際大に大型ヘリが墜落。前日に高校生の息子を大学の図書館に迎えに行ったばかりだった大城さんは「ぞっとした」。自分たちの暮らしは危険と隣り合わせにあると思い知らされた。

 09年には県外・国外移設を約束した民主党政権が誕生。県内移設を巡る苦悩から解放されると安堵(あんど)したのもつかの間、同政権は翌10年に辺野古移設に回帰した。県民の失望は反発に変わり、保守・革新の垣根を越えて県内移設に反対する「オール沖縄」旋風が巻き起こった。ただ、大城さんはこれ以上の回り道はしてほしくないと「オール沖縄(の一員)にはなれなかった」。

 日米両政府が当初確認した普天間飛行場の返還期限は「5〜7年以内」。申し合わせは守られないまま「14年」「14年より後のできる限り早い時期」「22年度またはその後」と先延ばしされてきた。最近は辺野古の海底で軟弱地盤が見つかり、返還は36年1月以降と説明されている。

 ここにきて、普天間飛行場は結局返還されないのではないかと疑う声も広がっている。辺野古の滑走路より長い滑走路を日本政府が選定しなければ「返還されない」との米国防総省の見解を明記した文書の存在が明らかになったためだ。

 日本政府は「辺野古移設完了後も普天間飛行場が返還されないなどということは全くない」(小泉進次郎防衛相)と繰り返し打ち消しているが、大城さんは「だまされているようだ」と不信感を拭い切れない。「どうせ自分たちが生きている間には返還されない。もう諦めている」。 

取材に応じる上大謝名自治会長の大城ちえ子さん=8日、沖縄県宜野湾市
取材に応じる上大謝名自治会長の大城ちえ子さん=8日、沖縄県宜野湾市
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