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『極悪女王』も話題となり、ここ数年で人気再燃し盛り上がりを見せている女子プロレスにおいて、長年"女子プロレス界の横綱"と称されたレジェンドが今年4月での引退を発表!
東北の拠点・仙台に「センダイガールズ」(以下、仙女)を立ち上げ社長としても牽引、今や世界がリスペクトする存在となった里村明衣子がその真意の全てを明かしてくれた!!
――昨年7月の表明から引退ロードをひた走っている印象ですが、まずは決断に至った心境をずばり...。
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里村 やっぱり、40代を過ぎて怪我のリスクがすごく高いなと。自分の身体のこととかこれからの老後まで考えるようになって。人生あともう一周できると思った時にプロレスを続けるのか、別の道でやっていくのか...結論までに1年くらいはかかりました。
――老後までとは、自身の人生を振り返りつつターニングポイントを実感して?
里村 WWEと契約してしばらくイギリスに在住し日本を離れた時、いろんなことを頭の中でリセットする機会があったんです。別の道に進んでいくほうがこれからも長いし、プロレスラーとしてはけじめをつけようという考えにだんだん変わって。
――実は10年前、週プレNEWSでの初インタビューでも引退観を語っていただいてます。「怪我=引退にはしたくない」「プロレス人生を全うしたと言える時に引退」と。
里村 はい。やっぱり一番いい状態の時に決意したいという思いはずっとあったんですね。そう考えると今かなって。
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――2005年の長期離脱含め、選手生命に関わる怪我と常に隣り合わせで。そういう意味では心技体すべて充実し今がキャリア最高ともいえる?
里村 もう絶好調です。ちょうど30年目になりますけど、20周年の時も実は数字的には十分やったかなという思いがあったんです。ただ、まだWWEとも契約してなかったし海外にも行けてなくて、まだまだ叶えてないことがいっぱいあるなと。そこから追い続けてきたものがだんだん形になって、本当に20周年でやめなくてよかったですね。
――その翌年からメイ・ヤング・クラシックでの活躍を受けてWWEと契約、ドイツのWXW参戦などを経てイギリスのNXT UKでは四度の王座防衛を果たすなど世界を舞台に名を馳せました。
里村 一般のアスリートでいうと30代半ばでもう現役引退するわけじゃないですか。でも自分は35歳を過ぎてもそこでまだまだ全然追うものがあると思って決意できなかった。
――興行として見せるプロレスであれば肉体的衰えが否定できずともパフォーマンスを続けるレスラーも多々いますが、自分の中ではアスリート意識のこだわりが強い?
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里村 自分でも最近やっと気づきましたが、すごいプライドが高いんだなって。動きが遅くなったり体がだらしなくなったり、衰えた姿を絶対見せたくない、そう思われたくないっていうのはすごくあります。
――それゆえ、いまだピークのうちにという美学かと。一方で「プロレス人生を全うする」ということでは10年前にやり残していた海外参戦も果たし、次に進むべきと。
里村 選手と経営の立場を両立して14年になるんですが、なんかすごく重いものを背負っていた感じがするんですね。プロレスラーとしてだけだったら、もっと身軽になってたでしょうけど、もう本当に苦手なことをずっとやってきた。それを今後は経営のほうに専念してやっていこうと判断できたのも今でした。
――重責を担い、キャリアとしては選手に専心できていたらという思いも?
里村 もう何度も思いました。もっと楽になれたのに、もっと寝られたのにって(笑)。でも振り返ってみると、気づいたら両立できていた感じで、それが人として厚みとかそういうものにはなってるかなと。
――新崎人生さんとの出会いで仙女の立ち上げから支柱となり、あの3・11東日本大震災の直後から団体を引き継いで社長業を兼務。その災禍からの流れも予想外でしたか?
里村 本当に運命だったなと思いますね。その時は使命感と意地しかなかったです。
――所属選手がDASH・チサコとふたりだけ。資金繰りにも難渋する辛苦の時期を経て、今ある未来を想像できました?
里村 もう全然ですね。スタッフがいないのでひとり5役くらいで走り回って。何人分でも自分が寝なければいいだけと意地でやりきってましたけど、その分やっぱりミスも起こるし、その処理とか謝罪とかすごい悪循環になって。それで選手にも負担がかかってやめたいとか言ってきたり......。
お金の問題もあったけどそこはすごい悩みでもなく、37歳まで貯金ゼロでしたけど、自分が経営の側だから文句も言えないじゃないですか(笑)。
――それも選手としてのみであれば実績次第の自己責任で稼げたわけですよね。
里村 でもこれじゃいけない、スタッフひとり雇うにもその分の売り上げを確保しなければと頭を使って、そういう経験も学んでいるので。やっぱり、人ひとり入れる大変さ、やめる大変さ、慣れていくのもありますけどすべてが経験なんだなと。
一番最初、いよいよこれからっていう時に20代のコが結婚で引退しますとかフリーになって他にいきますとか言われた時の失望感。あの心の震え、愕然とする虚しさ、それはもう自分自身が耐えられないほどの状態でしたけどね。
――そこでどう魅力的な団体にしていくか、彼女たちにとっても素敵なホームたりうるかを模索してきた日々と言えますか。
里村 はい。そういうことを経て、一生このままなのかと思っていたところをなんか結構いろいろ振り切ってしまって。海外に進出してみたら契約という形になり、そこでいい選手もたくさん見つかって、逆に日本に呼ぶことでいい効果も生まれてきて。いろんなものが蓄積されてちゃんと良い循環になって、がらっと自分の人生も開けてきたんです。
――海外参戦されている間はまだコロナ渦中だったこともあり、里村さん不在で大丈夫なのか?と危惧も正直ありましたが......。
里村 それもいい機会だと思いましたね。言い方は厳しいですけど、それまではまだおんぶに抱っこ状態というのもあり、意識をもう変えなければと。おまえらでやってみろって思いっきり突き放しました。収入がない分、私の役員報酬はぐっと削って、自分自身はこっちで稼げばいいわけですし。
――結果、危機感を煽(あお)られた橋本千紘を中心に選手たちが自覚し成長できた?
里村 そこからの3年間でがらっと変わりました。それは彼女たちの頑張りでもありますし、自信になったかなと。まぁ、長く続けて会社自体も役割分担であり体制が整ってきたところで、震災の時に比べたらなんてことなかった。
⇒後編「注目度再燃の女子プロレスで引退を決意したカリスマ・里村明衣子が貫く"人生をかけた夢"とは?」に続く
●里村明衣子(さとむらめいこ)
1979年、新潟県生まれ。95年、GAEA JAPANの旗揚げ戦でデビュー。2006年のセンダイガールズプロレスリング設立からエースとして活躍。13年には初の女子プロレス大賞受賞。21年にはWWEでもコーチ兼選手として契約後、NXT UKで王座を4度防衛する。
◆3/19の仙女『THE TOP of JOSHI WRESTLING』(代々木競技場第二体育館)、3/23には新潟・佐渡島(相川体育館)、3/29の新台湾プロレス参戦(台湾)と続き、4/29の後楽園ホール引退試合まで最終降臨を見逃すな!
撮影/五十嵐和博 試合写真提供/センダイガールズプロレスリング