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【前編】『べらぼう』時代考証家(71) 制作会社から門前払い、睡眠時間も削り…ドラマ『JIN』までの紆余曲折より続く
「たわけ者」「バカ者」を表す“べらぼう”という言葉は、時代を経て《「甚だしい」「桁外れな」という「普通を超える」様を表す言葉に変化》したと、大河ドラマ『べらぼう』の制作統括を務める藤並英樹氏は語っている。舞台である吉原に息を吹き込む山田順子さんは、15歳で志した時代考証家への夢に向かってひたむきに歩みを重ねてきた。その思いは71歳にして結実。生きざまはまさに、“べらぼう”だった──。
「じつは『JIN』から最初のコンタクトがあってからしばらく連絡がなくて、有名な先生に決まったかな、とあきらめかけたんです。
ところが私が所属していた事務所の社長が亡くなり、通夜の前日にいきなり『JIN』のスタッフから『明日、お会いしたい』と電話があったんです。『葬式だから行けない』と言うと『こちらから行きます』ということに。お通夜のおすしや花の手配をしながら、5? 6人のスタッフと打ち合わせをしてね。その日から怒濤のように仕事が始まって、翌々日には衣装合わせの現場に立ち会っていました」
『JIN』のスタッフにとって、時代劇は初めての経験だったという。そのため、刀の持ち方、座る位置、服装などに関して一からのレクチャーが必要だった。
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「旗本屋敷のセットがあったのですが、それ以外はほとんどオールロケ。ロケハン(ロケ地の下見)から参加しました」
ロケでは有形文化財や資料館となっている古い民家も訪れた。
「江戸時代にリフォームするため、室内や廊下の電灯ははずし、電気のコンセントを美術さんと一緒に隠す方法を考えたりしました」
誰よりも早くに現場入りして、撮影につきっきりだった。
「スタッフの一段上から指導する人ではなくて、スタッフと同じ目線で参加したいんです。
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当時、50代後半です。人生の最終コーナーに差し掛かったところで夢だった職業に転身できたわけですから、悔いは残したくなかったんです」
現場にいる時間が長いからこそ、共演者とも仲よくなっていく。あるとき、ロケ地で蛇が出たことが話題になった。
「それでスタッフとキャーキャー話していると、大沢さんが『何を騒いでいるの?』と聞いてくるんです。それで蛇の話をすると、大沢さんがいきなり棒に巻きつけた蛇を私の目の前にひょいと出して! びっくりして腰を抜かしそうになりましたよ(笑)。そんなおちゃめなところもあるんですね」
脚本家の森下佳子が書き上げた台本に、修正を施していくのも山田さんの役割。山田さんの時代考証家としての強みになったのは、長年のテレビマンとしての経験だった。
「台本をやりとりするうちに、森下さんの目指している世界観がわかってくるんです。ドラマとして成立させるため、歴史的な矛盾がないようにアドバイスしていくのも仕事でした」
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そんなやりとりで信頼関係が築かれ、森下さんが脚本を手がけた『天皇の料理番』(主演・佐藤健、35)の時代考証も務めた。
大河への道が拓き始めたのは’23年の秋ごろのことだった。東京国立博物館の松嶋雅人さんから「NHKのスタッフが打ち合わせに博物館に来たんですが、吉原の考証ができる人を聞かれたから“山田さんしかいません”って答えておきました。そのうち話が来るでしょう」と連絡が入った。
じつは松嶋さんとは、『JIN』に出演していた中谷美紀(49)を通じて知り合ったのだ。
『べらぼう』の吉原風俗考証の仕事のオファーが来たのは、それから間もなくのことだった。脚本の森下さん、近世美術史考証の松嶋さん以外にも、演出・美術に見知ったスタッフが何人もいた。
「NHKサイドも大河で初めて吉原を舞台に描くということで、『雰囲気だけじゃ困る。しっかりつくりたい』と、かなり本気の熱量を感じました」
だからこそ、山田さんも本気で取り組む決意をした。吉原の撮影がある日は必ず顔を出して撮影全般に関わるという、独自のスタイルを貫けるように条件を出した。
「当然『そこまでのギャラは出せません』とのことでしたが、ギャラは既定どおりでいいんです。自宅からNHKまで近いから、交通費もいりませんって。その代わり自由にやらせてほしいって頼んだんです」
幼いころ、時代考証家になるという夢を見るきっかけとなり、人生の指針となった大河ドラマに、ようやくたどり着いたのだ。
「もちろんすごくうれしかったです。でも……、男性と同じように働くために、結婚や出産を考えたこともないし、男性とのデートすらほとんどしたことがないんです。
でも、その代わりに今、人生を懸けて打ち込める仕事ができているんだから、やっぱり、十分に幸せですね」
山田さんの仕事部屋の壁一面にしつらえられた本棚には、茶色く変色した『国史大系』『風俗画報』『国史大辞典』『三田村鳶魚全集』などの分厚い資料がぎっしりと詰め込まれている。
「まだ別の部屋にも資料はたくさんあるんです。問題なのは、必要な一冊を探すのに1時間以上かかってしまうことですね」
『べらぼう』の台本を広げながら膨大な資料をひもとき、現場に向かうのだ。
「大河ドラマで吉原のシーンがあるときは、だいたい朝の6時に起きて、7時30分の地域バスに乗るようにします。NHKに到着するのは8時過ぎ。撮影が始まる9時に間に合うように、ゆっくりとセットなどをチェックしています」
いつでも美術スタッフから質問を受けられるよう、撮影現場からは離れない。
「そもそもテレビっ子だから、番組を作る過程を見るのが好きなんです。それから、モニターを見ながらどこかボロは出ていないか、チェックしています」
いっぽう、故郷の広島銀行が発行する月刊誌に、瀬戸内海の島々を巡る「せとうち津々浦々」を8年にわたり連載しているうえ、『吉原噺 蔦屋重三郎が生きた世界』(徳間書店)を出版したばかり。
ハードな毎日だが、長年夢見た時代考証家としての仕事ができる喜びを日々感じられるのだ。
「15歳に抱いた夢とはいえ、ずっと時代考証家のことばかり考えてきたわけではありません。ただ、長い仕事人生の中で選択を迫られたとき、たとえば数字が取れるバラエティ番組があっても、数字は望めなくても歴史番組があればそちらを選択するなど、抱いた夢に近いほうを選んで進んできました」
少しずつ夢に近づき、そしてかなえた。だが、大河ドラマがゴールではない。
「年齢的なこともあるので、今後、どんな作品に巡り合えるのかわかりませんが……。でも、真田広之さん主演の『SHOGUN 将軍』が世界で認められるなど、時代劇にはまだまだ可能性が秘められているんです。世界に通用する時代劇に携わっていきたいですね」
人生という大河を、べらぼうな夢を抱いて漕ぎ出していく──。
(取材・文:小野建史)
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