西田敏行さん死去 芸能界から悲しみの声続々 米倉涼子「言葉もありません…」

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2024年10月17日 14:09  ORICON NEWS

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西田敏行さん (C)ORICON NewS inc.
 俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。訃報を受け、芸能界から続々と悲しみや追悼の声が届いた。

【写真】8日には…『ドクターX』完成報告会見に出席していた西田敏行さん

 テレビ朝日系ドラマ『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』で共演した、俳優の米倉涼子は、自身のインスタグラムのストーリーズを通じて「西田さん 突然の訃報に接し、言葉もありません…一昨日写真のせるからね!と話したばかりなのに。悲しすぎて悲しすぎてまだ信じられません」とつづった。

 声優の山口勝平は「X」を更新し「え!? 西田敏行さんが。。。池中玄太80キロの頃から大好きな、役者になってからは勝手に目標とする方でした。素敵でチャーミングなお芝居を沢山残していただき、ありがとうございます!”心からご冥福をお祈りします。。。」としのんだ。

 演歌歌手の丘みどりは「西田敏行さん。探偵ナイトスクープでご一緒させていただいた時『友達に自慢したいから写真一緒に撮ってもいい?』と素敵すぎる笑顔で話しかけてくださいました。あの時私も撮ってもらえばよかったな。本当に本当に優しい方でした。心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。

 お笑いコンビ・次長課長の河本準一は「西田敏行さんと、映画で共演した時に河本君の羽柴秀吉は気取らず飾らず自分らしくで凄く良いよと褒めてくださいました。一生の宝言葉です。本当に優しいお方でした。ありがとうございましたご冥福をお祈りします」と伝えた。

 作家・クリエイターのいとうせいこうは「西田敏行さんにはニッポン放送での『想像ラジオ』ラジオ版を小泉今日子さんと共にこころよく引き受けていただいた。まさかと思ったが、福島郡山のご出身だった。したまちコメディ映画祭にも来ていただいた。その時のご恩は大きいものでした。ありがとうございました」と感謝の思いを伝えた。

 俳優の中野英雄は「西田敏行様悲しくてなりません貴方に憧れて憧れて俳優の仕事を選んだ私です 初めてお会いしたのは松竹撮影所でしたね いつか共演したくて 結局、共演するまで25年掛かりました 西田さんが出演する素晴らしい作品には呼ばれる事など無い俳優ですのでね、アウトレイジビヨンドでやっと共演出来ました当時は元嫁がマネージャーでした第一声が西田敏行さんと絡んでるよ!!」と、思い出を回顧。

 続けて「泣きそうになったのを覚えてます撮影の時も震えていました…待ち時間に沢山のお話をして頂きました 有難う御座いますまた私の太陽が沈んでしまった…もう一度、お芝居がしたかったです さよなら ご冥福をお祈り致します」と記した。

 俳優の三倉茉奈は「西田敏行さんとは1998年公開の『花のお江戸の釣りバカ日誌』でご一緒させていただきました。当時まだ幼かった私にも、とても丁寧に接して下さって、一瞬で大好きに。先日ある場所で偶然西田さんとお会いし、当時のことを覚えていてくださっていて…嬉しかった。寂しいです。ご冥福をお祈り致します」と結んだ。

 西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年〜09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。

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