3児の父、麒麟・田村裕が“子育てへの不安”を明かす「子どもに同じ思いをさせたくなくて…」

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2024年11月05日 16:21  女子SPA!

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 2024年10月1日に『ホームレスパパ、格差を乗り越える 何も変わらなかったから考え方を変えた』(KADOKAWA)を上梓したお笑いコンビ麒麟の田村裕さん。

 中学2年生で父親の「解散!」の一言で住む家を失い、公園でホームレス生活を送った経験を自叙伝『ホームレス中学生』(ワニブックス、2007年)に綴り、ミリオンセラーを記録しました。現在は、10歳、7歳、4歳のお子さんを育てるパパとして、子育てに奮闘しています。

 今回は、子育てをする中で博多華丸・大吉の華丸さんからもらったアドバイスや、44歳で亡くなった母の年齢を越えたことに対する思いを聞きました。

◆「ホームレス中学生」が、パパになって悩んでいること

――ご自身が中学2年生の時に家族がバラバラになるという経験をしたことで、その分、今のご家族を幸せにしたいと気負いを感じることはありますか?

田村:それが今の一番の悩みかもしれません。自分が子どもの頃は何もかもが足りなかったので、子どもに同じ思いをさせたくなくて過保護になってるんじゃないかと不安で。お菓子や、おもちゃ、服もすぐに買い与えてしまうし、習い事もやりたいことは全部やれと言ってしまいます。この前、長女の誕生日プレゼントを買いに行ったとき、次女にも買ってあげたくなって選んであげたら、「おかしくない?」と長女にツッコまれました(笑)。甘やかし過ぎているのかなと、少し心配してます。

子どもたちの才能は全部引き出してあげたくて、習い事をあれこれさせようとしたら、奥さんに「送り迎えがしんどい」と言われたことがありました。「子どもたちのためなのに、なんてやる気がないんだ」と思ってしまったのですが、コロナ禍で仕事がなくなって家で過ごすうちに、家事や育児をしながら習い事の送迎をするのが簡単なことじゃないと理解することができました。少しでも奥さんに対する信用を失っていた自分が恥ずかしいですね。できるだけ奥さんと協力して困難を解決しようとするようになりましたけど、理想の父親には程遠いなと思います。

――芸人仲間から子育てや夫婦関係についてアドバイスをもらったことはありますか?

田村:2人目が生まれる少し前に、奥さんが「地元の大阪で子育てがしたい」と希望したとき、僕は東京で仕事があったので単身赴任になってしまうことに悩みました。そこで華丸さん(博多華丸・大吉)に相談したところ「奥さんのやりたいようにやるのが一番いい、奥さんの機嫌が一番大事ばい」と助言をいただきました。その後、大阪に引っ越したのですが、時が経てば経つほど「なるほど、ありがたいアドバイスやったなあ」と思います。

◆後輩芸人に喜ばれた、育児のアドバイス

――田村さんが、芸人仲間に子育てのアドバイスをすることはありますか?

田村:後輩たちに必ず言うのは、「“俺は手伝ってる”という思い込みが一番危険。奥さんがやってほしいことを理解しないと、家の中のやるべきことは減らない。自己満足にならないように気をつけろ」ということです。

 例えば、赤ちゃんが泣いているとき、奥さんは計算して無理にあやさないこともあります。「オムツは替えたばかりだし、おなかも空いてない、今は少し泣かせておいたほうが夜しっかり寝るな」と考えているのに、たまたま家にいる夫が「何でほったらかしてるの」と、“やってます感”丸出しであやしてたら、奥さんはめちゃくちゃ腹立ちますよね。だから、奥さんが本当に何をやってほしいと思っているのか、夫婦で擦り合わせることをサボらないほうがいいとよく言っています。

あと、産後はホルモンのバランスが崩れて余計にしんどいから、奥さんが普段よりも気が立っているからといって、それが本性だとは思わないほうがいいということです。

――後輩さんたちの反応はどうですか?

田村:「聞いておいてよかったです」と言ってくれてます。特に感謝されるのは、「2人目が生まれたら、『奥さんは1人目のときに慣れているから大丈夫だろう』と慢心しないほうがいい」というアドバイスです。奥さんは、上の子を見ながら赤ちゃんを育てるのは初めてだから、すごく大変な思いをするんです。それなのに、1人目のときよりも手伝わなくなる夫が多いらしく、それを一生恨んでいるという話を以前聞いたことがあります。

だから僕自身も、2人目が生まれたときは単身赴任でしたが、家にいるときはできる限りのことをしようと気をつけました。心当たりのある方は、この記事を旦那さんに見せて、トークテーマにしてもらうと、伝わりやすいかもしれないですね(笑)。

◆いきなり怒ることがなくなったワケ

――3人のお子さんの育児を通して、パパとして成長したと感じることはありますか?

田村:以前は何でもかんでも怒っていましたが、一旦様子を見て、どうしたら状況が良くなるのか、アプローチの仕方を考えるようになりました。注意や声かけはよくするんですけど、子どもに限らず、奥さんを含めて対人関係全般で、いきなり怒ることはなくなりました。「パパは今こういう気持ちやねんけど、どう思う?」と、子どもたちに相談するようにしています。

――怒らなくなったきっかけはあったのでしょうか?

田村:上のお姉ちゃん2人が、1番下の弟に、僕そっくりの怒り方をしていたからです。「もうあんただけ連れて行かへんで! 家で1人で留守番してたらいいわ」とか言っているのを聞いて、「これ地獄やな」と反省しました。僕自身が変わらないと子どもたちも絶対に変わらないと思ったんです。僕があまり怒らなくなったことで、お姉ちゃんたちの言い方も少しだけマシになってきているように感じます。僕が見ているときだけかもしれないですが(笑)。それだけでも十分だし、こういう言い方はよくないという価値観感の種が植え付けられていれば、本人が自覚したときに勝手に花が咲くんじゃないかと思います。

なんか、この話だけ読むとめっちゃいいパパみたいですけど、生身の人間やから機嫌が悪い日もあるし、空気読まれへんところもあります。子育ては難し過ぎますね。

◆「40歳くらいで死ぬやろうな」と思って生きてきた

――44歳で亡くなったお母様の年齢を越えたことについて、どんな思いがあるのでしょうか。

田村:お母さんが早くに亡くなったから、「僕自身も40歳くらいで死ぬやろうな」と思って生きてきました。今はその年齢を越えましたが、そこから先をまったくイメージしていなかったので、「まだ生きれるんだ」という思いがあります。

親父は70代まで生きたので、「親父と同じ年齢まで生きる可能性もあるのかな」と思って、家族と一緒に何ができるのか、家族全員の旅行や、例えば長女がもう少し大きくなったら2人で海外旅行したりもできるんかなとか、最近になってやっと想像するようになりました。

それでも、「子どもの結婚式は出られへんやろうな」と何となく思っているし、今は終活を少しずつ始めています。みんなに早過ぎると言われるんですが(笑)。もう少し長く生きられる可能性を考え始めたことで、「期待してしまっていいのかな」と自分の中ですごく揺れているところです。

――今後は、どんなことをやっていきたいですか?

田村:これから子どもたちのいろいろな場面を見ることができるかもしれないし、子どもたちが弱っているときには寄り添ってあげたいと思っています。そのためには健康でないといけないし、奥さんともいい関係でないといけない。病気の原因はストレスが大きいと思っているので、奥さんのストレスを少しでも緩和していきたいですね。そのためにはお金がないといけないから、もっと仕事がほしいですし、1つ1つの仕事を頑張っていきたいと思っています。

<取材・文/都田ミツコ 撮影/鈴木大喜>

【都田ミツコ】
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。

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