元ヤクザのマンガ家志望が末期がんに 沖田臥竜の小説『木漏れ陽』映画化、澤口明宏が長編初監督

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2026年09月28日 12:11  オリコンニュース

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映画『木漏れ陽』ティザービジュアル(写真:浅田政志/アートディレクション:吉良進太郎)(C)映画「木漏れ陽」製作委員会
 沖田臥竜(おきた・がりょう)の小説『木漏れ陽』が実写映画化されることが決まった。BABEL LABELが企画し、スターサンズが製作に参加。ドラマ『ムショぼけ』『インフォーマ』などを手がけた澤口明宏が監督・脚本を務め、本作で長編映画監督デビューを果たす。世界の主要映画祭への出品、2027年以降の全国公開を目指す。

【画像】原作・監修の沖田臥竜、監督・脚本の澤口明宏

 主人公の小泉は、家族のためにヤクザを辞め、かねてからの夢だったマンガ家を目指す男。月に2度会える幼い子どもたちを支えに描き続けていたが、ある日、末期がんを宣告される。残された時間の中で何を描き、子どもたちに何を遺せるのか。父親としての思いと夢への情熱、元ヤクザとしての過去や弟分との絆を描く。

 『ヤクザと家族 The Family』『インフォーマ』などで組んできた沖田と藤井道人が立ち上げた企画。藤井の原案をもとに沖田が小説を書き上げ、映画では原作の監修も担当する。

 沖田は映画化にあたり、藤井との出会いが自身の「全てのメディアミックスの原点」だと振り返る。『木漏れ陽』の始まりについては、「サイゼリヤで撮った何気ない写真を藤井監督に送り、それが『木漏れ陽』のスタートになった」と明かした。

 今回描く家族の物語には、「私が筆を握ったのだ。号泣させてやろうではないか」と意気込み、「誰かの心の片隅に『あの映画、面白かったね』と何年、経っても残ってくれますように」と語っている。

 監督・脚本を務める澤口は、『ムショぼけ』『インフォーマ』でも沖田と仕事をともにしてきた。ドラマやプロモーション映像など幅広い分野で培った経験を生かし、本作ではドキュメンタリータッチの手法で、登場人物の息遣いや揺れる感情、家族の姿を描くという。

 あわせて公開されたティザービジュアルには、主人公・小泉の生きがいである2人の子どもたちが、やわらかな木漏れ陽を背負う後ろ姿を捉えた写真を使用。写真は浅田政志、アートディレクションは吉良進太郎が担当した。

■原作・監修:沖田臥竜のコメント
 企画・プロデュースの藤井道人監督と映画『ヤクザと家族』で知り合い、『ムショぼけ』や『インフォーマ』シリーズを一緒に生み出してきた。
 私の場合、藤井監督との「出会い」が全てのメディアミックスの原点になっている。
 忘れもしない。サイゼリヤだ。サイゼリヤで撮った何気ない写真を藤井監督に送り、それが「木漏れ陽」のスタートになったのである。
 作り手がわくわくドキドキしなければ、人の心を鷲掴み、揺さぶるような物語なんて生まれてこない。
 私はいつも藤井監督から「沖田さん!次はこんなのをやりませんか!?」と連絡があるたびに、わくわくドキドキしながら、腕を鳴らすのである。
 今度は家族愛である。私が筆を握ったのだ。号泣させてやろうではないか。
 観てくれた全ての人々を私の地元・兵庫県尼崎市から、泣かせてやろうと思っている。
 澤口監督とは『ムショぼけ』や『インフォーマ』でも一緒にやってきた。とにかく真面目で人柄が良いのだ。どのような仕事でも、人柄の良さと真面目さが最優先されるべきではないだろうか。
 BABEL LABELのプロデューサー・高柳亮博さんも何年も前から知っていて、今回「木漏れ陽」で高柳さんのもっともっと深い所を知ることが出来た。
 一言でいえば最高な人物である。
 ここからは、我々の時代である。映画『木漏れ陽』で一つの時代を作りにきた。
 大勢の人々を映画館で涙させようと思っている。日本中を号泣させようと思っている。
 心配するな。私は私で唯一無二である。誰にも真似のできないヒューマンを用意している。
 誰かの心の片隅に「あの映画、面白かったね」と何年、経っても残ってくれますように。

■監督・脚本:澤口明宏のコメント
 原作を読んで、小泉と子どもたちが過ごす時間が、もう少し続いてほしいと思いました。ご飯を食べながら言い合いをして、くだらないことで笑い、眠る前にはいつもの言葉を交わす。読み終えたあとも、そんな何でもない時間が心に残っていました。だから、この親子の「今」を映画にしたいと思いました。
 小泉は、父親としてちゃんとやっているつもりでも、そう受け取ってもらえるとは限らない。漫画を描きたいという夢もあって、誰かのためにしていることと、自分のためにしていることを、本人も分けられていないのかもしれません。それでも、子どもたちを愛していることに変わりはない。そんな小泉を、きれいに整理せずに撮りたいと思いました。
 残された時間で何かをなすことが、本当に正しいのか。何かを遺そうとする小泉を見ながら、そんなことも考えました。ただ、彼らが一緒に過ごす時間のすべてが、別れのためにあるわけではありません。子どもたちには今日遊びたいことがあるし、小泉にも描きたい漫画がある。命に限りがあることと、目の前の毎日を生きていること。その両方を見失いたくありませんでした。今回は、こちらが考えた答えに近づけることよりも、台本から逸脱したとしてもその場に生まれるやり取りを大切にしたくて、ドキュメンタリーを撮るようなアプローチをします。
 そうして一つひとつのシーンを積み上げた先に、本当に何かが見えてくるのか。何もない、散漫なものになってしまうのではないかという怖さもありました。それでも、その不安を埋めるために、人物の気持ちや場面の意味を決めてしまいたくはありませんでした。主人公だからといって、小泉のすべてがわかるわけではない。撮る側も、わからない部分を残したまま、その人のそばにいられないかと考えていました。そうした姿勢を保ちながら一本の映画にしていくことは、とても難しく、自分にとって大きな挑戦になります。
 『ムショぼけ』『インフォーマ』とご一緒してきた沖田さん、そして盟友である藤井監督から、本作の監督を託していただきました。沖田さんが描いたこの親子の時間を、役者やスタッフと一緒に、自分が本当に撮りたいと思える映画にすることで、2人の信頼に応えたいと思っています。
 死に向かう物語の中で、最後まで、生きている人間を撮りたい。完成する瞬間まで、この人たちと向き合っていたいと思っています。

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