1970年生まれの私が未成年の頃は、大体どこの図書館にも子供向けにリライトされたポプラ社のホームズ、ルパン、少年探偵団のシリーズが3点セットとして置いてあったものだが、その中でも小学生時代の私にとってトラウマ級に怖かったのがルパン・シリーズの1作、モーリス・ルブランの『三十棺桶島』だった(南洋一郎訳。現在でもポプラ社の「文庫版 怪盗ルパン」シリーズで読める。以下、固有名詞の表記はポプラ社版に従う)。主人公のベロニク・デルジュモンは、水難事故で死んだ筈の父アントワーヌと我が子フランソワがサレク島という孤島で生きていることを知る。だが、島に渡った彼女が目撃したのは、フランソワらしき少年がアントワーヌを射殺する、まさにその瞬間だった。
そしてこの後、島に伝わる「四人のはりつけ女」「三十の棺桶」「人間を殺し、または生かす力のある神の石」という予言をなぞって、凄まじい殺戮の嵐が吹き荒れる。情け容赦ない虐殺の描写もさることながら、子供時代の私が震え上がったのは、その連続殺人に一応「神の石を手に入れる」「そのために予言をなぞる」という目的はあるにせよ、理屈づけに乏しく、動機としては極めて薄弱であるように感じたからだった。この程度の動機で、これほどの大虐殺をやってしまうのか——と。
実はこのポプラ社版はかなりの抄訳で、悪党たちが迎える末路も原典から改変されている。では、完訳の『棺桶島』(堀口大學訳、新潮文庫)ではこの異常な犯罪はどう説明されているのか。ポプラ社版では、悪党の首領が自分の実父の名を言われそうになって狼狽する意味ありげなくだりが存在するけれども、その後、父の実名は出てこないのでこの場面が全く意味不明になってしまっている。新潮文庫版では、ポプラ社版で省略された首領の生い立ちがアルセーヌ・ルパンの口から説明される(かなり長いので、子供向けのリライトでカットされたのは無理もない気もするが)。
そこでは、首領の実父はある実在のドイツの貴人だったことになっている(少なくとも、首領はそう信じている)。御落胤であることを自らの支えとしてきた首領は、昔の修道士が遺した予言の存在を知り(ポプラ社版では予言のごく一部しか紹介されていないが、実はもっと長い)、その内容と自分の境遇との一致に気づき、予言通りに行動すれば「神の石」が手に入るという理屈で事件を起こしたのだった。
さて、『三十棺桶島』が刊行された1919年から奇しくも1世紀後の2019年、澤村伊智の『予言の島』(角川ホラー文庫)という小説が刊行された。舞台は瀬戸内海の霧久井島。ここではかつて、宜保愛子と並び称された有名な霊能者・宇津木幽子が奇怪な最期を遂げていた。彼女は死ぬ直前、「我が命の絶えて二十年後 彼の島で惨劇が起こらむ(中略)翌日の夜明けを待たずに 霊魂六つが冥府へ堕つる」という予言を残したという。そしてちょうど20年後、幼馴染みたちと霧久井島に渡った主人公・天宮淳の周囲で、次々と人が死んでゆく。
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この作品を横溝正史の『獄門島』へのオマージュとして執筆したことは著者自身が明言しているが(巻頭などにも『獄門島』からの引用がある)、私は『予言の島』を読んで、ルブランの『三十棺桶島』を意識した作品のように感じた。宇津木幽子の予言は作中でも言及されている通り、いかようにも解釈し得る幅があり、かつてオカルト・ブームの時代に一世を風靡したノストラダムスの予言を想起させるが、『三十棺桶島』の完訳版『棺桶島』でも、修道士の予言はノストラダムスのそれに準えられている。『三十棺桶島』の「神の石」、『予言の島』の怨霊による死といった超自然的な現象が、身も蓋もなく解明されるあたりも両作に共通する。
だが決定的な共通点は、登場人物が予言に呪縛され、操られるように行動してしまう点だ。『三十棺桶島』の予言は、些か常軌を逸した修道士が気まぐれに書き散らしたものにすぎない。だが、それが自身の境遇と一致することに気づいた悪党の首領は、予言を実現させれば「神の石」が手に入ると信じて大虐殺を行なってしまった。『予言の島』の事件関係者には、予言を疑わない者も、全く信じない者もいる。しかし、1人、また1人と島で変死者が相次ぐにつれて、彼らの理性は失われ、いつの間にか予言の的中を信じ込んでゆくのだ。特に、宇津木幽子の血縁だったある人物が、幽子の影響に抗おうとしながらも結局迎える運命は痛ましい。
既に記したように『三十棺桶島』の首領はドイツの貴人の実子という設定だが、のみならず当時のドイツ帝国の王家であるホーエンツォレルン家とも何らかの関係があるらしいとされている。この作品が発表された1919年の前年まで、著者ルブランの祖国フランスは第一次世界大戦においてホーエンツォレルン家のヴィルヘルム2世(ルブランの『813』『オルヌカン城の謎』などに登場)を皇帝として戴くドイツと対戦しており、執筆開始時点ではまだ戦争の最中だった。
ルパン・シリーズの他の作品にも見られる通り、ルパンは怪盗であると同時に愛国者であり、ドイツは敵役として描かれる。この小説の首領が繰り広げる常軌を逸した残虐な犯行は、読者にドイツへの敵意を煽り立てる効果を与えたことだろう。首領を呪縛した予言のように、『三十棺桶島』という小説自体も、人に影響を及ぼし、煽動する言葉の連なりには違いないのだ。
一方、『予言の島』は、そのような言葉の持つ恐ろしい力に遥かに自覚的な小説だ。『獄門島』には『三十棺桶島』からの影響があるという意見も存在しており、だとすれば、予言の要素が前面に出た『予言の島』は、あいだに『獄門島』を挟みつつ『三十棺桶島』からの隔世遺伝めいた小説だと言えるが、そのあいだに流れた1世紀の歳月は、言葉の持つ力の恐ろしさを小説の書き手に考えさせるには充分すぎる時間だったのだろう。
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