プロ1年目のFE名古屋・内尾聡理が社会貢献プロジェクトを立ち上げ ひとり親家庭の経験を踏まえ「子どもたちを応援したい」

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2025年02月04日 10:10  webスポルティーバ

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内尾聡理 ストーリー 後編

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【大学で教員免許を取得】

 福岡第一高校時代に河村勇輝(NBAメンフィス・グリズリーズ)らとともに日本一に輝いた内尾聡理(うちお・そうり)。当時は「黄金世代」として脚光を浴びていたが、プロの世界の厳しさをおぼろげながら感じていたこともあり、以前から夢見ていた教師になるべく大学進学を志した。

「当初はバスケで上を目指すことは考えていなくて、学費のことも考えて国立の大学を目指そうと思っていました。そんなときに高校の監督に『バスケはどうするの?』と言われて、やっぱりバスケもしっかりやってきたいとあらためて思ったので、バスケが強い関東の大学を選びました」

 母親も「自分の好きなように、行きたいところにいきなさい」と内尾の選択を後押ししてくれ、中央大学へ入学した。中学時代から北九州の実家を離れた内尾は、結局ここでも遠く離れた地での生活を選び、ここでも真面目に勉強に取り組んだ。

「教員免許を取るためには取得すべき単位が増えるので、すごく大変でした。ただ、コロナ禍ということもあって、集中的に授業を受けられて、社会科の教員免許を取ることができました」

 もちろん、バスケも手を抜かず、2年時の新人戦では優秀選手賞を受賞。4年時にはキャプテンにも就任し、チームをけん引した。大きな戦績を残せたわけではなかったが、関東1部リーグで奮闘。そのディフェンス力が認められ、千葉ジェッツから声がかかった。

【迷った末にプロの道へ】

 内尾はもともとプロへのあこがれを持っていた。小学生時代、当時福岡のプロチームに所属していた川面剛(現九州共立大学バスケットボール部監督)の指導を受けたことがあった。身長175センチながらダンクシュートを決めるほどのバネを持ち、かつスピーディーなプレーを見せる川面に「本当にワクワクした」という。そのときから、自分もいつかあんなふうになりたいという気持ちを抱いていた。

「大学4年のときはプロになるか、バスケをやめて普通に働くのか、迷っていた時期でした。プロはそんなに楽なものではないと思っていましたが、純粋にプロへのあこがれがありましたし、Bリーグがどんどん新しくなっていくなかで、やるのであれば、上のレベルでやりたいと思いました」

 そして卒業間近の2024年1月に、千葉ジェッツに特別指定選手として加入することを決断した。「母親はずっとプロになってほしいと思っていたはず。喜んでくれたと思います」と内尾は振り返る。

 デビューは加入後すぐの東アジアスーパーリーグだった。ポイントガード兼シューティングガードとしての出場だった。

「小さい頃から夢見ていた世界に踏み入れて、しかもその場所がすごい人気チームで、僕が想像したよりもレベルの高い世界から始まったので、感動というか驚きというか、ここでやれるんだと思いました。また、中学や高校のときから見ていた選手たちとも対戦できるので、やっとここまで来ることができたんだという思いもありました」

 内尾はその後のレギュラーシーズンで23試合に出場。さらに「日本生命 B.LEAGUE CHAMPIONSHIP 2023-24」では全6試合に先発出場するなど、特別指定選手ながらチームにとって重要な役割を果たした。そのプレーぶりも評価されて、2024年6月にはファイティングイーグルス名古屋の一員となった。

【子どもたちのためにできることを】

 迎えたルーキーイヤーの今シーズン。内尾はチームの勝利のために懸命にプレーする一方で、同年11月に社会貢献活動(子ども支援)プロジェクト『S.U future』を立ち上げた。これまでバスケも勉強も、時にはアルバイトも同時に全力で行なってきた内尾にとって並行しての活動は苦にならないどころか、むしろ普段どおりの取り組みだった。

 このプロジェクトを立ち上げた思いを内尾はこう語る。

「ぼくはひとり親家庭で育ちましたが、母親のおかげで大好きなバスケを続けることができました。また、僕はいい人たちに出会えて育ててもらったので、人に恵まれていたと思っています。でも、なかには続けたくても続けられない家庭環境の子どもや、支援を受けられる道があるのに、その情報が届かなかったせいでやりたいことをあきらめてしまう子どもがいます。そんな子どもたちを応援したいと思っています。僕をきっかけに夢を持てたり、新しいものの見方や考え方ができたりしてくれたら、プロ選手としてやっている意味があると思い、このプロジェクトを立ち上げました」

 また、自ら立ち上げたのは、移籍の多いプロの世界にあって、たとえチームが変わっても、「自分が主体としてやるプロジェクトであれば、子どもたちにストレートに思いを伝えやすいから」という理由があった。その活動はすぐに始動し、「コラボの洗顔料をつくって、その売り上げをひとり親家庭の支援、子ども料理教室に使う」という。

 さらに今シーズンのオフにも、熊本県にある『子ども第三の家』に訪問する予定がある。ここは、母親がフルタイム勤務しているため家に帰っても誰もいない、家庭で虐待を受けている、勉強をしたくても塾に通う経済的な余裕がないなど、家庭の事情で困難に直面している子どもたちが集う施設だ。

 まさにひとり親家庭に育った内尾が少年時代に感じた思いと、同じような思いを抱いている子どもたちのための施設だ。「体を動かすことも含めて、何か楽しい活動ができればいいかなと思っている」と内尾は今からこの訪問を楽しみにしている。

【プレーで人の心を支える】

 このような活動を行ないながらも、バスケに全力を注いでいる内尾。すでにチームにとって不可欠な選手になっている。持ち前のディフェンス力で数々のピンチを防ぐなど、そのプレーぶりはがむしゃらそのもの。相手エースにとってはやっかいな存在だ。

 そのひたむきな姿は、すでに人の心を動かしている。実際に重い病気にかかり、精神的にもどん底だった人が、内尾のプレーを見て生きる活力が湧き、心の支えとなったと聞く。「僕は本当に一生懸命にやっているだけで、僕みたいなプレーヤーでも元気になってもらえたんだと思うと、また頑張ろうと思います」と内尾は謙遜するが、その真摯で決してあきらめないプレーぶりは見る者に訴えかける何かがある。

 今後の目標は「Bリーグのトップのレベルでコンスタントに安定して活躍すること」だが、その先には日本代表入りも目指したいと語る。その素質は十分にあるだろう。

 ひとり親家庭で育ち、「母は僕がやると決めたことに対しては、なんでも惜しみなく力を注いでくれた」と最大限の愛情を注がれてきた内尾。そんな彼が今プロ選手となり、同じような境遇の子どもたちを含め、前に進もうとするすべての子どもたちに対して、惜しみなく力を注ぎたいと考えている。

 プロ選手はどんな存在なのか、そしてその役割は何なのか。内尾の解答は、懸命にプレーする姿を見せてあこがれの存在になること、そして同時に社会貢献活動を通してたくさんの子どもたちの希望になること。その実現に向け、まずは第一歩を踏み出した。

【Profile】
内尾聡理(うちお・そうり)
2001年4月12日生まれ、福岡県出身。184cm、81kg。PG/SG。小学1年のときに小倉ミニバスケットボールクラブに加入すると、徐々に才能を発揮。中学3年時にはU-16日本代表に招集される。高校は名門・福岡第一に進学し、3年時にインターハイ、国体、ウインターカップの三冠を達成する。中央大学ではキャプテンとして活躍。大学4年時に千葉ジェッツに特別指定選手として加入。2024年6月にファイティングイーグルス名古屋に移籍した。姉は富士通レッドウェーブ所属の内尾聡菜(うちお・あきな)。

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