【悼む】終始柔らかい笑顔の中村ゆりさん 地に足がついた生活をしている雰囲気がすてきだった

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2026年09月14日 22:58  日刊スポーツ

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日刊スポーツ

21年5月、本紙インタビューで魅力的な表情でカメラを見つめる中村ゆりさん

女優の中村ゆりさんが1日、直腸がんのため亡くなった。44歳だった。所属事務所のアルファエージェンシーが14日、公表した。葬儀は近親者、所属俳優とスタッフで執り行ったという。昨年7月13日に腸閉塞(へいそく)のため、来年1月にNHK総合で放送予定のドラマ10「デンジャラス」からの降板を発表していた。


    ◇   ◇   ◇


5年前、インタビューページ「日曜日のヒロイン」で中村ゆりさんを取材した。当時、その前の年に民放の連続ドラマに初主演し、その後もドラマ、映画などで活躍が続いていた。


取材中、とにかく笑顔だったことを覚えている。真っ白な衣装がまぶしかった。話しやすくて、1つの質問をじっくり考えつつ、丁寧に答えてくれた。


10代のころ、アイドルデュオ「YURIMARI」として活動していた時のことや、解散後、ファストフード店でアルバイトしたこと、女優に転身し、井筒和幸監督の「パッチギ! LOVE&PEACE」が転機になったこと、遅咲きのブレークに至るまで、苦労もあっただろうが、終始、柔らかい笑顔で、周囲に感謝を語っていた。


アルバイトをしていたころは、接客もレジ打ちもミスばかりで、「自分が全然できないタイプの人間」だと実感したと話していた。落ち込む中、芝居のオーディションに声を掛けてもらった時、まず思ったことは「なれるわけない」だったそうだ。前向きな気持ちに変わったのは、それでも粘り強く声を掛けてくれた人がいたこと、おもしろがってくれた人がいたからだとした。女優として活動できるようになり、「パッチギ!−」へとつながっていった。


同作の関係者が「日の当たらない人たちに光を当てる映画を作りたい」と言った言葉に、中村さんはいたく同感。「私もそんな作品に関わりたいです」としっかりと言っていた。


経験をすべて糧に、地に足がついた生活をしている雰囲気がすてきだった。家庭菜園をしてみたり、ミシンをしてみたり、年の初めにやってみたいことを書き出すのが恒例だとしたり。どんなことを書いたんですか? と聞くと「うわー、すっごいいっぱい書いてます!」と、自分でも驚いたように笑った。


今年の年初めにもやりたいことや目標を書いたのだろうか。あの時の明るい笑顔を思い出さずにはいられない。【小林千穂】

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