南光が見た米朝さん、ざこばさん師弟の絆 追悼特番に一門 弟子は呼び捨てせず

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2024年06月23日 15:21  日刊スポーツ

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桂ざこばさん(2023年1月撮影)

12日に76歳で、ぜんそくのため急死した落語家、桂ざこばさんをしのび、MBSテレビ(大阪市)が23日、追悼特番「笑って、怒って、涙もろかった…ざこばさん、ありがとう!」を放送。一門の桂米団治、桂南光、桂塩鯛や、同局「ちちんぷいぷい」で共演していた角淳一元アナウンサー、なるみらが出演した。


南光は「ざこば兄さんは、亡くなるとおもてなかったですからね。告別式に寄せてもらって、お顔見たらびっくりするぐらい穏やかな顔してはって、そうやって別れても、うそみたいな気がしますね」と、突然の別れにいまだ信じられない様子。塩鯛も「どっかでまた会えるんちゃうかという気がしてます」と語った。


ざこばさんの師匠、3代目桂米朝さんは弟子を住み込みで預かっており、長男米団治が幼稚園の頃から「4人のお兄ちゃん」がいた。その中の1人がざこばさんで、米団治ら、米朝さんの子供の面倒をよくみていた。


米団治は「(ざこばさんとは)11歳違うんですけど、幼稚園から見たら、ほんとに大人みたいな感じで」。ある時、双子の弟とともに、ざこばさんの自転車に乗せられていたところ、スピードが出ると喜ぶ米団治さんらを楽しませようと、ざこばさんが自転車を走らせていた。


急ブレーキをかけ、前輪が止まり前のめりになり、米団治は「おでこぶつけて血がだらだら」な状態に。すると、ざこばさんは「ちゃーちゃんに、電信柱ぶつけた言え」と焦っていたという。


米団治は「何事も一生懸命な人で、その場所でできることを全力でやろうという。楽しませてやりたい、いうのが先に立つんですよね」と振り返った。


8歳で両親が離婚し、母に育てられたざこばさん。中学卒業後に米朝師匠のもとへ入ったざこばさんにとって、米朝師匠は「父親」でもあった。


南光は、ざこばさんが仕事のつながりで、松方弘樹さんとしゃぶしゃぶを会食した際のエピソードを披露。盛り上がり、ざこばさんは腕にやけどを負った。絶対的存在の米朝さんに隠していたが、1年ほどして忘れてしまい、うっかり着替えの際に気づかれたという。


米朝さんが「その腕、どうしたんや。入れ墨でもしてたんか」と問い、ざこばさんは「そうですねん、米朝命と彫ってました」と返したそう。南光は「米朝師匠も負けじと『そうか、なんで消したんや』言うてね」と、師弟の絆を実感したと明かした。


また、ざこばさん最初の弟子だった塩鯛は「僕が最初なんで、よう分かってないんですよ」と弟子入り当時を振り返り、「弟子を呼び捨てにしない。僕なんかずっと『都丸兄ちゃん』って」と告白。一方で、ウソを極度に嫌った人柄にも言及。「ウソついたらメチャメチャ怒るんですよ。道知らんのに知ってる振りしたら『分かりませんなら、分かりませんと言え!』って」などとしのんでいた。

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