【今週はこれを読め! ミステリー編】独断専行の男の警察小説〜櫻田智也『失われた貌』

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2025年10月16日 12:01  BOOK STAND

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『失われた貌』櫻田 智也 新潮社
 あ、こういうミステリーをどこかで前に読んだことがあるなあ。
 でもどこで読んだか、はっきり言えないなあ。

 そんなことを考えながら櫻田智也『失われた貌』(新潮社)のページをめくり続けたのである。

 何かをぼんやりと思い出すのだけどそのものは浮かばない。何かの作品にそのまま重なるのではなく、いくつかの要素を兼ね備えているからではないかと思い、考えつづけた。

 地方警察の捜査が主軸になって進んでいく物語である。視点人物はJ県警媛上警察署捜査係長の日野雪彦だ。午前六時過ぎにスマートフォンが鳴って、日野は死体の発見現場に呼び出される。家を出る前に妻との間でちょっとした口論があるところがいい。家族との気持ちの行き違い、日野の葛藤や後悔の念が事件捜査の合間に挿入されていく。それが主人公の表情に陰翳を与えるのである。また、同じ署の生活安全課長である羽幌という人物との関係は日野の別の一面を照らし出すことになる。日野と羽幌は警察学校の同期で、過去のいきさつから素直な感情のやりとりができないという間柄だった。こちらの要素は単に性格面の掘り下げをするだけではなく、事件そのものに思わぬ展開を与えることになるのである。

 最初の三十ページを読んだだけで、きちんとした人物造形の警察小説であると確信した。日野は入江文乃という二十九歳の巡査部長と行動を共にする。年下で、かつ異性の相棒は割とずけずけとものを言う。日野は独断専行のきらいがある性格なので、作者は彼を足止め効果のある意見を言える部下と組み合わせたのだろう。日野、入江、羽幌で警察側の人物配置は完璧である。

 山奥で男性変死体が発見されたことから日野と入江の捜査は始まる。死体は、人相がわからなくなるほどに顔面が傷つけられ、歯や指紋など身元確認の材料になる要素をすべて損壊されていた。とりあえず被害者が誰かを確認しなければならない。そのための聞き込みがようやく実を結びそうになったときに、驚くべき事態が発生する。別の他殺体が発見され、どうやらそれが先の顔のない死体と結びつきそうだ、ということがわかるのである。このときの展開が、次々に石を積み上げていったら到達した、という着実さではなく、脇道から出てきた自転車にぶつかった、というぐらいの事故感のあるものだったのが、私は印象に残った。ひょっこり。この小説ではひょっこりがキーワードになる。

 捜査は地に足のついたもので、推理のためのピースが徐々に集まってくる。顔のない死体を発見したのは、粗大ごみを違法投棄しようとして山奥にやってきた佐竹亘という男性だった。この第一発見者はちょっと出て終わりという脇役ではなく、後々まで物語の中に顔を出すことになる。一回出した登場人物をそのまま使い捨てにするようなことを作者はしないのである。身元不明案件を調べていると、失踪した父親を探しているという小学生が媛上署にやってくる。この出来事もまた、事件を構成する要素なのである。調べていくうちにどんどん部品が増えていく。問題は、それをどう組み合わせればいいか、がわからないことだ。日野と入江は、設計図が失われたプラモデルを作らされているようなものである。

 日野たちは捜査陣の中核に居続けられず、ゆえあって側面支援的な役割に追いやられる。そんな位置に独断専行の男をつかせたらどうなるか。キャラクター小説としてはそこが非常に巧い。周囲が予想しなかったような行動を取るため、日野の一挙手一投足が他の捜査陣を戸惑わせることになるのである。日野は重要な証拠物件をひょっこりと見つけてくる。個人の行動が捜査方針全体を揺るがすことになる。

 顔のない死体テーマというものがミステリーにはある。顔を潰されたり、首ごと切られたり、死体損壊の状況はさまざまである。そこから生み出されるのは、その死体は何者かという被害者探しと、犯人はなぜそんな行為に及んだかという動機の謎である。重要な登場人物を物語の終盤に出すことはミステリーの謎解きとしてはフェアではないという暗黙の了解がある。それゆえ、身元不明の死者は中盤くらいまでには話題に出てくる誰かである必要がある。つまり選択肢は少ないのである。誰でも顔のない死体になれるわけではなくて、その物語の中では候補者は限られる。必要条件による拘束がある中で、これは驚いた、という解決を示すことは非常に難しいはずである。選択肢がAかBかしかないクイズで、どっちが答えでもさほど驚きはない。Cでは駄目で、AかBしか答えは許されないのである。その制約を打ち破ることに作者は挑戦し、見事に勝利した。推理の役割を日野に任せたことの意味は大きいと思う。

 日野と入江の軽妙なやりとりは黒川博行の警察小説に通じるものがある。一歩一歩積み上げていくという地道な作業を会話劇でくるみこみ、軽妙なやりとりで惹きつけておいて、読者に捜査の進展を自然な形で辿らせるというやり方だ。それに似ている。だが黒川博行だけじゃない。なんだろうと考えて冒頭の、どこかで読んだことがあるミステリーとはいったい何か、という自問に結びついたわけである。考えているうちになんとなく思った。

 たぶん私が連想したのは、コリン・デクスターのモース警部シリーズである。モースはイギリス・オックスフォードシャーの警察官で、事件の謎に対して次々に仮説を立て、自らそれを検証しては破棄し、次の仮説に移行してくというスクラップ・アンド・ビルド型の探偵である。モースがある証拠を採用することによって事件は動き、その見え方まで変わってくる。そうした探偵のありよう、一人の捜査官が世界を回しているように見える物語形式が、おそらく『失われた貌』と重なったのである。

 そうだそうだ、モース警部を連想していたんだ、と思い当たり、つかえていたものがすとんと腑に落ちた。櫻田智也は短篇「サーチライトと誘蛾灯」で第10回ミステリーズ!新人賞を受賞、以降同作を表題作とした第一作品集など、主に短篇作家として注目されてきた。第2作品集の『蝉かえる』(創元推理文庫)は第74回日本推理作家協会賞長編及び連作短篇集部門と第21回本格ミステリ大賞を受賞している。その作者の、初の長篇が本作である。

 短篇じゃなくて長篇の才能もあるとわかった。すこぶる嬉しい。それにしても気になるのは、櫻田がコリン・デクスターを好きか、読んでいるかということだ。どうしても気になる。だって『失われた貌』のプロットはデクスターのある長篇を連想させるからだ。某ページを読んだとき、「あ、『○○○(字数はこのとおりにあらず)』じゃないか」と声を上げてしまったほどなのだ。○○○、お好きですよね、櫻田さん。違うのかなあ。

(杉江松恋)


『失われた貌』
著者:櫻田 智也
出版社:新潮社
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