「“人に見られる自分が商品”に疲れた」表舞台を去った元メジャーアイドルが、セクシー女優になったワケ

0

2026年10月03日 16:01  日刊SPA!

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊SPA!

本城はなさん
大手芸能事務所のプロジェクトでアイドルとして活動し、グループのリーダーも務めた人気セクシー女優の本城はなさん。毎週の体重測定では厳しい体重管理を課され、選抜メンバーを勝ち抜くために誰よりも努力を重ねていた。
しかし、アイドル卒業後は人前に出ることすら避けるようになり、やがてセクシー女優へ。しかもデビュー作では、アイドル時代の衣装を再現したという。

なぜ彼女は、一度は辞めた「人に見られる世界」に再び戻ったのか? アイドル時代の裏側、そしてセクシー女優として「今が一番自由」と語る理由まで、赤裸々に明かしてくれた。

◆アイドル衣装を再現したデビュー作が話題に

――元アイドルグループ出身ということで、デビュー作のジャケットが、すでにネタバレしているんですよね(笑)。

本城:がっつり当時の衣装を再現しています(笑)。アイドル時代の衣装は、徐々にコンセプトが増えて完成されていったんです。最初は戸惑いましたけど、ロックテイストな曲を歌っていたので、カッコいい感じの衣装は好きでした。

――大手芸能事務所からデビューしたんですよね。そもそも、どうしてアイドルをやろうと思ったんですか?

本城:小学校6年生ぐらいのときに「アイドルになりたい」と思って、中学に入ってから事務所のオーディションを受けに行く生活をしていたんです。それで、中3の頃に受かったのが、そのアイドルのプロジェクトでした。

――当時、憧れていたアイドルはいたんですか?

本城:KARAのハラちゃんと、AKB48が好きでした。

――K-POPが日本に来たぐらいの時期ですね。

本城:そうです。

――子供の頃からアイドルになりたかったんですか?

本城:人前に立つことがすごく好きでした。小学校の後半からダンスを習い始めて、ダンスの大会には出ていました。

――「人前に出て、見られたい」みたいな気持ちは、どこから生まれたんでしょうか?

本城:自分が作り上げたキャラクターになりきるのが昔から好きだったんです。例えばお遊戯会、学校行事でも、自分じゃないものになって輝くことがすごく好きでした。飛び出ていても認めてもらえる感じが好きなんです。

◆大手芸能事務所からCDデビュー

――顔も可愛いし、アイドルになる素質は余裕であったわけですね。アイドル時代はどういう活動をしていたんですか?

本城:基本は都内のライブに出ていました。コンセプト的にアイドルのイベントにも出られるし、ダンスボーカルみたいなアーティストっぽいイベントにも出られたので、どちらにも出ていました。あとは毎月ワンマンライブをやっていて、数か月に1回、CDを出すという活動もしていました。CDを出したときは、関東内ですけど、いろんなところを回って、リリースイベントもやっていました。

――大手芸能事務所からのデビューなので、いわゆるメジャーデビューですか?

本城:大きなCDショップにも流通していたので、メジャーデビューです。

――グループのコンセプトとして、段階を踏んでデビューする仕組みがあったんですよね?

本城:メジャーデビューする前は、30人ぐらい候補生がいました。毎月、選抜テストがあって、その中から9人が選ばれるんです。その9人が、その月はライブに出られますよ、という感じで、サバイバルグループを売りにしていたんです。

――毎月、メンバーが変わるんですか?

本城:そうです。有名な芸能スクールに通っていた子も多かったので、そういう子たちはやっぱり見せ方も上手で、常に選抜に入っていました。その中で枠を争っていき、毎月メンバーが入れ替わるんです。

――きついですね。

本城:めっちゃきつかったです。ライブに出れば出るほどスキルも身につくし、どんどん成長できるんですけど、ライブメンバー選抜テストに受からなければ、ライブにも出られないから、成長もほかのメンバーより遅れてしまうんです。そうすると、ライブに出ている子との差がどんどん開いていくので、いかにテストに受かって場数を踏むか、というサバイバルでしたね。

――選抜に入れないときは、レッスンばかりやっているんですか?

本城:レッスンばかりと、ライブメンバーに同行して、出ないけど見学だけするんです。

――それは屈辱的ですね。本城さんは、どのあたりまで選抜に入っていたんですか?

本城:私は最後のほうに入ったメンバーなんです。その中で、ほぼ欠かさずライブに出られるようになっていました。

◆9人分の歌割り、フォーメーションを覚えて選抜メンバーに

――ライブメンバーは、どういう基準で選ばれるんですか?

本城:事務所の方たちが、歌とダンスと、その見せ方で選んでくれるんですけど、私は歌に関しては本当に初心者というか、できなかったんです。でも、ライブに続けて出られるようになったきっかけがあって、大事なライブのときに、選抜メンバーの子が体調不良で出られなくなっちゃったんですよ。私は、どこの枠に入ってもいいように、みんなの歌割り、フォーメーションを9人分全部覚えていたんです。

――9人分を?

本城:9人分です。だから、次の日、そこに入れたんです。事務所の人も「こんなに頑張っているんだ」って認めてくれて、そこからライブに出られるようになりました。

――選ばれる人って、そういうエピソードが必ずありますよね。

本城:確かに(笑)。歌とダンスでは、ほかのメンバーには絶対に勝てないから、私が勝てるところといったら、そういう地道なことを続けたり、覚えたりするしかなかったんです。

――運も味方になってくれたんですね。

本城:確かに、そうでしたね(笑)。しかも、大きめのライブだったので、頑張りました。

――ファン投票ではなく、事務所の人が選ぶのは斬新ですね。

本城:ファンから人気があったとしても、ライブ活動やレッスンをしていく上で態度が悪かったり、挨拶ができなかったり、ほかのメンバーをいじめたりすると、どんなにスキルがあっても落とされていました。

――完全実力主義ですね。同時に学校にも通っていたんですよね?

本城:学校に行って、部活に行って、レッスンという生活でした。テニス部では副部長だったんですけど、徐々に部活には出られなくなったんです。芸能活動が最優先だったので、部員たちにはちょっと申し訳なかったですね。

――学校、アイドル、部活と、3つともやるのは大変じゃないですか?

本城:大変だったんですけど、私が本気で頑張ろうと思えたのは、アイドル活動が人生で初めてだったんです。学校生活や習い事は、ちょっとやればそれなりにできちゃう感じだったので、あまり頑張っていなかったんです。それで、学校生活に退屈していたんですけど、ちょうどアイドルという夢ができて、そこに向かっていったことで、いろいろ変わりました。

――認められたから、やる気が起きたんですね。

本城:学校のテストみたいに、「これは間違い、これは正解」とはっきり答えがあるわけではなくて。「自分が商品」という芸能界には正解がないから、すごく魅力的な世界だったんです。

――売れることが一つの結果として正解ではあるけど、そこにたどり着くまでの道のりって、わからないですもんね。そういうことを考えながらやっていたんですか?

本城:考えるのが好きでしたね。わからないまま頑張ることは絶対にできないから、突き進むためのモチベーションを絶対に作り上げてから走るタイプでした。

◆アイドル時代は156センチで38キロを維持

――「当時は大変だったな」「芸能界って厳しかったな」と思うことはありますか?

本城:一番きつかったのが、毎週の体重測定です。あとは、年頃の女の子たちなので、メンバー同士のいざこざみたいなのも常にあって辛かったですね。

――体重測定はギリギリ、ハラスメント行為ですよね。何キロ以下とか、そういう基準があったんですか?

本城:当時は156センチだったので、「40キロぐらいがいい」と言われていました。私はグループのリーダーだったので、メンバーへの示しをつけなきゃいけないし、スタッフさんにもちゃんと示さないといけなかったので、指定された体重からマイナス2キロを絶対に維持している時期がありました。

――38キロですか! ガリガリですよ。

本城:私は筋肉質で体重が重めなんです。だから、その時はすごく痩せすぎていたと思うんですけど、意地になって、「絶対に40キロは超えちゃいけない」って律していました。ほかのメンバーも頑張っているし、私も引っ張っていかなきゃいけないから、「自分がもしこれでオーバーしていたら、何も言えないな」と思っていたんです。だから、体重を減らすことはめちゃくちゃストイックにやってました。

――スリムなほうが売れるからという狙いだったんですか?

本城:テレビカメラに映ると、太く見えるんですよ。それにメンバー全員の背丈が一緒なので、全員の体重が合っているほうが見栄えがいいんです。なので、みんなで同じぐらいの体重になるように頑張ってました。

――具体的には、どうやって体重を落としていたんですか?

本城:食べないとステージに立っていられないから、食べてはいたんですけど、給食ではなくて、自分が作っていたカロリー制限したお弁当を食べていました。それに、レッスン後は帰宅して若干ご飯を食べるんですけど、その後は近所を何十分も走り、とにかく運動量を増やしていました。帰り道も電車も、1駅分は歩いたりもしていました。

◆グループのリーダーとして背中で引っ張る

――途中から入った本城さんが、どうしてリーダーになれたんですか?

本城:人を引っ張ることが好きだったので、それを見てくれていた事務所の方から、「リーダーになり、みんなをまとめ上げて引っ張ってほしい」と言われて、リーダーをやることになりました。

――メンバーは同じぐらいの年齢だったんですか?

本城:みんな同じぐらいの年齢でした。

――本城さんの言うことは聞いてくれたんですか?

本城:いや、年齢が近いから聞いてくれなかったんです。本当に揉めてましたね(笑)。話しても埒が明かないので、私がやれることをやって、背中を見せるような引っ張り方を理想としていました。周りにいた大人たちのカッコいいところを真似しながら生きていましたし、話し合いはしていました。「今はわからなくてもいいけど、いつかわかってくれたらいいな」みたいな気持ちで話していました。

――そういう達観した性格は、どこで形成されたんですか?

本城:どこなんだろう? 確かに当時から達観していましたね。あと、心理学、哲学、行動心理学の本がすごく好きで、「なぜその行動が生まれるのか」とか、人それぞれの思想にすごく興味があって、そういう本を読み漁りながら、私の好きな思想、心の持ち方を作り上げていった感じです。

――本を手に取るきっかけがありますよね。どこで興味を持つようになったんですか?

本城:ターニングポイントなんですけど、小学6年生のときに母から本をもらったんです。それまで読書が大嫌いだったので、「こんな分厚い本、読みたくない」と思ったんですけど、読んでみたら、どハマりしました。そこから、本を読み漁るようになったんです。最初に読んだのは『ザ・シークレット』という、いわゆる自己啓発本みたいなものでした。それを読んで、「生きていく上で、知らなくてもいいことかもしれないけど、知っていたらもっと飛べるよね、羽ばたけるよね」と思ったんです。そういうことを知ることで、健全に心を保てそうな気がして、本が好きになりました。母のおかげですし、本はあったからこそ、グループを引っ張っていけたと思います。

◆芸能界の「黒い噂」を実感

――あと、大規模アイドルフェスにも出ていましたよね。

本城:出てました。登竜門的なフェスだったので、毎年出られてよかったです。でも、野外は暑く過酷なフェスでしたよ(笑)。

――当時のライバルグループはいまでも活躍していますか?

本城:一緒に対バンしていたグループは、まだ少し残っています。私は高校が芸能の学校だったので、クラスメイトがジャンルを問わず、今でも活躍しているので、「頑張ってるな」って、嬉しく思いながら見ています。

――今でも印象に残っているステージはありますか?

本城:3rdシングルまで出したんですけど、その3rdシングルを出した頃のワンマンライブですね。原宿のホールでやったワンマンライブがあって、めちゃめちゃよかったんです。メンバーみんなで同じ目標に向かって走っていって、ファンの方たちも盛り上げてくれて、まさに一致団結していました。そのライブは、今でもずっと覚えていますね。

――達成感はありました?

本城:チケットも売れたし、達成感はありましたね。

――芸能界って、ちょっと汚いなと思ったことはありますか?

本城:今思うと、私たちのグループは、礼儀を叩き込まれたり、ファンとの接し方や距離感の保ち方を教えてもらったりと、周りの大人たちにすごく守られてたんです。年頃ということもあって、胸の谷間を一切出さないとか、性的な部分でも守ってもらっていました。でも……。

――でも、なんですか?

本城:私たちのグループはなかったけど、周りにはやっぱりあるんですよね。いいポジションを取るため、チャンスを獲得するために……、なんていうんだろう……。

――枕営業ですか?

本城:そういう話は、ちょいちょい聞いてました。最初は都市伝説だと思っていたんですけど、芸能界にいる中で、「伝説じゃないんだ。本当にそういう売り出し方、席の取り方があるんだ」って現実に感じましたね。

――結果論なのかもしれないですけど、枕営業をして、今も残っている人が多いのか、それとも、使い捨てにされている人が多いのか、どっちですか?

本城:すぐ消えちゃう人が多い印象です。

――そうでしょうね。

本城:切ないですよね。売れるためにそれをしたけど、頑張り方って、そっちじゃないじゃないですか。

――1回やっちゃうと、それ以上、売りにするものがなくなりますからね。

本城:悪循環ですね。売りたくもない性を売ったけど、それは実力じゃないから結果が伴わないんでしょうね。そこで実力を持っていたら、上にいけるのかもしれないですけど、消えてる人が多い印象です。

――本城さんが、アイドルを卒業したのはどうしてですか?

本城:頑張りすぎちゃって、やりきってしまったんです。それに病んじゃったんです。

◆「人に見られる自分」に疲れて病に

――どうして病んだんですか?

本城:小学生の後半からずっと人前に立っていたからこそ、「人に見られる自分が商品」ということに疲れちゃったんです。人前に立ちたくなくなっちゃって、プライベートでも「写真を一緒に撮ろう」と言われると、それすら撮れないぐらいになったんです。とにかく隠れたくて、人前に出たくなくて、ステージに立ちたくなくなりました。

――休養宣言をしたんですか? それとも急に辞めたんですか?

本城:最後はちゃんとステージに立って、ファンの方たちにも挨拶をしました。でも、それ以降は一切、表に出ていなかったんです。高校卒業時だったので、タイミング的にも将来を考える時期だったんですよ。

――視線恐怖症みたいな感じですか?

本城:それに近いかもしれないです。自意識過剰とかではなくて、人からの目線に敏感なんです。ステージに立っているときは「見て!」ってなるんですけど、プライベートでは基本、「本当にもう見ないで」って感じなんです。ただ、アイドルを辞めてからも、芝居はずっと習っていました。でも、アイドルを卒業してからはSNSもやっていなかったし、人前には本当に出ていなかったです。

――病院には行ったんですか?

本城:その頃にいろいろとこじらせて、病院に行ったら、双極性障害と摂食障害って言われました。

――摂食障害もですか?

本城:アイドルって、そうなりがちなんですよね。私はめちゃめちゃ太ることはなかったんですけど、病むと一切食べなくなるタイプだったんです。精神科に通わざるを得なくなって、「私がなぜ精神科に?」って思いましたよ。それまで何でも「気合だろ!」みたいな感じで生きてきたから、病院に行くようなタイプではなかったんですけど、行かざるを得ない状況になってしまったんです。でも、そこで出会った精神科の先生が、すごく優しい女性だったんです。その先生のおかげで、「病院にふらっと来て、喋っていいんだ」と思えて、力の抜き方を知りました。

――その間は働いていたんですか?

本城:女性限定の美容サロンで、受付の仕事をしていたので、異性と一切関わらない、異性の視線を受けない環境にいました。

――男性の視線は、街の中でも気になりますか?

本城:気にします。あと、接客業は好きなんですけど、異性を迎え入れる仕事だと、ナンパされたり、声をかけられたりと面倒なことが多いじゃないですか。それをいちいち断るのにも疲れてたので、女性限定の美容サロンで働いてました。

――業務と関係のない、余計なことに気を遣いたくないですよね。

本城:断るのが苦手だったんですよ。適当に流していたせいで、陰湿なストーカーとか生まれちゃうことも多かったんです。

◆勢いと覚悟でセクシー女優へ

――そこから、どうしてセクシー女優になったんですか?

本城:セクシー女優って圧倒的に可愛くて、色気があって、もともと好きな世界でもあったんです。それに、同じ事務所の先輩である小倉由菜さんのファンだったんです。業種が変わることや、ずっと人前を避けてきたこともあって、いろんな意味でファンに示しがつかないなと思っていたので、最初はデビューするつもりはなかったんですよ。でも、事務所に来て話を聞いたら、「頑張っちゃおうかな。頑張るか!」みたいな感じで、勢いと覚悟で踏み切りました。

――最近は有名アイドルグループからセクシー女優になる人が多いんですが、意識はしますか?

本城:意識はしましたね、むしろ、同年代のアイドルからセクシー女優になった子がいると、「行って大丈夫なんだ」って安心もしましたし、セクシー女優でも頑張っている姿を見られるのは、やっぱり嬉しいんですよね。どんな形であれ、ちゃんと芸能の道を全うしているというか、そこに突っ走っている姿は好きですね。

――アイドルをやってたことによるプラス、もしくはマイナスってありますか?

本城:挨拶、喋り方、カメラの映り方、キャラへの入り方など、アイドル当時に培ったものは、無駄じゃなかったなって思います。気づいてなかったけど、「アイドル時代に頑張っていたんだな」って思うときがあります。

――セクシー女優になってから、当時のファンに何か言われましたか?

本城:デビューするとき、アイドル当時を知ってた人にも情報がいったんですけど、「頑張れ」って言ってくるタイプと、めちゃくちゃに貶すDMを送ってくるタイプに分かれてました。それに対して耳を塞ぐつもりもなかったけど、「やっぱりそうだよな、そう思うよな」みたいな、辛辣なコメントはすごい多かったです。

――多かったですか?

本城:デビュー作品がアイドル当時の衣装に似せて作っていたので、当時の芸能事務所が様々な情報を削除しました。

――そういうところはマイナスですね。アイドル時代の自分とセクシー女優をやっている今と、どっちが本来の自分を出せていますか?

本城:今ですね。良くも悪くも一人なので、全部自分に返ってくるから、ある意味、自由にできるじゃないですか。縛られていないから、のびのびできている感覚があります。

◆我慢をやめて自由になれた理由

――セクシー女優になってよかったなって思った瞬間ってありますか?

本城:大食いなんですけど、我慢せずに食べられることと、稼ぎが増えたことは嬉しいです。それに、可愛い女の子が大好きなので、ほかの女優さんと共演して、可愛い子に会える瞬間は超幸せです。

――先日、久しぶりにライブのステージに立ちましたけど、どうでしたか?

本城:8〜9年ぶりにライブのステージに立ち、ステージって楽しいなって思いましたね。緊張もすごかったけど、私はステージや人前に立つのが好きだって、改めて実感しました。

――女優以外にもいろいろ幅が広がっていると思うんですけど、何かやりたいことはありますか?

本城:呼ばれる現場なら、ジャンル問わず、バラエティ、ドラマ、映画でも出たいんですけど、セクシー女優なので、あまりでしゃばりたくはないんですよ。でしゃばりたくはないけど、私が呼ばれたところでは精一杯頑張りたいなと思ってます。

――アイドル時代の自分に、何か声をかけるとしたら?

本城:「もっと自分を大切にして」って言いたいです。

――どういう意味で?

本城:「私が我慢すればうまくいく」っていう考えだったので、出すべきものもしまい込んで、疲弊したり、自爆したりすることが多かったんです。だから、自分の意見や、やりたいことをもっと尊重して、大切にした上で活動していたら、もっと楽だったし、もっと物事がうまく回っていたと思うんです。「そんなに意地っ張りにならなくていいのに」って伝えたいです。

――当時はどうして我慢していたんですか?

本城:目標はずっと、「売れたい」っていう気持ちだったんです。でも、その中で意見がぶつかることはどうしてもあるじゃないですか。そういう時に、どうしても抑えてしまっていたんです。でも、今思えば、言っていかないと苦しくなるし、病みますよね。だから、過去の自分には自由でいてほしいです。

――そういう意味でアイドルからセクシー女優になり、充実していますか?

本城:何にも囚われてないので、今はすごく自由でいられます。昔は自由にこだわりすぎて、逆に他人からの視線や評価を避けるために閉じこもってしまうジレンマを抱えていたんですけど、今は思ったままに行動できるので、フリーというか、ノーストレスで自分らしく表現できることが多いです。そのほうが個性も伸びると思うので、今のほうが自分らしく生きています!

【本城はな】
X:@mines_hanahonjo

<取材・文・撮影/神楽坂文人(X:@kagurazakabunji)>

【神楽坂文人】
世界一セクシー女優を取材しているカメラマン、ライター、インタビュアー。元成人誌編集者のため、最後の砦として活躍中。年間イベント取材数300本超え! 年間インタビュー数200本超え! バイクで都内を駆け巡り1日で複数の仕事を受けている。X(旧Twitter):@kagurazakabunji

    ニュース設定