筒井康隆(92)転倒で頸椎損傷し夫婦で老人ホーム入居…お見合い30回で出会った「82歳妻との半生」

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2026年09月27日 11:11  web女性自身

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日本SF界の先駆者のひとりとして、そして他に類を見ない新しい表現手法の開拓者として文学史に名前を刻む筒井康隆。何ものにも忖度せず、書きたいことを書き続け、“断筆”も経験した作家は、いま老人ホームで妻と2人きりの穏やかな生活を送っているという。だが、創作意欲はまったく衰えていないようで──。



神戸の中心街から電車で30分、明石海峡に面した垂水駅へ。さらに車で15分。到着したのは神戸異人館風の住宅型有料老人ホームだ。ホテルのような高級感漂うフロントから2階のパーティルームへと進むと、車いすに乗った作家の筒井康隆さん(92)が現れた。



豊かなグレーの髪を後ろに流し、ストライプのワイシャツに三つ揃いのスーツ、ベストからは日本藝術院会員の懐中時計の鎖がチラリと見えるダンディな装い。



「シカゴ時代のギャングじゃありませんが、昔のファッションを守らなきゃいけないと思っているんですよ」



筒井さんは1965年に初の作品集『東海道戦争』を出版。その後、『時をかける少女』(1967年)、「七瀬三部作」(1972〜1977年)、『夢の木坂分岐点』(1987年)、『文学部唯野教授』(1990年)、『パプリカ』(1993年)、『敵』(1998年)、『モナドの領域』(2015年)など代表作は枚挙にいとまがない。そして、近著には『筒井康隆自伝』(文藝春秋)がある。



「文学界におるわけなんですが、その人生を振り返りたい思いがあったんです。昔、『記憶の断片』というエッセイを書いたんですけど、断片的ではなく、ひとつながりの自伝を書いてみようとして『文學界』(文藝春秋)で連載しました。



初回は原稿用紙30枚を一挙に掲載しましたが、完結するまで書けないかもしれないという思いはありました。当時は89歳で、心臓の血管の手術をしたばかりということもあって、健康に自信がなくなっていたのかもしれません」



追い打ちをかけるように、連載中の2024年には転倒で頸椎を損傷し、病院でのリハビリを経て、夫婦で高齢者施設に入居した。



だが悲劇も作品のネタとばかりに、包み隠さず原稿に落とし込むのは作家の性。昨年10月、自伝出版にこぎ着けた。



長きにわたる作家生活に寄り添ってきたのが妻の光子さん(82)。常に行動を共にし、新幹線でも隣に座れず、通路を挟んだ席になると、残念に思うほど。そんな愛妻家の筒井さんが、夫婦で乗り越えてきた作家人生を振り返った。





■喜劇役者を夢見て日活の試験を受験



「小さいとき、父が園長を務めていた天王寺動物園に連れて行ってもらって、その帰りにエノケン(榎本健一)の映画『孫悟空』を見たのが、最初の“文化への目覚め”ですかね」



こう語る筒井康隆さんは、1934年、大阪市で生まれた。後に、弟が3人生まれ、4人兄弟の長男に。読書を好み、父からルビの少ない弓館小鰐(ゆだて・しょうがく)版の『西遊記』を読んでみろと言われたとき、わざと「色に迷う八戒」という章のタイトルを読んで、うろたえさせたりした。



太平洋戦争が始まる1941年に国民学校に入学。このころ、友人宅で江戸川乱歩の作品に出合った。



「最初は『少年探偵団』や『怪人二十面相』ですね。乱歩の作品の挿絵はものすごく怖くて、衝撃がありました。作家になってから読書体験を新聞連載しているときにこのことを書いたら、そんな怖い挿絵はないと言われて……。そんなわけないとさらに探してもらったら、取り寄せた当時の版に、やっぱりありました」



終戦翌年、小学6年生に進級したときには体育以外はすべて「優」。市役所の教育委員会で受けた知能テストも高得点で、優秀な生徒を集めた特別教室で学ぶことになった。



「しかし、これは疑問でした。やったのは中学の先取り学習。これでは中学に行ったら退屈するだろうなと思いました」



案の定、中学に進学すると学校をサボり始め、映画ざんまい。しかし、多くの映画を見たことは、作家としての糧となった。



「映画館は、父親の本や母親の着物を売り飛ばした金で通っていました。『青空書房』という露店の古本屋に『親が病気だ』と嘘をついて持ち込むと、同情して高く買ってくれたんです」



さまざまな映画作品に触発され、中学2年で演劇部に所属。『手をつなぐ子ら』の先生役で主演。



「高校でも演劇は続けました。2年から部長になって、前からやりたかった喜劇をやるようになった。笑わせて学校一の人気者になりましたよ。もちろんシリアスなものもやりました」



いい演技のコツは、どんな芝居でも心のなかでは冷静でいること。自分を客観視しながら演じるのが筒井流だ。



「小説でも、作者が涙をボロボロ流して書いた小説なんて、ロクなもんじゃありません。冷静に、泣かせるための工夫をすることが大事なんです。演じることと、小説を書くことには、通じるところがありますね」



同志社大学文学部美学芸術学科に進学。大学でも演劇を続け、劇団「青猫座」に入団。宝塚歌劇の演出と脚本を手がけていた中西武夫氏に『廿日鼠と人間』の主役を任された。関西の演劇界では知られる存在だったという。



「喜劇役者になることが夢で、日活の試験も受けに上京したんです。推薦文がいるだろうと中西先生に書いてもらいましたが落ちてしまいましたね。日活が、それまでの文芸路線から小林旭のような活劇路線に変わったんです」



これを機に演劇から離れ、大学卒業後は社会人となった。



「大学で美学芸術学なんぞを卒業したやつなどを採用したい会社はそうそうなく、ボクは学生時代からアルバイトしていた乃村工藝社へ入社しました」



デパートの店内装飾やショーウインドーのディスプレーなどをやらされたものの、自伝では《面白くなくて給料は安かった》と述懐している。



「ただ、国際見本市は面白かったですよ。フランスの展示を任されたんです。担当のフランス人に予算を聞かれたので、多めに吹っかけたら、OKしちゃって。



営業部長に相談したら『さすがに取りすぎだ。お土産にして還元しろ』と言われ、10万円を入れたご祝儀袋を渡したら、向こうもびっくりしてましたね(笑)」





■江戸川乱歩に認められ、商業誌デビュー



筒井さんは役者をあきらめて小説家への夢を抱き始めた。星新一氏のデビューや『S-Fマガジン』の創刊に刺激を受けたのだった。



「自然科学博物館長だった父と弟3人とで、同人誌を作りました。誌名は『NULL』。会社をサボって喫茶店で原稿を書いて、勤め先と取引のある印刷会社に給料3カ月分を支払って製本しました」



原価360円を一冊100円で売ったのだから、採算は度外視。誰かに注目されるのが狙いだった。もくろみどおり、ある日、とんでもない作家から手紙が届いた。



「江戸川乱歩さんからでした。後日、上京して大豪邸にも行きました。背の高い巨大な椅子を見ては、“これが人間椅子か”などと思ったりしたものです。乱歩さんは白い浴衣を着て出てこられました。なぜか片方の目を手のひらで押さえながら出てこられた。『長篇を書きなさい』とアドバイスされました」



その後、『NULL』の作品が商業誌に転載されるなど、作家への足がかりを得て、乃村工藝社を退職。若手作家としての修業を始めたころ、頭を悩ませていたのがお見合いだった。



「おふくろは、ボクが自慢なんですよ。ボクを手放したくないくせに、あちこちで自慢をして、見合い話を持ってくる。『行かない』と言うと怒るから、お見合いはするのですが、小説で身を立てることで頭がいっぱいで、結婚なんて考えていなかった」



30回ほどのお見合いを経て、妻となる光子さんに出会った。昼間、誰も来ない時間のレストランを貸りてお見合いをしたが、光子さんは始終ぶすっとしていた。



光子さんの実家は神戸市垂水区で牧場を営む豪農。初めてのお見合いだったという。光子さんの両親は、娘の相手に売れないSF作家はふさわしくないと思い、仲人さんに断りの電話を入れようとした。光子さんが振り返る。



「断らないでと、泣いて止めたんです。実業家や医師よりも、作家のほうが楽しそうという思いもありましたし、何より、東京に行きたかったんです」



お見合いのときには無愛想だった光子さんだが、筒井さんが改めて実家にあいさつに行ったときは和服で着飾り、笑顔が美しかった。



「しかも、持参金300万円もいただき、助かりました」(筒井さん)



結婚式では、小松左京氏が雇われ仲人を務め、手塚治虫氏などが列席。祝福ムードのなか、不機嫌だったのが、筒井さんの母親だった。



「ボクが離れていくのが嫌だったみたいで『本当にあんなのでいいのか?』と光子に言うんですよ」



新婚旅行から帰ると、その足で、光子さんが憧れた東京暮らしをするために原宿の転居先に向かった。



「ビルの4階の狭い部屋でしたが、いつもどなたかがいらっしゃるんです」と光子さんが言う。



「おうい」と声が聞こえて下の道路を見ると、遊びに来た小松左京氏と星新一氏が並んで手を振る姿があった。日本にSFという新ジャンルを築こうという仲間と、刺激を与え合った。



結婚後まもなく短篇集『東海道戦争』を出版し、続く長篇『48億の妄想』で自分の書き方を見つける。作家の生島治郎氏からは「あなたは叩けば叩くほど走る馬です」と激励された。



書くほどに小説は売れ、一躍人気作家の仲間入りを果たした。



(取材・文:小野建史)



【後編】筒井康隆(92)長男が51歳で急死、寝たきり危機で「作家として終わった人間」と吐露も…再び老人ホームで小説を書き続ける“原動力”へつづく

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