藤井JT杯覇者 写真提供:将棋日本シリーズ総合事務局2026年9月12日、熊本城ホールで熊本復興応援対局「将棋日本シリーズ JTプロ公式戦」二回戦第四局が開催された。
対局したのは、同大会3度の優勝を誇る藤井聡太JT杯覇者と、今回が初出場となる八代弥八段。両者による一局目は千日手となり、指し直し局にもつれ込む激戦となった。最後に勝利をつかんだのは八代八段。これまで公式戦で4戦全敗だった藤井JT杯覇者を108手で破り、初出場でベスト4進出を決めた。
◆地震で会場変更。それでも「熊本での開催」を実現
熊本大会は当初、益城町のグランメッセ熊本で開催される予定だった。しかし、令和8年熊本地震の影響を受け、会場を熊本市中心部の熊本城ホールへ変更。大会名も「熊本復興応援対局」とされた。主催者は、来場者の安全や棋士の対局環境を考慮しながらも、「熊本での開催実現を前提に判断した」と説明している。
一方、同時開催される予定だった「テーブルマークこども大会」は、急きょの会場変更によって対局スペースを確保できず、中止に。応募した子どもと同伴者は、代わりにプロ公式戦の観戦へ招待された。
大会では対局のほか、棋士による復興応援メッセージや、佐藤康光九段と佐藤天彦九段による「読み筋披露対局」も実施。将棋を通じて熊本に元気を届ける一日となった。
◆「感謝を忘れずに」初出場の八代八段が語った決意
八代八段は1994年生まれの32歳。今大会がJTプロ公式戦初出場ながら、一回戦を勝ち上がり、藤井JT杯覇者との一戦を迎えた。
熊本との縁も深い。師匠の青野照市九段が熊本県八代市の将棋支部で師範を務めており、師匠の代わりに現地を訪れた経験があるという。八代八段は、そこで熊本の人々の将棋熱を強く感じたと振り返った。
また、一回戦では初めて和服での公開対局に臨み、不安や緊張もあったという。しかし、多くの観客が最後まで対局を見届けてくれたことで、公開対局ならではの喜びを実感した。
「たくさんの方に注目していただき、最後まで観戦していただける機会は、棋士にとっても決して多くありません。こうした公開対局の場を設けていただいたことへの感謝を忘れず、藤井JT杯覇者という厳しい相手にも、気負いすぎず集中して臨みたいと思います」
被災後の熊本で対局することについても、「棋士として一生懸命将棋を指す姿を見ていただくことが、少しでも皆さまの力になれば」と語った。
◆藤井聡太がプロになった今、感じている「将棋の楽しさ」
対する藤井JT杯覇者は2002年生まれの24歳。JTプロ公式戦には8年連続8回目の出場となる。
藤井JT杯覇者自身も、子どもの頃に「テーブルマークこども大会」をはじめとした各地の将棋大会へ参加していた。当時は、大会でほかの子どもたちと戦うこと自体に、大きな楽しさを感じていたという。やがて勝ち負けだけでなく、将棋というゲームそのものの奥深さに惹かれるようになった。では、プロ棋士となった現在は、どんな瞬間に将棋の楽しさを感じるのか。
「子どもの頃は、勝負することや大会で戦うこと自体が楽しかったですし、そこから将棋というゲームの面白さに惹かれていきました。今は対局の中で、自分がそれまで気づいていなかった手や考え方を発見できたときに、将棋と向き合っていて楽しいと感じます」
プロになり、将棋を仕事として指すようになった今も、未知の手や可能性に出合う喜びは変わらないようだ。
藤井が熊本を訪れるのは、3年前のJT杯に続いて2回目。阿蘇山をはじめとする雄大な自然や、食事のおいしさが印象に残っているという。
「災害に対して、将棋が直接何かに寄与するのは難しいかもしれません。それでも対局を通じて、熊本の方々に少しでも楽しさや元気を届けられたらと思います。そのためにも全力を尽くしたいです」
◆「勝負を焦らない二人」棋士が予想した本局の行方
対局前に行われた棋士トークショーには、佐藤康光九段、佐藤天彦九段、武富礼衣女流二段、松下舞琳女流初段が登壇した。
藤井JT杯覇者と八代八段の過去の対戦成績は、藤井JT杯覇者の4戦4勝。戦型は角換わりと横歩取りが2局ずつで、直近の対局は2023年。佐藤康光九段は、八代八段の棋風について「勝負を焦らない」と表現する。
「八代さんは、勝負を急がず、ときには時間を戻したり、止めたりするかのような指し方をします。現在では少し珍しいタイプの棋士です。藤井さんも勝負を焦るタイプではないので、かなりのねじり合いが見られるのではないでしょうか」
佐藤天彦九段も、両者に共通する特徴として「慎重さ」を挙げ、「非常に厳密な戦いが期待できる」と予想した。
結果的に、その言葉どおり、対局は一局で決着がつかない長期戦となったことは冒頭で伝えたとおりだ。
◆子ども大会での悔しさ、二度の被災経験…棋士と熊本の縁
トークショーの後半では、登壇した棋士たちが熊本との思い出を語った。
福岡県出身の佐藤天彦九段は、子どもの頃に九州の将棋合宿などで熊本を訪れたほか、家族と阿蘇山を観光した経験を披露。プロになってからも対局で訪れており、熊本の食事を楽しみにしているという。
佐賀県出身の武富礼衣女流二段も、「テーブルマークこども大会」に出場するため、何度も熊本を訪れていた。
小学3年生のときには、「テーブルマークこども大会」熊本大会の準決勝まで進出。決勝を目前にして、自身でも信じられないようなミスをして敗れた。その悔しさは、今も鮮明に覚えているという。
「悔しい思い出もありますが、熊本で将棋を通じて育てていただきました。今日は、皆さまが笑顔になれる時間を少しでもお届けできたらうれしいです」
熊本県出身の松下舞琳女流初段は、宮城県塩竈市で東日本大震災を経験し、その後移り住んだ熊本でも熊本地震に遭った。
10年前の熊本地震では、毎年参加していた子ども大会が中止になり、落胆したという。しかし、同年11月に「熊本応援大会」として大会が開催されたことが、強く記憶に残っている。
「今回も被災された方がたくさん来られていると思います。それぞれさまざまな思いを抱えていらっしゃると思いますが、今日という日が、皆さまにとって記憶に残る一日になればと思っています」
松下女流初段の話を受け、佐藤康光九段は「複数回被災しながらも、将棋を通じて前に進んできた。その姿から、改めて将棋の持つ力を感じました」と語った。
◆対局の1手が1万円に。熱戦がそのまま復興支援へ
熊本大会では、対局の総手数に応じて、1手につき1万円を熊本県へ寄付する特別企画も実施された。
棋士が盤上で指す一手一手が、そのまま復興支援の金額に加算されていく仕組みだ。
佐藤康光九段は、「棋譜は将棋界に残る大きな財産。今日も新しい歴史が一つ刻まれる日になる」と話し、両対局者が全身全霊を込めて指す姿に期待を寄せた。
その後に行われた「読み筋披露対局」では、佐藤康光九段と佐藤天彦九段が、盤上で考えている読み筋を実際に口にしながら対局。ときおり“ぼやき”も飛び出すユーモラスな一戦は、佐藤天彦九段が制した。
◆千日手から指し直しへ。八代八段が放った勝負手
藤井JT杯覇者と八代八段の対局は、まず八代八段の先手で始まった。
戦型は相掛かり。前例の少ない進行となり、藤井JT杯覇者が八代八段の攻めをギリギリで受け止めたものの、互いに同じ手順を繰り返す千日手が成立。102手で指し直しとなった。
先後を入れ替えた指し直し局は、角換わり腰掛け銀へと進む。
中盤では藤井JT杯覇者が▲8五桂から香車を取り、先にペースをつかんだかに見えた。しかし、八代八段は72手目に△3八銀と打ち込む。
◆72手目 後手△3八銀の局面
銀を取られる危険もある、一見すると非常にリスクの高い一手だった。だが、この勝負手を境に形勢は複雑さを増し、藤井JT杯覇者にとっても秒読みの中で正確な対応を見つけるのが難しい局面となった。
終盤、八代八段は△8六桂から△8五香と攻めをつなぐ。藤井玉に受けの難しい形を強いると、108手で勝利を収めた。
これまで藤井JT杯覇者に4戦全敗だった八代八段にとって、うれしい初勝利となった。
終局後、八代八段は千日手局について、途中までは想定していた進行だったものの、打開策が見えなかったため千日手はやむを得なかったと振り返った。
指し直し局では、以前から試してみたいと考えていた作戦を採用したという。
「△3八銀はリスクもありましたが、これしかないと思って勢いで打ちました。△8五香と打ったあたりで、攻めがつながってきた感触がありました。これまで藤井JT杯覇者には、いいところなく押し切られる将棋が多かったので、今回は内容を良くして競り合いに持ち込めたことに成長を感じます。JT杯に初めて出場して2勝できたことを自信にして、準決勝に臨みたいです」
千日手局の102手と指し直し局の108手を合わせ、総手数は210手。大会から熊本県へ寄付される金額も、210万円に達した。
八代八段は準決勝で永瀬拓矢九段と対局する。藤井JT杯覇者から挙げた初勝利を追い風に、初出場での決勝進出を目指す。
<取材・文/日刊SPA!取材班>