19年3月に休養を発表し、昨年2月に吉本興業とマネジメント契約を解消した中田ボタン(76)が、盟友桂小文枝(73)のYouTubeに出演。20日にアップされた動画の中で、肺がん発覚への経緯を明かした。
小文枝が定期的に芸人仲間を呼び、対談する企画YouTube番組。小文枝が「不死身の中田ボタンさんをお呼びしました。スーパーマンですからね」と言い、紹介した。
コロナ禍もあいまって、休養に入った後は表舞台から姿を消していたボタンだが、10月26日には、大阪・天満天神繁昌亭で、「桂小文枝芸歴55周年記念大作戦 YOUNG GO!GO!」にゲスト出演。今回も元気な姿を見せた。
髪の毛をそりあげており、小文枝が「出家なさった?」とつっこむと、ボタンは「いや、もともとガン持ちやからね」と告白。休養に入った際は、病名を明かしていなかったが、がん闘病に触れた。
時期を問われると、ボタンは「1919年」と大正8年にあたる年を答え、あうんの呼吸で小文枝が「それ、戦前やで」。すかさずボタンは「抗がん剤でボケとんねん! 2019年」と返し、和やかにトークを進めた。
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ボタンによると、病名が判明する「3カ月ぐらい前からしんどかった」と言い、当時は仕事も多忙だったといい、状況を説明した。
「吐血もしてたし、誰も知らない。言ってなかった。家族も知らんし。トイレで(血を)吐いたりな。最初はちょっと(血が)混じったり、段々増えてくんねん。で、(血のついた紙は)トイレに流す。心配かけたくないやんか」
ひそかに体調不良と向き合い、耐えていたという。
「寝て起きたらパジャマがベタベタやねん」とも言い、多忙の合間を縫って、19年2月下旬に病院へ行き、即入院となった経緯も明かした。
「肺がんや。医者が『この数値であんた、立ってんの、おかしいで』って。長女に電話して『お父さん、入院や』って。ステージ4の肺がん。いや(医師は)『4超えてた』って」
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極めて厳しい状況ながらその日は帰宅して、入院準備をして、翌日病院へ向かったが「どうやって行ったか覚えてへん」状態だったという。
入院後、家族も呼ばれて医師とモニターで病巣を確認。医師から「こんなガンは珍しい」と言われたといい、「真ん中にがん細胞、散ってんねん。ひまわりみたいや」などと振り返った。「手術もできへん言われて、(検査で)どういう種類のがんか調べた」末に、合う薬を探し、抗がん剤治療などを受けたと明かした。
ボタンは10月のイベント出演で、入院当初は医師から「余命3カ月」とも伝えられたとも告白。ただ、投薬の効果が高く、病状は安定し、4カ月で退院に至った。この様子には小文枝も「みるみる元気になっていた」と振り返っている。今では小文枝ら仲間とゴルフを楽しむまでに回復している。
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