
高橋大輔×増田貴久『氷艶』レポート 中編(全3回)
【スケーターと俳優の"ヤバい"チーム】
7月5日、横浜。高橋大輔と「NEWS」増田貴久がダブル主演のアイスショー『氷艶 hyoen 2025-鏡紋の夜叉-』の初日舞台が、熱気のなかで開演している。
「『氷艶』は奇跡的なシーンの連続! トップスケーターのF1なみのスピード表現、氷に照らされる役者の美しさ、オペラのように音楽を魔術にするSUGIZO氏、限界をあらゆる意味で超えるスタッフ! チーム氷艶ヤバい! ご期待あれ!」
堤幸彦監督が出した初日コメントにも、その興奮が伝わってくる。
今回のテーマは「フィギュアスケート×桃太郎・温羅伝説」だと言うが、特筆すべきはふたつに境界線がない点だろう。
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フィギュアスケーターたちの演技は真に迫っているし、トップクラスの俳優陣が氷上で驚くほど自然に滑っている。芝居のなかでは、スケーターも俳優陣もない。
たとえば、五輪金メダリストである荒川静香は、声から所作まですっかり鉄の女神だったし、個性的な役をふわりと演じきる俳優の森田望智はフィギュアスケート経験者だとは言うが、スパイラルはみごとだったし、村元哉中とのダンスは想像を超えていた。
何より、主演の高橋は舞台でわき上がる熱に刺激されるように、表現者としてさらなる進化を遂げていたのであるーー。
【心をつかむことにこだわる表現】
高橋は吉備の国の地方豪族の王である温羅(うら)を演じ、ヤマト王権から派遣された増田演じる吉備津彦と対決している。
もともと穏やかで優しい男だった温羅は、否応なく戦いに巻き込まれるのだが、「平和な地元を守るため」と正義に目覚めると同時に、戦いに取りつかれてしまう。結果、大事なものを失ってしまい、さまよう夜叉になるという役だ。
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「なぜ、戦うのか?」。その問いかけに対する答えは、どんどん変わっていく。そのたび、高橋は心情を細やかに、大胆に演じていた。歌も、ステップも、演技も、すべてが表現につながった。
振り返れば現役時代も、高橋はひとつのプログラムを表現するのに、情感まで表現することができた。その技量は、他のスケーターと比べても一線を画していた。実務的には「音を拾い、ステップを踏む」という作業なのだが、曲の世界に入れたからこそ、人の心をとらえられたのだ。
アイスダンサー時代の高橋に、ひとつ質問を投げたことがあった。
ーー表現者の境地とは? 彼は少し考えてから、こう答えていた。
「自分は競技の勝ち負けに関しても、少しあいまいでもいいかなという割りきりはあります。ずっとこの競技をやって来て、人がジャッジするものではあって。結局のところ、どれだけ心をつかめたか、自分のなかの目標で何が達成できたか、見てもらってどんな評価をもらえたか。ただ、それだけなのかなって。全力で競技を戦うのと、アイスショーで伝えるって、どちらも変わらない。そこは一緒なのかなと思っています」
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彼は現役時代から勝ち負け以上に、スケーターとしてどれだけ心をつかめたかを大事にしていた。それは、今も本質的には変わっていない。今回の公演でも、温羅の苦悩は高橋を通し、現代人の思いと重なりながら、多くの人々の胸に届いたはずだ。
【役と重なり合う演技は必見】
高橋は『氷艶』シリーズで、さまざまな役を演じている。その巧みさは、彼の天性のセンスのよさもあるだろう。しかし、それは唯一無二のフィギュアスケーターとして表現にこだわってきたからではないのか。
以前、『氷艶』の派生的作品である『LUXE』で、田中刑事(今回は楽々森彦命役で出演)とのギリシャ神話「ナルシス」の演技が大きな話題になった時も、彼はこう説明していた。
「自分のことが好きっていう感覚は、僕自身は持っていないですが、スケートに関してだけは、『見てほしい』『見て』っていう気持ちになれます。スケートは自信を持てるところもあるので、本当は恥ずかしくて自分らしくなくても、スケートなら入り込めました。
たとえば光源氏の台詞も、最初は稽古から恥ずかしかったんです。でも、それこそ『解き放て!』じゃないですけど、その指導も現場でもらって、やっているうちにどんどん気持ちもよくなってきました。自分じゃないなとも思うけど、自分はナルシストだって思い込むことができて。色っぽいものは好きだから、そこを目指したのもありますね」
今回の『氷艶』では、高橋は温羅の激動の人生を体現する。どちらの人物も、岡山出身だけに不思議に重なり合う。たおやかで毒々しい映像ともコラボレーションし、まるで古代の岡山にタイムスリップしたような気分になるかもしれない。
横浜での公演は全5回。7月6、7日と行なわれる。
後編につづく