『タモリ倶楽部』のミニコーナー「空耳アワー」で“空耳俳優”として活躍した有田久徳(ダンサブル) (C)ORICON NewS inc. 2023年3月、惜しまれながら40年にわたる歴史に幕を閉じた『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)。なかでも、「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる」の口上で始まる「空耳アワー」は、1992年にスタート以来、絶大な人気を誇り、放送終了から3年半という今でも“待望論”をとなえる声は少なくない。そんな企画に役者として出演していた“空耳俳優”は、今何を思うのだろうか。2006年ごろから出演し、“尻男優”として大きなインパクトを残してきた“空耳俳優”の有田久徳(ダンサブル)に、“空耳俳優”としての矜持、そして放送終了後の今について聞いた。【インタビュー全2本/前編】
【写真】私服めっちゃおしゃれ…“空耳俳優”として活躍した有田久徳(ダンサブル)
■将来を嘱望された芸人が心折れた先にあった「空耳アワー」
視聴者から「日本語に聞こえる洋楽のフレーズ」を募集し、投稿を再現するVTR(映像)の巧みな演出で深夜に笑いを届けてきた「空耳アワー」。30年以上続いた人気コーナーでもトップクラスの知名度を誇る有田は、もともとダンサブルというお笑いコンビとして将来を嘱望されていた。
「1番最初に渡辺プロ(ダクション)さんにお世話になって。僕らが高校生のときに、デビューさせてもらって。当時はやっぱ学生服とか着てたんで、他にいなかったから『いいぞ!』みたいな感じだったんですけど、もう学生服脱いだら、やっぱ競争に負けちゃって…」
挫折を経験し、心が折れかけた時、ある出会いが訪れ、有田のその後を大きく変えた。
「自主退社して、お笑いやめようかななんて言ってたら、ある事務所の社長が拾ってくれて。『まだ辞めるの早いよ』みたいな話になって。その後、僕を拾ってくれた新しい事務所に後輩として、空耳俳優として『タモリ倶楽部』にすでに出演していたネモキンのお二人が入って来て。『タモリ倶楽部』のスタッフから事務所に『ネモキンとは別にもう一人、普通のいろんな役ができる人』のオファーがあり、事務所が適当に僕の書類を送ったら通ったという感じです。オーディションとか何もなく、書類で(笑)。『タモリ倶楽部』は普通にいちファンとして見てた番組だったので、出るとは思っていなくて、不思議な感覚でした」
■“尻男優”としての圧倒的プロ意識「撮影前は座らない」
デビュー作は「あんまり覚えていない」と言いつつも、「脱いだネタ」だったことから、その後の出演も「脱ぎネタ」が多かったと振り返る。だがそれはいつしか、有田の代名詞として、視聴者に強い印象を与えていく。
「僕は結局お笑い芸人なんで、NGがないから、当日行って『脱いで』って言われても、全然OK。他の役者さんは事前に『今日はこういう風に脱いだり…』とか(打ち合わせが)あったんでしょうけど。僕は使いやすいからっていうんで、お尻を出してることが多かったんですよ。それで(空耳アワーの)アワードの特集の時に、『尻男優としてやってますよ』『代表作としてこれがあります』って(有田の作品を)紹介してくれて。それが認知のきっかけになりました。当時働いていたバーも『そこに行けば会えるよ』って感じで紹介してくれて、聖地巡礼のごとく全国から空耳ファンが会いに来てくれました」
さまざまな個性を持つ“空耳俳優”のなかでも脱ぐことで自身の存在感を示してきた有田。その仕事ぶりはまさにプロそのもの。現場で脱ぐだけではなく、“尻男優”としてのプライドは入念な準備にも表れていた。
「“尻男優”って言っていただいたもんで、お尻はきれいにしなくちゃいけないなっていうのは、すごく心がけてたんですよ。例えば、撮影前はお尻にあとがつかないように、座らなかったり。夏も日焼けに注意したり。水着の形に日焼けしてると、『すげぇ日焼けしてんじゃん』みたいに思われて、(作品の意図とは違う)意味が出ちゃうので。スタッフさんも『なんでこいつ日焼けしてんだよ』みたいなのはちょっと嫌かなと思って。『脱ぐこと』を求められることは多かったですけど、うれしかったですよ」
その高いプロ意識から、空耳作品でみせる演技の数々は、番組出演陣からも絶賛され、俳優の松たか子からも好きな空耳俳優として名前をあげてもらうほどに。
「アワードの中で、松たか子さんに『この俳優さん好きなんだよね』って言ってもらえて。(空耳俳優仲間の)野田(美弘)さんと一緒に、松さん主演のドラマに呼んでもらいまして、一緒のシーンに出させてもらいました。松さんの方から『写真撮りましょうよ』って写真も撮ってもらいました(笑)」
■“非公式”ながら「空耳アワー」最多出演も“コンプラ”には勝てず…
“脱ぎ芸”で「空耳アワー」のエース格の存在感を放った有田。その出演本数については“非公式”ながら“空耳俳優”界隈で最多だったという。
「もちろんボツになったものはいっぱいあるんですけど、『何本出てんだろうな』って気になって。なんとなくスタッフさんが冗談っぽく調べたら、最多だったようです。使い勝手がよかったんだと思いますよ。スタッフさんとも普通に飲みに行ったり、ファミリーみたいな感じだったので、いろいろと言いやすかったのもあっただろうし。2週間に1回、隔週で撮影があるんですけど、それを15年以上やってたから、ちょっとした青春でしたね」
だが、『タモリ倶楽部』終了の少し前から、その内容の変化を感じてきたという。それはテレビが“コンプライアンス”に厳しくなったとされる時期だった。
「コロナ前ぐらいからですかね。誰にどう怒られたかは知らないんですけど、前まではお尻をお尻として撮っていたのが、だんだん映さないようにしようと。最後の方は、ほんとにこう、スタッフさんの苦労が…。このご時世なのでっていうことなんだとは思うんですよ。結局、スタッフさんの自主規制というか…。極力、お尻ネタはやめようという話になってきて、ガクンと出演本数が減りました」
どんなに話題になってもゴールデンタイムへの移行はせずに、深夜番組だからこそのネタで人気を博してきた『タモリ倶楽部』とはいえ、治外法権にはならなかった。
「寂しかったですね。『このネタ、こうやったら面白いのに』とか、喜んでくれんじゃないかなとか思ってたものが、できなくなってくる感じは…寂しかった。オープニングで女性の下着を押し出してんのにって(笑)」
インタビュー後編では、『タモリ倶楽部』終了を聞いたときの心境や、有田の現在、さらに「空耳アワー」やタモリ、安齋肇への思いを語る。