お笑いコンビ・オリエンタルラジオの中田敦彦さんはなぜ、地上波のテレビに戻ってきたのでしょうか──。シンガポールに拠点を置き、「中田敦彦のYouTube大学」で躍進した中田さんが、12月29日にTBS系で放送される「報道の日2024」のMCを務めます。移住の理由、そしてYouTubeを続ける中での孤独感などをアナウンサーの膳場貴子さんと語り合いました。
「やりたいようにやり続けていると、誰かと仕事したいっていう欲求が」中田敦彦さん(以下、中田):
地上波のテレビは2年ぶりですかね。久しぶりなんでテンション上がってます。
膳場貴子さん(以下、膳場):
活動の中心はYouTube大学で、自分で発信する側。今回この報道番組(「報道の日2024」)のMCを引き受けたのは、何でだったんですか。
中田:
報道番組は、背筋伸ばして見る世界だったので、斬新でやってみたいというのはありました。
膳場:
YouTubeの第一人者になって、登録者数が500万人を超えている(12月19日時点で542万人)。その中田さんが、タイムラグがあって、改めてテレビに出てもいいって思ったのは何ででしょう。
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中田:
(YouTubeは)自分でやりたいことをやれるし、逆に言うと自分しかいない。2019年から自分のやりたいようにやり続けていると、誰かと仕事したいっていう欲求がふつふつと出てきて。「報道の日」の出演者とチームと一緒に作ったら楽しいだろうなというのがありました。
膳場:
テレビってある意味、制約も多い世界じゃないですか。インターネットの世界で地盤を築かれている中で、テレビって今どう見えてるのでしょうか。
中田:
(私は)元々テレビやってて、YouTubeやって、それでもう一回。テレビはやっぱり蓄積がすごいから。個人では作りえない映像が作れてしまう。過去のアーカイブ、(普通は)入れないところの映像が撮れる、大人数で作ってる──。すごい豪華だなと思いました。
膳場:
テレビとか新聞も含めて、「オールドメディア」って言われて、そっぽ向かれてしまうところもありますが、テレビはこれまでの歴史の蓄積で色々な記録が残っているし、世の中に番組として出せていない素材もいっぱいあるので、そこに注目してもらえたのは嬉しいです。まだそこには価値があるから、ぜひみんなに共有してほしいと思います。
膳場:
今回の「報道の日」は、テレビ報道70年の裏側にフォーカスして、禁断ニュースとして伝える予定です。今まで色々な事情で出してこなかったものを、あえて問う。それと同時に「メディアのあり方」はこれで良かったんだろうかという反省も含め、立ち返ろうという内容です。
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中田:
よく各所許可が出たなというぐらい攻めた企画やVTRがいっぱいあります。
膳場:
改めて知らなかった事実やニュースもありましたよね。
中田:
ありました。結構シビアなところまでいくんだなと。信念を持って作る側も出る側も(番組)を作ってる感じがしました。それにちょっとでもお邪魔させてもらえるのが、嬉しいです。
テレビの良い部分って言葉にするとどういうところですか。
膳場:
現場に行って、当事者に話をちゃんと聞く。現場の体感を伝える。大きな声って放っておいても勝手に届いていく。大事だけれども声が小さく、世の中には届かないようなところに足を運んで当事者の声を伝えていけるのが、テレビ報道のいいところかなと思っています。
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中田さんは、テレビをどう見ていますか。
中田:
本当に多くの人が働いてますよね。(私は)普段、寝室で1人で動画撮ってるだけなんです。手伝ってもらっているスタッフもいるんですけれど、現場は私ひとり。私が着替えている間に妻が三脚を立てるっていう、町の中華料理屋みたいな感じです。
膳場:
でも、それで充実した内容とクオリティってすごい。テレビの現場は、チームの楽しさがありますよね。
中田:
情熱を持っている人が、1人でも2人でもいる現場って、めちゃくちゃ良くなる。
膳場:
聞き忘れていたのですが、シンガポールにお住まいですよね。
中田:
2021年3月、コロナ禍のど真ん中に、誰もいない空港から飛び立ちました。
膳場:
なぜ拠点をシンガポールに移したんでしょうか。
中田:
大学卒業してすぐに芸人デビューして、テレビにすぐ出させてもらって、そこからずっと仕事をしていたので、本当に17〜18年ずっとテレビ局に通っていました。
東京拠点じゃないYouTuberの人って多いんです。愛知県岡崎市にいる「東海オンエア」とか、静岡市にいる「はじめしゃちょー」とか。東京じゃないところに住めるんだって思って、最初は妻の実家の岩手県に行こうとしたんです。そうしたら、妻から「外国とかにすれば」って言われたんです。外国って選択肢は考えてもいなかったので、面白いかもしれないと思って。比較検討した結果、YouTubeでシンガポールの初代首相のリー・クアンユーを特集したことがあって、リー・クアンユーが作った国を味わってみたいと思って行きました。
膳場:
好奇心で引っかかったところにちゃんと行ってしまう行動力もすごい。不安はなかったですか。
中田:
激動の中で気づいたらシンガポールにいたって感じ。テレビへの未練がどうこうというより、逆で、自分の危機感や挫折感もありました。テレビに対しても、自分が思ってるところになかなか行けないな、テレビから選ばれないな、と。自分自身どこか違う環境で勝負したいというところがあったんだと思います。
膳場:
タイミングを同じようにして、YouTubeが勢いづいていって、みんなも興味を持って見るようになって、テレビももうちょっと頑張らなきゃいけないという局面です。私の同世代でも、テレビを見なくても、YouTubeを見る人は増えてきました。
中田:
今まで50年ぐらい、テレビの1択だったわけですからね。選択肢が広がってるのはあるかもしれないですけれど、やっぱり、(テレビへの)憧れはみんな持ってると思います。
膳場:
YouTube大学でのテーマの扱い方について、前はもう少し「勉強」っぽかったと思うんですけれど、時事ネタも積極的に扱ってますよね。どうやってネタを決めているんですか。
中田:
とにかくコメント欄を見て(コメントに)いいねをつけろっていうのが、私のYouTubeの師匠・カジサックさんの言葉なんですけれど、それをやり続けていると、だんだんリクエストが来るようになりました。ニュース見て分からなかったのをやってくださいというリクエストを見て、これは見てもらえそうだなと選んでますね。自分でも新聞を見たり、ニュースサイトを見たりして気になったものをやるんですが、リクエスト(の割合)が大きいですかね。
難しい言葉は自分も分からないので、分かりやすくしています。専門家が見たら、なんでそっから説明しているんだっていうとこから1個1個説明するのを、楽しんでいる方もいるのかなと思います。やっぱりテレビ育ちなので、テレビみたいなことがやりたいと思っているところもあります。
膳場:
でもYouTubeに追い越されたところに追いつきたいし、ネットにみんなが行ってしまってるのが悔しいので、取り戻すために、ネットの強みは何だろうと研究したり、何か盗みたいって思ったりします。
中田:
YouTuberも栄枯盛衰で、数年前のトップYouTuberで、今辞めてる人たちだっていっぱいいます。入れ替わってます。もう血だらけになってます。開始当初は毎日アップしていました。ただ、テレビみたいに毎週というペースじゃなくてもいいので、もう何度も長期休んでます。今年ももう3か月ぐらい休みました。
膳場:
休みの間は何をしているんですか。
中田:
今年は育休というか。年始に第三子が生まれて。育休と言ってるだけで、実際ある程度さぼっていたとこもありました。精神的に疲れて。自分だけでやっていっているのも、なかなか続けるのが大変で。誰かと一緒に何かしたいなっていうのがどこかにあるので、続けてる人たちはみんな孤独だろうなと思いながら、やっていますね。だから今回の仕事の中で、「こうじゃない、ああじゃない、こうしてほしい」って言われるのは、嬉しいなと思います。
膳場:
チームじゃないとできないと私は思っていますが、中田さんは1人で全部できるタイプですよね。
中田:
そんなことないんですよ。最初にYouTuberを見たときの衝撃は忘れられないです。
YouTuberっていう存在に会ったのが2016年で、一緒に撮影した時に三脚を立て始めて、小道具を持ってきて、今日こんな企画するんだって説明をして、始めたんです。1人で全部やるなんて、見たことない生命体。私は絶対できないと。でも、気づいたらやんなきゃっていう時代と環境に追い込まれて、最初は本当に公園でスマホを回すところからだったんです。そしたら風の音が入って、コメント欄で「風がうるさい」と言われて、ピンマイクを買いました。スーツを買いに行って、ホワイトボードを準備して、と1個1個やっていって。後天的なものなんです。
テレビとYouTube、両方やると見えてくるものがあると思います。