『学校へ行こう!』復活に見るV6の魅力、そしてジャニーズ史における番組の意義

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2015年11月04日 00:21  リアルサウンド

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(C)タナカケンイチ

 あの『学校へ行こう!』が、今日11月3日19時からの3時間特番『学校へ行こう! 2015』(TBS系)として7年ぶりに復活する。


 V6出演の『学校へ行こう!』は1997年10月にスタート、放送時間は夜7時(後に夜8時)からの一時間というゴールデンタイムであった。途中『学校へ行こう!MAX』に衣替えし、2008年まで続いた人気番組である。「学校を楽しくしよう」という番組コンセプトのもと、さまざまなコーナーが企画され、評判を呼んだ。


 なかでも番組を代表するコーナーになったのが「未成年の主張」である。V6のメンバーが実際の中学や高校を訪れ、その学校の生徒が屋上から下にいる他の生徒たちに向かって日頃言えないことを主張するというものである。V6のメンバーは、モニターでその様子を見ながらツッコミを入れたり、自分のことのように共感したりする。毎回最後の主張は片想いの相手への告白になるのがお決まりのパターンでもあった。


 この『学校へ行こう!』への出演は、当時V6にとって自分たちの試金石と感じられていたようだ。メンバーのひとり井ノ原快彦は、番組開始当初「先輩のSMAPが『SMAP×SMAP』であんだけ高視聴率を取っているのに、「お前たちはダメだったか」と言われたくない」という思いがあったと述懐している。『SMAP×SMAP』が始まったのが1996年。その成功が間近にあり、彼らにかなりのプレッシャーとなっていたのがわかる。だから開始から1年4カ月を経てついに視聴率が15%を超えたとき、「やったあ!」という気持ちに井ノ原がなったというのもうなずける話だ(井ノ原快彦『アイドル武者修行』)。


 そんなSMAPとの関係だけでなく、今月デビュー20周年を迎えたV6は、ジャニーズの歴史のなかでも興味深い特徴のあるグループだ。


 メンバーは、年長組の「20th Century(トニセン)」(坂本昌行、長野博、井ノ原快彦)と年少組の「Coming Century(カミセン)」(森田剛、三宅健、岡田准一)に分かれる。1980年代後半の光GENJIを思わせるグループの構成である。その点では、先輩の成功例にならったかたちであり、ジャニーズのひとつの伝統を踏まえていると言える。


 ただもう一方でV6は、ジャニーズのパイオニア的存在でもある。1995年のデビュー曲『MUSIC FOR THE PEOPLE』は、「バレーボールワールドカップ」のイメージソングだった。これが最初となって、以後嵐、NEWS、HEY! SAY! JUMP、NYCboys、Sexy Zoneと同大会のイメージソングでデビューするグループが続くようになったことは、よく知られている通りだ。そこに、野球チームから始まったジャニーズとスポーツの深い結びつきという歴史的なバックグラウンドを読み取ることもできるだろう。


 また、一人ひとりを見ると、他のジャニーズにはあまりない経歴を持つメンバーが多い。


 例えば、最近は『ノンストップ!』(フジテレビ系)などで料理の腕前の達者なところを見せているリーダーの坂本昌行は、デビュー前に一度ジャニーズを辞めてサラリーマン生活を送っていた。『ウルトラマンティガ』でジャニーズ初となる特撮物の主役を務め。食通としても知られる長野博にも、Jr.を一度中途で抜けて専門学校に通ったという経緯がある。だからだろう、特にこの二人からはそういった経験がもたらす、包容力のある優しさが感じられる。そしていまや俳優として揺るがぬ地位を得た岡田准一は、往年の人気バラエティ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の企画「ジャニーズ予備校」出身である。つまり他の多くのジャニーズとは違い、Jr.時代を経ずにいきなりデビューした。


 こうした異色の経歴を持つ三人に、『あさイチ』(NHK)でのMCぶりからもわかる通り抜群にコミュニケーション能力の高い井ノ原快彦、いかにもジャニーズ育ちの少年っぽいやんちゃさの匂いを残す森田剛、三宅健が合体したグループ、それがV6である。そこには、年齢だけではなくメンバーの個性面からもくる混成チームの魅力、優しさとやんちゃさの絶妙のバランスから生まれる静と動両面の魅力がある。ただ従来のジャニーズらしいやんちゃさの魅力だけでは、広い年齢層が見るゴールデンタイムでの『学校へ行こう!』の成功は難しかったに違いない。


 さらに言うなら、この『学校へ行こう!』は、ジャニーズとテレビ史というより大きな観点からも記憶されるべき番組である。


 1970年代後半、停滞期にあったジャニーズ事務所に再び勢いをもたらしたのが、たのきんトリオの三人、田原俊彦、近藤真彦、野村義男である。その人気に火がついたきっかけは、1979年に始まった『3年B組金八先生』(TBS系)への生徒役での出演だった。つまり、歌番組ではなく学園ドラマによって、現在のジャニーズ隆盛の礎は築かれたのである。


 それ以降、1980年代にはジャニーズの人気者は学園ドラマから、というパターンが確立した。金八先生第2シリーズ(1980年)のひかる一平、『2年B組仙八先生』(TBS系、1981年)のシブがき隊の三人(布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英)、金八先生第3シリーズ(1988年)の長野博、森且行などである。


 こうしてジャニーズ出演の学園ドラマを年代順に見ていくと行き当たるのが、1991年放送の月9『学校へ行こう!』(フジテレビ系)である。金八先生を思わせる熱血教師役に扮したのが浅野ゆう子。そして生徒役として、CDデビュー直前のSMAP中居正広と稲垣吾郎が出演していた。


 だが中居正広と稲垣吾郎、あるいはSMAPは、たのきんトリオのようにこのドラマ出演をきっかけに一気に人気沸騰とはいかなかった。それは本人たちの問題ではなく、ちょうど学園ドラマというジャンルが大きな転換期にあったからだ。


 1990年前後に大型歌番組が次々と終了したことはこの連載でも前にふれたが、同時にこの時期は学園ドラマのトレンドの変わり目でもあった。この頃を境にして、熱血教師を中心にした王道の青春ものではなく、現実離れした設定や過激なストーリー展開を前面に出したものが学園ドラマの主流になっていく。例えばジャニーズが生徒役で出演した作品に限ってみても、1990年代にはいじめ問題をモチーフにした野島伸司脚本、KinKi Kids出演の『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』(TBS系、1994年)、さらに2000年代に入ってからは、『ごくせん』の第1〜第3シリーズ(日本テレビ系、2002〜08年)、『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系、2005年)、『花より男子』(TBS系、2005年)、『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』(日本テレビ系、2006年)などがあった。


 V6の『学校へ行こう!』は、そうした学園ドラマの路線変更とともに、ジャニーズが人気者になるきっかけが学園ドラマからバラエティへと移り始めた時代、SMAPが先鞭をつけたその道をより確かなものにする大切な役割を果たした。だからこの番組がドラマ『学校へ行こう!』と全く同じタイトルであったことには、不思議な歴史的因縁を感じてしまう。また「未成年の主張」が、『人間・失格』に続く、いわゆる「TBS野島三部作」の最終作『未成年』(TBS系、1995年)に触発されて生まれたコーナーであることも、同時に思い出されるのである。(太田省一)


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