倉本聰さん (2024年撮影)(C)ORICON NewS inc. 脚本家・劇作家・演出家の倉本聰さんが9月18日夕、多臓器不全のため自宅で死去した。享年91。倉本さんが理事長を務めていた財団が28日、発表した。同日、富良野市の北猛俊市長は名誉市民である倉本さんの追悼コメントを発表。倉本さんの功績に感謝を伝えた。
【写真】今年8月には…朗読劇にサプライズ登場していた倉本聰さん
1977年に富良野市に活動の拠点を移し、『北の国から』の着想を得た倉本さん。市長は「富良野の四季折々の自然と、その中で営まれる人々の暮らしを背景に、『自然の尊さ』『人間の絆』『家族の愛』を描いた『北の国から』は、全国に多くのファンを生み出し、本市の魅力を広く発信してくださいました」と功績を振り返った。
『2002 遺言』が放映された2002年には、市の観光入込客数が統計上過去最高となる249万人を記録。スキーを中心とした冬季観光から夏季観光へと発展する転機になったという。
倉本さんが主宰した「富良野塾」は2010年の閉塾まで多くの人材を育成した。00年には全国初の公設民営劇場である富良野演劇工場を開設。市長は「今日、演劇工場は富良野市民にとってかけがえのない財産となっています」とした。閉鎖されたゴルフ場跡地を活用した「富良野自然塾」は20周年となり、植樹活動によって着実に本来の森を取り戻しているという。
市長は「倉本先生が本市に居を構えられて以来、およそ半世紀にわたり、私たち富良野市民に数多くのかけがえのない財産を残してくださいました。 また、ご講演や演劇、著作活動などを通じて、多くの示唆と学びの機会を与えてくださいましたことに、心より感謝申し上げます」と伝え「生前のお姿を偲び、深甚なる謝意を表しますとともに、安らかなご冥福を心よりお祈り申し上げます」と結んだ。
倉本さんは、1935年東京出身。東京大学文学部美学科卒業後、1959年にニッポン放送へ入社。「倉本聰」のペンネームで脚本家としての活動を行い1963年退社後に独立。1977年富良野に移住して居を構えると、1984年から役者やシナリオライターを養成する私塾「富良野塾」を主宰。
代表作には国民的ドラマ「北の国から」をはじめ「優しい時間」「風のガーデン」の“富良野3部作”の他、「前略おふくろ様」「昨日、悲別で」「ライスカレー」などがある。2006年より「NPO法人C・C・C富良野自然塾」も主宰し、閉鎖されたゴルフ場に植樹を行い、元の森へと返す〈自然返還事業〉と、そのフィールドを使った〈環境教育プログラム〉にも精力的に力を注いだ。