
「9月7日、グレート義太夫さんが都内の自宅マンションの階段で倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡が確認されました。訃報を受けて、師匠のビートたけしさんをはじめ、『たけし軍団』で一緒だったダンカンさんら、ゆかりの深い仲間たちが追悼のコメントを寄せています」(スポーツ紙記者、以下同)
学生時代から音楽に打ち込み、プロのミュージシャンを志していた義太夫さんは、かねてファンだったたけしに弟子入り。1983年、たけしのバックバンドに参加した後、たけし軍団のメンバーとなった。
「最大で約120kgあった巨体をバラエティー番組で生かし、身体を張った過酷な企画にも挑戦。また、音楽の才能を発揮して、たけしさんの鼻歌で生まれたメロディーにコードを付けて後に代表曲となる『浅草キッド』のデモテープを制作するなどして“師匠”を支えていました」
そんな義太夫さんは36歳のときに糖尿病と診断。48歳から糖尿病性腎症による腎不全を発症し、人工透析治療を受けていた。
週刊女性は今年4月、義太夫さん本人に“闘病”の取材を行っている。その際、仕事を終えた深夜に焼き肉を食べるなどのかつての不摂生な生活を振り返りつつ、透析治療中はベッドでネタを考えていると明かし、お笑いへの情熱を見せていた。
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そんな義太夫さんと仕事を共にしてきたという後輩の芸人はこう偲ぶ。
「とにかく優しい先輩でした。後輩がMCを務めるラジオ番組に交通費だけで出演してくれて、こちらがお礼を言う前に“今日は楽しかったよ!”と気を使わせないように声をかけてくれたり……。本当に思いやりのある人でした」
褒められたことが忘れられない
強面ぞろいのたけし軍団の中でいつも笑顔で温厚だった義太夫さん。その性格は、師匠譲りだったのかもしれない。
「たけしさんは、黙って全員分の会計を済ませるなど、粋な優しさがあるんです。義太夫さんも、そういうところを見習ったんだと思います」(後輩芸人、以下同)
2015年からは、師匠が修業を積んだ演芸場「浅草東洋館」への出演をライフワークに。亡くなる約1週間前の8月30日も、ギター漫談で客を沸かせていた。
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「いつだったか、“たけしさんから、おまえはずっと板に立ってお客の前で芸をしてエラい!と褒められたことが忘れられない”と、義太夫さんがうれしそうに話していました。もしかしたら、たけしさんの芸人魂を一番受け継いでいたのは、義太夫さんだったのかもしれません」
自らを“悪い糖尿病患者の見本”と語っていた義太夫さん。しかし、その生きざまは“芸人の見本”だった─。
週刊女性2026年9月29日・10月6日号
