
『アントニオ猪木の人生相談! 風車の如く』��燃える闘魂��が悩みに答えた人生相談
還暦を迎えた『週プレ』の歩みを、全3回でたどる大型企画がスタート! 第1回は、創刊から60年間、誌面を彩ってきた名物連載の数々をピックアップ。創刊50周年記念特集も執筆した、博覧強記のノンフィクション作家・前川仁之氏が総ざらいする!
【産声から還暦まで】
『週刊プレイボーイ』は、事前に大橋巨泉が深夜のラジオ番組『プレイボーイ・クラブ』(集英社提供)で予告をし、シコルスキーS−55型ヘリが「新男性週刊誌 プレイボーイ誕生」と書かれた巨大な垂れ幕をぶら下げて飛び回る、今では考えられない攻めの宣伝を経て産声を上げた。
1966年10月28日、金曜日。発売日には昼休みの時間に合わせて、再び宣伝ヘリを飛ばすという念の入れようだった。そのかいあってか、創刊号は各地で売り切れ店舗が続出。40万部刷って、売上率98.9%という上々のスタートダッシュを切る。
当時は今よりも海外がずっと遠かった時代。〈国際感覚の週刊誌として、アメリカ・フランス・イタリアの代表的外国男性誌と提携、豊富な海外取材網を動員〉と誇っていた(『新刊展望』12月号の広告より)。
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創刊期の『プレイボーイ』は、意気揚々と男子高校に赴任した若手教師にたとえうる。彼は教養豊かで海外の事情にも通じ、なおかつ遊び慣れていて、男子諸君をおもしろがらせつつ、いっぱしの�爛廛譽ぅ棔璽き瓩悗鳩写悗靴討笋蹐Δ板イ蠕擇辰討い拭�
ところがすぐに、自分の方針と、生徒たちの欲求との細かいズレを感じ、逆に自分が教わることになる。
例えば、海外モデルの写真もいいけど、もっと身近なおネエチャンの話題が欲しいとか。
例えば、独占掲載権獲得の海外ノンフィクションより、独自取材の国内報道が読みたいとか。
そうしたニーズに応じ、時には読者発案の企画を採用したりして、最初の1年で誌面は大きく成長した。
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そして創刊2年目に、世界各地でスチューデント・パワーが爆発する1968年を迎えるのである。日本でも学生運動が激化。若者のための雑誌である『プレイボーイ』がこれを放っておく手はない。
きらびやかな国際色とほこりっぽい国内地べた色とが、多少の催涙ガス弾臭と共に混ざり合い、雑誌としての足腰は鍛えられ、その人格はほぼほぼ仕上がるのであった――。
創刊60年。還暦を迎えた『週プレ』の歩みを、一緒に踏み直してみよう。初回は名物連載の60年をたどる!
【<エッセー>作家、役者、歌手が熱く人生指南!】
変幻自在、融通無碍(むげ)、虚々実々。なんでも語れるエッセー連載は雑誌の花形。ましてや初期は�爛廛譽ぅ棔璽き瓩魄蘋�するという使命を割とガチで担っていた。というわけで連載エッセーの歴史は石原慎太郎の『プレイボーイ哲学』(66年創刊号〜69年1号?)に始まる。
連載開始当初34歳の石原は、若手文化人兼二枚目のスポーツマン、当然女性にも大いにモテる、という読者の良き兄貴分としてこれ以上ない適役だった。
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彼が大人の男としての生き方を説く連載は、自信と矜持(きょうじ)あふれる語り口といい、妥協なき目標設定といい、当時の若者に大きな刺激を与えたのだった。〈プレイボーイたるもの、外国語は二つは出来なくちゃならない〉とか、なかなかにハイレベルでしょう?
同じ人生指南系エッセーでも、ブラックユーモアが得意な阿刀田高(あとうだ・たかし)を起用した『新入社員のための不道徳スレスレ常識集』(74年7号〜16号)は、徹底して利己的な個人主義を勧める。
そこに往年の�爛廛譽ぅ棔璽き瓩了僂呂覆ぁ�とはいえ、ホイジンガの引用や、先輩作家・森村誠一がサラリーマン時代に編み出した「サボリの方程式」を紹介するなど、さすがは後の直木賞作家。目配りが利いている。
同連載の誌面中央に置かれた1コママンガは東海林(しょうじ)さだお。数年後には椎名誠と共に�狆赦揃敘�体�瓩魎�揚げするエッセイストでもある。時代の色が強く出ている。
70年代の終盤には、『岬』で戦後生まれとして初の芥川賞を受賞した作家の中上(なかがみ)健次が『メッセージ特急便「RUSH」』(78年25号〜49号)を始める。中上はひたすら硬派だ。
半年間の短い連載には、天才作家の自負とてらいと優しさがのぞくメッセージが詰まっている。最終回から引用しよう。〈期待するのは、いままだ十代の、おまえだ。叛乱(はんらん)出来る最高の条件をそなえていると言おう。否定した方がよい。破壊した方がよい〉
『中上健次 メッセージ特急便「RUSH」』芥川賞作家が10代に「叛乱」を呼びかけた、硬派な半年間の連載
少年たちの反乱をあおる中上の熱さを置き去りにし、時代は百花繚乱、ノンポリ有理の80年代に入る。エッセーの名手・どくとるマンボウ北杜夫(もりお)が『マンボウ・スポーツ記』(後に『躁快(そうかい)記』に改題。81年2-3号〜36号)で自身のこだわりや独立国建国の舞台裏をつづる。
同時期に人気アナウンサー・鈴木健二が『男は20代に何をなすべきか』(81年43号〜82年22号)を書き、人生指南系エッセーのバトンをつなぐ。西川きよしや三國連太郎のいちもつのサイズをはじめ、役者人生の裏話を語り下ろす西田敏行の『みんな役者やのう!!』(84年42号〜85年16号)もあった。
『西田敏行 みんな役者ヤのう!!』三國連太郎らのいちもつのサイズなど、役者人生の裏話を披露
名物連載は数あれど、この時代の日本社会と編集部の空気を象徴するのはこの人の連載ではなかろうか。過激な実況でリングサイドを言葉の洪水に浸し、時の人となっていたアナウンサーの古�澎肪力�だ。
彼がよろずのテーマを実況スタイルで語り下ろす『森羅万象実況エッセー』(84年18号〜85年8号)は、内容よりも語り口が大事だという、良く言えば遊び心に富み、悪く言えば軽佻(けいちょう)浮薄で、テキトーにスカして言えばポストモダンな時代の象徴だろう。
その古�潺▲覆�「慈しむように闘っている!」とリングサイドで絶叫した88年のIWGP、対藤波辰爾(たつみ/当時・辰巳)戦を引き分けに終えた後のアントニオ猪木が『語りおろしエッセイ 闘魂記』を翌年まで連載。後に人生相談『風車の如(ごと)く』(01年42号〜04年3号)も連載していた。
ところで、HOUND DOGの大友康平が「週刊プレイボーイ愛読者会長」だったって、ご存じの方いました? 彼の語り下ろし連載『大きな友だち』(90年47号〜92年10号)によると、どうもそうだったらしい。初耳!
さてさて、石原慎太郎に始まる男の人生指南系は21世紀に入っても、短期集中連載『矢沢永吉に学ぶオンリーワン哲学』(05年34-35号〜38号)や、伊集院静の『大人のカタチを語ろう。』(16年47号〜18年53号)などへと受け継がれてゆく。
【<小説/マンガ>レジェンド作家が書き下ろし】
『プレイボーイ』は創刊当初から連載小説に力を入れていた。オープニングメンバーは梶山季之(としゆき)と平岩弓枝。この両名を皮切りに、筒井康隆、赤川次郎、夢枕獏、北方謙三、船戸与一、村上龍らのビッグネームが作品を寄せている。
文体の業師、橋本治の『マドギワ語訳「徒然草」』(89年19号〜38号)も連載小説に数えてしまってよいだろう。急死したカリスマミュージシャン、尾崎豊の未発表小説『幻の少年』(99年42号〜45号)を独占掲載したこともある。
『尾崎豊 幻の少年』急逝したカリスマミュージシャンの未発表小説を独占連載した
だが、紙数の限られた拙稿ではどうしてもここから始め、ここで締めねばいかんという二大巨頭がいるのですな。
三島由紀夫の『命賣ります』(68年20号〜40号)。現在ちくま文庫で読みやすく刊行されているこの長編は、三島文学は初めてという方にオススメしたいくらい、エンタメ的におもしろい。
実は三島と編集部との接点は、創刊前から続いていた。『プレイボーイ』の兄貴雑誌に当たる『週刊明星』。1958年、その創刊に当たって目玉連載が欲しいと考えた当時の編集長・本郷保雄は、三島に直々に頭を下げに行った。
その際、「私は先生の作品はひとつも読んでおりませんが......」と切り出したという。正直な本郷にかえって好印象を抱いた三島が『明星』で連載したのが、エッセー『不道徳教育講座』だった。
そして、その本郷が創刊を後押ししたのが『プレイボーイ』だった、と追っていくと、大作家を巡る仁義と人情が浮かび上がってくる。
一気に飛んで21世紀最初の連載小説。東野圭吾の『幻夜』(01年19-20号〜03年16号)だ。この連載を読むために『週プレ』を買う人が筆者の身近にも現れるほどの人気作となった。
創刊間もない頃には、書き手を代えてつなぐリレー連載のような実験も行なっていた『プレイボーイ』。創刊40周年記念に実現した『「こち亀」ミステリー』(06年42号〜07年11号)は世の編集者をとこしえにうらやましがらせるであろう、超豪華連載だった。
大沢在昌、石田衣良、今野敏、柴田よしき、京極夏彦、逢坂剛、東野圭吾と、日本推理作家協会の大先生たちが、両さんたちとコラボする連載小説だ。
『こち亀ミステリー』両さんと推理作家の大先生たちがコラボした超豪華企画
マンガも忘れてはいけない。初期の頃は、短めの連載をテンポよく交代することが多かった。高倉健が『昭和残侠伝』シリーズで男性諸君を熱狂させていた頃には、任侠マンガが得意な川田みつるを起用し『博徒七人』(笠原和夫原作。69年39号〜43号)を連載するなど抜け目ない。
だけど、マンガはどうしても、画ありきのジャンル。こんなに字だらけの拙稿で扱うのは申し訳ない!と言い訳して、『男一匹ガキ大将』で草創期の『少年ジャンプ』(現『週刊少年ジャンプ』)を支えた本宮ひろ志が対象年齢を上げて連載した『俺の空』(76年1号〜78年47号)を代表的な作品として挙げるにとどめる。
【<人生相談>60年を彩った超看板連載!】
前述した石原慎太郎の『プレイボーイ哲学』と共に、創刊期の『プレイボーイ』をツートップで牽引したのがシバレンこと柴田錬三郎の『人生相談〈キミはやれ、俺がやらせる〉』(78年21号〜46号)。
『眠狂四郎』シリーズなどで剣豪小説に一時代を築いたダンディなシバレン先生が、読者の悩みに答えてゆく。〈先生、はじめてキッスするにはどうすればいいのですか〉という高3男子の相談に〈唇へ口をくっつければいいだろう〉と快刀乱麻を断つ剣さばきを披露し、小説さながらの読み味が楽しめる。
こうして始まった人生相談連載は、回答者を代えて綿々と続いてゆく。
遠藤周作の『よろずぐうたら相談室』(74年1号〜40号)、闘病生活の中、最晩年まで続けた今東光(こん・とうこう)の『極道辻説法』(75年36号〜77年34号)。そして、開高健の『風に訊(き)け』(82年27号〜51号)で、人生相談は百科全書風の貫禄を持つに至った。
開高文豪の知識と経験の引き出したるや......。〈若者の若者たる意味は、森羅万象ことごとくに好奇心をいだくこと〉を地で行く人だったんだろうなあ。また、元祖プレイボーイと呼ばれた野坂昭如(あきゆき)も人生相談を連載している。
『開高健 風に訊け』知識と経験の引き出しが圧巻。週プレ人生相談連載における金字塔
人生相談を担当したのは作家だけではない。石原慎太郎の弟、石原裕次郎は『元祖太陽族・人生問答 石原裕次郎のスーパーライヴ直伝』(81年21号〜51号)で意外な繊細さと人間洞察の深みを見せてくれる。
『石原裕次郎のスーパーライヴ直伝』大スターが意外な繊細さと人間洞察を見せた
また、21世紀の今も新たなファンを獲得し続けている現代芸術の巨匠による『鬼才・岡本太郎のにらめっこ問答』(79年1号〜81年19号)は、毎回描き下ろしで漢字一文字のカリグラフィーを添える豪華仕様。
言葉のほうもさすがで、〈世界があってこそ自分があるという�猝椨瓩�ないから、排他的になるんだ〉〈ロボットの支配より人間のロボット化の虚しさのほうが心配だ〉など、見出しを拾うだけで格言集ができちゃいそう。
『岡本太郎のにらめっこ問答』毎回描き下ろしの漢字を豪華連載
ほかにも、坂本龍一が教授ではなく�爛汽ぅ貝瓩箸靴董�読者の悩みを診察する『質問病棟』(89年33号〜52号)、ギャグの王様にしてタモリの�犧郤圻瓩任△�赤塚不二夫の『これでいいのだ!』(94年25号〜50号)、松山千春の『天下無敵』(96年49号〜99年18号)、戦後最大の思想家なんていわれていた吉本隆明が相談に答え、糸井重里が構成する『悪人正機(あくにんしょうき)頁』(99年19-20号〜00年1-2号)、久方ぶりに�爛廛譽ぁ察鮫瓩離織ぅ肇襪�冠された松本人志の『プレイぼーず』(99年41号〜00年21号)、武田鉄矢の『バカチンに捧げるバラード』(04年38号〜05年41号)など、多士済々の至れり尽くせり。
『坂本龍一の質問病棟』教授ではなく��サイコ��として読者の悩みを診察した人生相談
初期の大作家先生のように全方位的な教養をお持ちの方ならいざ知らず、人生相談の回答者は自分の専門やキャラクターに寄せて答えてくれるのが唯一無二の味になる。
例えば、先の大戦の撃墜王、坂井三郎の『大空に訊け』(94年6号〜19-20号)では、人生を空中戦にたとえたり、貴重な戦中の体験をひっぱり出して真摯に答えている。
さらには回答者の専門に特化した連載も組まれた。
異色の経済アナリスト・森永卓郎の短期集中連載『デフレ人生相談』(03年43号〜46号)は給料や経費についてなど経済がらみの質問を受け、加藤鷹&川奈まり子の『性春グチョグチョ診察室(クリニック)』(01年42号〜04年14号)は身の上相談ならぬ�狄箸硫質蠱稔瓩鮴賁腓砲靴討い拭�
『加藤鷹&川奈まり子の性春グチョグチョ診察室』身の上ならぬ身の下相談連載
夏季限定の短期ながら、杉本彩の『「オーガズムズム」人生相談』(04年33-34号〜37号)は〈恥ずかしいことなら、聞いてあげる〉と宣言している。
ほかにも多彩な人々がつないできた人生相談の伝統。現在は、マルチタレントのリリー・フランキーが対面で読者の悩みに応じる『人生相談』(06年23号〜)が20周年! 今後も奮ってご応募ください。
『杉本彩のオーガズムズム人生相談』「恥ずかしいことなら、聞いてあげる」と宣言した短期連載
【<時事系コラム>国内外問わず、社会問題を撃つ!】
国内外を問わず、リアルタイムに政治や社会問題に切り込むコラムを、まとめて時事系と呼ぼう。
創刊期の60年代。『プレイボーイ』の国際情勢を見る目を鍛えたのが敏腕ジャーナリスト大森実の人気連載『東京レーダー』(後に『えんぴつ巷談(こうだん)』に改題。66年12月13日号〜不明)だ。
この系統の連載はその後、ニュースキャスター・鳥越俊太郎の『こちら国際社会部』(91年41号〜92年38号)があるくらいで、一時、鳴りを潜める。毎号特集を何本も組んでその都度識者の話を聞く、というルーティンが確立されてからは、ジャーナリストや評論家による時事系コラムを用意する必要がなくなったのかもしれない。
その代わり、爆笑問題の『世紀末ジグソーパズル』(98年8号〜01年32号)、ホリエモンこと堀江貴文とひろゆきの対談連載『なんかヘンだよね』(11年10号〜21年19-20号)のように、ほかの分野で活躍する人々に時事を談じてもらうスタイルの連載が増える。
そして、小回りの利く1ページコラムが定着するとともに、国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンの『挑発的ニッポン革命計画』(15年6号〜26年7号)など、識者が内外の時事を論じる連載が、多様化する社会問題を迎え撃つ態勢を固めるのだった。
モーリー氏は今年1月に食道がんで急逝するが、最後の最後まで連載を続けた。たくさんの知的刺激をありがとうございました。
【<カルチャー・スポーツ>野球もサッカーもレジェンドが執筆!】
最後にそのほかの連載の60年を見ておこう。今とは比べものにならないくらい情報が少なかった60年前、『プレイボーイ』は立派な情報源だった。スポーツ、映画、ヒット曲、オススメのバー、各種コンサートのスケジュールなど、今を楽しむための情報がみっちり詰まっていた。ドライブコース、競馬予想ほか、遊び方指南も充実している。
執筆陣の中には、後から見ると豪華だな、と目を引く名前もある。『Hit Disk』(不明)で音楽を紹介していたのは『ニューミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』)誌を創刊する前の中村とうようだ。
江本孟紀(たけのり)の『プロ野球おもしろ放談「エッモッ、ズバリ言っちゃえ!!」』(84年15号〜不明)は、プロ野球OBが野球を語る連載のさきがけ。江夏豊の『アウトロー野球論』(97年19-20号〜)は来年で30周年を迎える現役最年長連載だ。
ちなみに、66年にドラフト1位で阪神入りを決めた江夏さんと週プレはいわば同期。確認される本誌最初の言及は1967年24号の「新人王候補に江夏躍進」で、〈江夏の一番のよさは、ものおじしない強心臓である〉と、栴檀は双葉より芳しの大物ぶりが見抜かれていた。
『江夏豊のアウトロー野球論』来年で30周年を迎えるレジェンド左腕の超長寿連載
元プロ野球選手の連載といえば、長嶋一茂の『突撃!となりの必殺技』(01年42号〜不定期?)がすごい。当時、極真空手の茶帯だった一茂が、プロ格闘家の元を訪ね、戦い、対談する企画だ。
初回のお相手はなんと、2階級制覇を果たしたプロボクサー・畑山隆則! 3Rのガチスパーを戦い抜いた一茂は、チャンプをして<今まで、あんなに固いボディ叩いたことないですよ>とまで言わしめた。今なら動画配信でバズりまくってそう。
『長嶋一茂の突撃!となりの必殺技』極真空手茶帯の一茂がプロ格闘家と戦い、対談する珍企画
日本のプロスポーツとしては野球よりずっと出遅れたサッカーだが、今や押しも押されもせぬ人気スポーツ。Jリーグ草創期からのスター選手、前園真聖(まさのぶ)の『サッカー天国と地獄』(06年19-20号〜07年1-2号)、サッカー界のご意見番、セルジオ越後の『一蹴両断!』(07年5号〜25年1-2号)といった連載が、ファンのニーズに応えている。
有名人の3密状態みたいな記事になったが、これでも連載陣のほんの一部に過ぎない。しかも、連載は60年に及ぶ交遊録の中では少数派。週刊誌たるもの、単発の取材でお言葉をいただいた方々も含めると文字どおりきら星のごとく!の様相を呈するのだ。
というわけで、次回は週プレ60年のインタビュー名言集をお届けします!

