
予期せぬ妊娠などで支援が必要な“特定妊婦”が増えています。追いつめられる彼女たちの背景には、見えにくい生きづらさがありました。ある孤立妊婦の妊娠・出産・育児から考えます。
【画像でみる】増加する“特定妊婦” 予期せぬ妊娠 生きづらさの理由
増える孤立妊婦…追いつめられる彼女たちの居場所は2023年2月。ふっくらしたおなかでベビー用品店に姿を見せた女性。ゆきさん(仮名)22歳。このとき妊娠8か月だった。
ゆきさん(当時22歳)
「買っておくといいよと先輩ママに言われました」
妊娠は予期していないものだった。
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ゆきさんが、身を寄せていたのは、札幌の「リリア」。家族に頼れない、住む場所がないなど、困難を抱える妊婦が一時的に無償で住むことができる施設だ。
妊娠期から原則、産後2か月までの親子を3組まで受け入れることができる。
Q.いつも、お腹なでたりする?
ゆきさん(当時22)
「しないです。動いた部分を触ったりするけど、ドラマみたいに、こんななでてとかないです」
おなかの赤ちゃんの父親として思い当たるのは、2人の男性。
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Q.その人には、妊娠を打ち明けた?
ゆきさん(当時22)
「(父親が)はっきりどっちかわからないし、仮にどっちかってわかってても絶対言わない、認知させないと思って」
ゆきさんには、頼れる家族もいなかった。幼いころに両親が離婚。ゆきさんは、母親に引き取られた。3歳からは、児童養護施設で育った。
ゆきさん(当時22)
「自分が施設にいて、いい思いをしてきてないからこそ、施設には絶対入れたくなくて、生まれても。職員側でも虐待っていうんですか?する人とかいるし。なんか、そういうのを経験しているから、絶対(施設に)いれたくない」
小学6年生の時、施設の職員との関係が悪化し、その後、自傷行為を繰り返した。高校を中退し、自立援助ホームに移り住んだが、「リリア」に来る前は、ススキノのガールズバーで働き、ホストクラブに金をつぎこむ毎日。
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ゆきさん(当時22)
「承認欲求じゃないけど、満たしてくれる。お金はかかるけど、必要としてくれる。今まで必要とされてこなかった人生なのに」
ある日、生理が来ていないことに気づき、半信半疑で妊娠検査薬を試したところ、結果は陽性。妊娠には驚いたが、すぐに産むことを決断した。
ゆきさん(当時22)
「私の母親が、私と弟のことは産んでるけど、それ以外に妊娠した子を中絶している」
しかし、収入が途絶え、自分ひとりが生きていくことすらままならなかったとき、「リリア」という場所に救われた。
Q.不安としては何が強い?
ゆきさん(当時22)
「やっぱり子どものこと。一緒にいられるのかなっていうのは。(妊娠が)分かってすぐ職場にLINEして『やめます』って言ったけど、仕事してないし、お金もないし、相手がいるわけでもないし、友達に頼りっぱなしというのも絶対無理」
「リリア」の相談員、佐々木さん。食事もろくにとらない生活をしていたゆきさんに、一から料理を教える。
今日のメニューは麻婆豆腐。豆腐をうまく切ることができなかったゆきさん。時におせっかいに。その会話はまるで親子のようだ。
「リリア」佐々木友美相談員
「たぶん自分のためには(料理)しないけど、赤ちゃんのためなら作るんじゃないかな」
妊婦を支えることは、生まれてくる子どもとの生活のためでもある。
「リリア」に助けを求める妊婦の多くは、「にんしんSOSほっかいどう」がきっかけでやってくる。妊娠にまつわる悩みを電話やLINEなどで24時間受け付けているのだ。
「中絶したいけどお金がない」「親にはバレたくないけど産みたい」。寄せられるのは、後ろめたさを感じながらも、藁にもすがる思いで出すSOSの数々だ。
にんしんSOSほっかいどうサポートセンター 田中佳子所長
「ひとりで悩まないで。とにかく電話でもLINEでもなんでもいいので連絡してください。そうすると、道は開けていく。赤ちゃんもお母さんも何とかなりますから。それだけお伝えしたい。本当に連絡くださった人で、みんななんとかなるんです」
2023年春、出産の日を迎えた。
看護師
「もう少しで赤ちゃんに会えますからね、一緒に頑張りましょうね」
切迫早産の危険があり、帝王切開の手術となった。ゆきさんに付き添う人は、誰もいない。
(赤ちゃんの泣き声)…元気な、女の子の赤ちゃんだ。
助産師
「眉毛が、ちょっとお母さんに似てますね。よく育っていると、ちゃんと爪も伸びて、お母さんのおなかの中がよかったんですね」
幸せそうな表情を浮かべるゆきさん。
ゆきさん(当時22)
「かわいい。とりあえず女の子で安心しました」
産後2か月までは「リリア」で過ごせるが、その先のことはまだ決まっていなかった。ゆきさんは、幸い支援を受けられたが、祝福に包まれて生まれる命ばかりではない。
追いつめられる妊婦 深刻な事態も熊本の産婦人科・慈恵病院。ここは2007年に「こうのとりのゆりかご」、いわゆる赤ちゃんポストを日本で初めて設置した病院だ。
開設から18年。これまでに180人以上の 赤ちゃんが預けられてきた。
この病院に月に1度きて、妊産婦の精神的サポートをする精神科医の興野康也氏。「予期せぬ妊娠」で追いつめられる女性たちには、複雑な生育環境が共通しているという。
精神科医 興野康也氏
「虐待やいじめを受けたり、DVを受けたりする中で、人に心を開くのが怖い。人に何かを言っても痛めつけられるだけだと学習している人も多い。相談してくださいと言われても、相談すること自体が怖いし、またもっときつくなるじゃないんかと不安になってしまうので、なかなか相談できない」
母親が孤立出産の末、乳児を遺棄する事件は後を絶たない。興野氏は、子どもを死に至らしめた女性たちの裁判に精神科医の立場としてかかわる。彼女たちの抱える、ある特性が見えてきたという。
北海道千歳市。2022年6月、駅のコインロッカーから赤ちゃんの遺体が見つかった。
殺人と死体遺棄の罪に問われたのは、当時22歳の母親。幼いころから、いじめに悩みリストカットを繰り返した。社会に出てからも、仕事が長く続かず、人間関係で揉めるようになったという。
その後、交際相手に金を要求され、性風俗の世界に飛び込んだ。客に「本番行為」を強要され妊娠し、誰にも知らせずホテルで出産。産まれたばかりの我が子を手にかけた。
興野氏は、更生支援の方向性を考えるため、弁護側の証人として、彼女の精神鑑定を行った。
精神科医 興野康也氏
「鑑定結果としてあったのは、境界知能とADHDグレーゾーン」
平均的なIQと知的障害の診断を受けるIQの狭間を境界知能という。そして、ADHD=注意欠陥・多動性障害のグレーゾーンにあると診断。基準を満たさなくとも、一部症状がある状態だという。
精神科医 興野康也氏
「グレーゾーンの人は、周りが気づかない、本人も気づかない。それでいて社会生活上、仕事・お金・人間関係で困ってしまって、不幸なことになってしまうことが多い」
興野氏が携わった事件は、高松でも。自宅アパートの押し入れに、出産した3人の乳児の遺体を次々と遺棄した、女性の裁判員裁判。
興野氏はこの事件でも、弁護側の証人として被告の精神鑑定を行い、「ADHD」と診断した。
精神科医 興野康也氏
「必ずしも量刑を上げる下げる意味ではない。実際どういうことが起きて、本人がどういう意思決定をして、どこで失敗したかというのをみるには、精神科的な分析が必要だと思った。および本人の量刑が決まった後の支援にも絶対不可欠」
父親が責任を放棄できてしまうのも、大きな問題だと指摘する。
精神科医 興野康也氏
「孤立出産は生物学上、男性の関与がある。男性は出廷すらしない、まったく罪にも問われない、もちろん注意も受けない。女性だけ懲役何年というのは普通に考えてアンバランス」
産後2か月で以前の施設を退去し、札幌の母子生活支援施設に移り住んだゆきさん親子。
母子生活支援施設には、夫のDVから逃げたり、予期せぬ妊娠などで夫がいなかったり、事情のある母子が入居している。
基本的に家賃はかからない。ゆきさんが生活している施設は、20世帯の親子が入所できる独立した個室と、子どもが遊べる共用スペースなどを備えている。施設の職員が、緊急時の子どもの預かりや、育児のサポートなどもしてくれる。
ゆきさんは、この場所へと身を置くことで、施設の職員やほかの母親もいる環境で、社会的な孤立からは免れることができた。
一方で、母親を過度に甘やかさず、親子の「自立」を促すという。
ゆきさんに対しても、部屋でバランスのいい食事を心がけるために一緒に料理をしたり、娘の世話を手助けしたりするなどの積極的なサポートを行っている。
しかし、ゆきさんは、娘と2人で、一日の大半を部屋で過ごすことも多い。
ゆきさん(当時23)
「かんしゃくを起こしすぎちゃって、ミルクも飲まないし、寝ないし、眠たいし、おなかもすいているけど、3時間くらいぶっ通しで泣いてて。本当にひとりで見なきゃいけなくて、それが大変というか、ちょっとイラっとしちゃった」
保育園に入園させるまでの1年間、育児の記録をつけることにしていた。
ゆきさん(当時23)
「退院した時から書いている。ミルクの時間、量、排泄回数を書く。見えやすい方がいいかなって思って」
ゆきさんには、小学生の頃からリストカットをするなど、不安定な部分があった。出産後、精神科を受診し、躁うつ病と診断された。
5か月後、娘は1歳を迎えた。ハイハイして、笑って、立って。一歩一歩、できることが増え、成長している。
生まれてから1年間綴っていた日記は、ひとつの区切りの365日目を迎えた。ゆきさんが、子育ての中で生じた、葛藤を打ち明けてくれた。
「私がママじゃないほうが…」生きづらさの理由冷蔵庫には、娘を思って書いた七夕の短冊が貼られていた。
「幸せになりますように」
娘はもうすぐ2歳になる。保育園にも通っていて、日中の自由な時間は増えた。
ゆきさん(24)
「インスタ見てたらめっちゃかわいいのが出てきて『もうしたい』と思って、わざわざ(予定)キャンセルしてネイルに行きました」
今も、経済的な自立は果たせていない。生活費の使い方について、施設の職員から指摘されると、反発を感じることもあるという。
ゆきさん(24)
「私が施設暮らし(育ち)だからか、職員を勘ぐっちゃう、言っていることとかを全部勘ぐってしまう。『どうせ仕事だからこう言ってるんだろ』とか。まったく信用していません。普通ではない環境下の中で育ってきた私には無理なこと要求されますよね」
不安定になる心を薬で落ち着かせる毎日、だが…
ゆきさん(24)
「イライラしそうなことがあると分かっていたら、事前に飲んでおくことができるけど。そうじゃない急な時は、(子どもに)あたっちゃいそうになる、態度とかで」
自分の生活さえもままならなかったゆきさん。娘との生活をはじめて、2年がたとうとしている。
なお一層生きづらさを感じるのは、社会が求める「普通」の母親のイメージに苦悩するからだ。
ゆきさん(24)
「たまに思うのは、もちろん産んでよかったし、いまこうやって一緒に生活できてるのはうれしいけど、私がママじゃないほうがいいんじゃないかと思うときがある」
予期せぬ妊娠で始まった母親としての生活。その生きづらさへの理解が求められる。