阿部記之監督×西尾鉄也氏 『NINKU-忍空-』対談―20年の時を超えて―前編

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2015年06月19日 18:52  アニメ!アニメ!

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左)阿部記之監督、右)西尾鉄也氏
テレビアニメ『NINKU-忍空-』は1995年から96年にかけて一年間放送され、子どもたちに大人気を博した。原作は桐山光侍氏が「週刊少年ジャンプ」で連載したマンガだ。
大戦後、帝国軍の圧政が続く世界で、忍術と空手を組み合わせた武術・忍空を体得する「忍空組」の元・一番隊隊長・子忍の風助、元・十番隊隊長・酉忍の藍眺(※)、元・六番隊隊長・巳忍の橙次、そして橙次の妹・里穂子、風助の友だちであるペンギンのヒロユキを合わせた4人と1匹が、何者かにさらわれてしまった風助の母を捜す旅をする。出会いと別れが数多く描かれた。
練り込まれた物語や、際立ったキャラクターが人気を獲得した。のちに『BLEACH』や『アルスラーン戦記』を手がける阿部記之監督、キャラクターデザイン・作画監督には『NARUTO-ナルト-』や『人狼 JIN-ROH』『スカイ・クロラ』の西尾鉄也氏、各話スタッフにはいまでは業界を代表するようなアニメーターの名前が並ぶ。

本作がBlu-ray BOXとなり、6月26日に第1巻、8月26日第2巻がリリースされる。アニメ!アニメ!ではこのBlu-ray BOX発売を記念して実現した阿部記之監督とキャラクターデザイン・作画監督を務めた西尾鉄也氏の対談を届ける。さらに当時を知る『NINKU-忍空-』プロデューサー・スタジオぴえろの萩野賢氏にも加わっていただき、ほぼ20年ぶりにじっくり作品を語った。
[取材・構成=細川洋平]
(※ 眺=正しくは月に兆)

「NINKU-忍空-」 Blu-rayBOX 公式サイト
http://www.ninku-box.com/

■ 『幽☆遊☆白書』からの流れではじまった『忍空』

―お二人が『NINKU-忍空-(※以下、忍空)』に関わられたきっかけを教えていただけますか?

阿部
僕の初監督だった『幽☆遊☆白書(以下、幽白)』の流れで、同じ制作班で「やってみないか?」という話だったと思います。『ナイフの墓標(※)』を作った時は、まだ『幽白』も放送中で同時進行でした。その当時はテレビシリーズの監督をできるのかは、あまり考えなかったと思います。
(※ 『NINKU‐忍空‐ナイフの墓標』。TVシリーズ放送前にジャンプスーパーアニメツアー’95で公開された)

西尾 
僕の場合は、プロデューサーの萩野賢さんに決め打ちでオファーしていただいたと聞いています。

萩野賢プロデューサー(以下、萩野P) 
どうだったかなあ。若いアニメーターでというのがあったんですよ。

―オファーを引き受けられた理由は?

西尾 
すごくおもしろいマンガでしたし、キャラクターデザインをやりたいという思いもありました。

阿部 
西尾くんは原作の絵からスタイリッシュにまとめたなと思いました。『幽白』の最後の方でもひときわ目立っていましたが、普段は別会社の方ですので、どういうキャラクターデザインを描く人なのか知らなかったんです。実際に『忍空』で上がってきたデザインを見て、全員が納得しました。


■ 西尾鉄也のキャラクター

―キャラクターデザインはスムーズに進んだのでしょうか。

西尾 
当初は北山真理さんが風助、藍眺、橙次をデザインして、比較的原作に寄った絵だったと思います。当時の僕は原作の絵を再現できない未熟さと、二十代半ばという鼻息の荒さも手伝って「俺の絵で描いてやるぜッ!」と描き上げました。
『ナイフの墓標』では初作監(作画監督)でした。カッコいい言い方をすれば初のキャラクターデザイン、初作監として、自分で最後まで責任の取れる絵で勝負したいなと考えました。いま考えると、暴挙ですよね(笑)。

阿部 
北山さんと西尾さんの絵の違いは僕は全然気にしてませんでした。『幽白』の時から各話で作監が違うと絵は違っていました。原画マンの西田寛治くんも暴れてたし。(笑)

西尾 
いい時代だったなあ(笑)。

萩野P 
『幽白』は特殊でしたよ。当時から他のスタジオはキャラクターをきっちり合わせていました。『幽白』はカッコいい動きを追求してたからそうなっただけで、決して何をやってもいい時代ではなかったんです。



■ 走りながら作り上げていった『NINKU-忍空-』

―ストーリー構成についても伺わせてください。第1話の冒頭で風助のお母さんがさらわれる時に敵の手首に入れ墨が見えます。それが一年後の放送時にキチンと伏線として回収される。ああいった物語はどうやって作られたのでしょうか。

阿部 
結構昔だから憶えてないなあ……(笑)。原作のテイストはそのまま使いました。ただ連載がまだあまり進んでなかったこともあり、「旅をする風助」など要素は限られていました。
僕が話をいただいた時には「最初から作りましょう」と。製作のフジテレビと読売広告社の方からは「戦後すぐの世界」「敵側である官軍を作って物語を進める」「敵との再決戦となるような話にする」とお題をいただきました。

―物語のゴールを設定してから作り始めたのでしょうか。

阿部 
走りながら作っていきましたね。今だから言えますが、戦争ものにするかロードムービーにするかでいろいろせめぎ合いもあったんです。
当時僕は30歳ぐらいで、戦争ものがやりたかった。ただ人情話としてのロードムービーをやりたいという声もあり、毎週ぶつかりながら作っていったのは憶えています。だからこそいろんなバリエーションのエピソードができたんです。

―西尾さんもキャラクター表を各話ごとに全て作っていったと伺いました。

西尾 
やってましたね。ロードムービーだからエピソードごとに村が変わるんですよ。新しい村の群衆キャラが必要になって、毎週のように傾向を変えて描きました。ネタが無くなるのにね(笑)。
面白いのは阿部監督と僕の想定していた世界観が全く違ったところでしたね。監督はヨーロッパを、僕はアジアの中国とか大陸っぽい泥臭い感じを想定していたんです。おかげでしょっちゅう監督からリテイクを食らいましたが、そのズレがいい化学反応になって不思議な世界観になっていますよね。

阿部 
普段はぴえろのスタジオにいないから、西尾くんがどれだけ苦労してひねり出していたか見てないんです。シナリオもコンテも読んでから描いているのに、上がってくるのはこちらから発注するより先なんです。今考えたらものすごくありがたい事ですね。

萩野P 
西尾さん自身は「そんなことない」っていうけど当時は怖ろしく上げるのが早かったんですよ。

西尾 
デザインという作業が楽しかったんでしょう。その代わり本編にあまり関われなかったのが少し心残りです。

―本編で作画監督として担当された回は15話と50話、“双堂健”名義でも7話を担当されていると思います。

西尾 
3回ですね。あとは『ナイフの墓標』と劇場版。原画は他にもぽつぽつやってます。デザイン作業でいっぱいいっぱいだったんですよ。子どもの頃はテレビを観ながら「キャラクターデザインの人にもっと作監やってほしいなあ」なんて思っていたんですけれど、「ああ、こういうことか。できんわ」と(笑)。

阿部 
そう考えると最初に『ナイフの墓標』をやれたのがよかったんだと思うんですよ。「西尾くんの『忍空』はこういうもんだ」と出せたし、みんなの共通認識、方向性としてちゃんと「西尾流の絵と世界」にもっていけたので。

西尾 
ありがたい話です。

後編に続く(6月26日アップ予定)

「NINKU-忍空-」 Blu-rayBOX 公式サイト
http://www.ninku-box.com/


左)阿部記之監督、右)西尾鉄也氏

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