画像はディズニー・スタジオ公式Instagramより◆実写版『白雪姫』の“修正”に批判の声が続出
実写版『白雪姫』が議論を呼んでいます。総製作費2億7000万ドルに対する初週の興行成績が4300万ドルと期待外れだったのに加えて、現代的に書き換えられた内容に疑問の声が相次いでいるのです。
アニメでは「明るくきれいな心を持つ美しい王女」として白い肌のルックスだったキャラに、実写版ではコロンビア系の俳優を起用。白雪姫という名前の由来も、本来の「雪のように白い子」から「猛吹雪を生き延びた」という設定に変更されています。さらにはストーリーも、“世界征服を企む悪女と対決する自立した強い女性”となっていることからもわかるように、昨今の多様性への配慮、ポリコレを強く意識した作品になっています。
実際に作品を見た人からは不満の声が続出。“多様性は大事だがあまりにも原作へのリスペクトが欠けている”とか、“絶対に崩してはいけない世界観があるはず”と、批判を通り越して否定的な意見が多いのが印象的です。
一方で、ディズニーの姿勢を擁護する声もあります。いわゆる、白人至上主義的な美的感覚が支配的だった過去への反省として、目に見える形で実写版『白雪姫』が態度を表明したことは称賛に値する、といった意見ですね。
◆昨今見られる“修正主義的なムーブメント”
『白雪姫』のほかにも、昨今では歴史を振り返り、誤りをただす、修正主義的なムーブメントが見られるのも事実です。
たとえば、植民地主義の象徴であるクリストファー・コロンブスの像を破壊したり、同様の理由でアメリカ国歌の斉唱を拒否するアスリートの存在も注目を集めました。
また女性の権利を尊重する理由から、男女デュエットの冬の定番ラブソング「Baby It’s Cold Outside」の歌詞を直すなんてこともありました。オリジナルでは“外は寒いから”と言って、家に帰ろうとする女性をなんとか部屋にとどめておこうと必死な男性の様子を描いた歌詞が、ポリコレ版ではUberを呼んで気持ちよく家に送り届ける内容になっているのです。
好むと好まざるとに拘らず、これが近年のアメリカのエンターテイメントの方向性を決めてきた思想的な潮流だったのですね。実写版『白雪姫』も、そうした流れの中に位置づけられます。
◆かつての表現や現実を勝手に書き換えてもいい理由にはならない
もちろん、人類は誤りを認め、反省し、よりよい社会を築くために認識や価値観を改めてきました。
しかし、そのようにアップデートを繰り返してきた現代の価値観が、過去のそれと照らし合わせて正しく、好ましいものだからといって、かつての表現や現実を勝手に書き換えてもいいという理由にはならないはずです。
たとえ現代の価値観が寛容さや正義を体現していたとしても、昔の人たちが必死に生きてきた成果としての叡智を、自らの必要に応じて強制的に変更してもよいと考えるのは、相当に傲慢なことだとは言えないでしょうか?
◆イギリスの児童作家、ロアルド・ダールの作品をめぐる騒動
今回、『白雪姫』の騒動で思い出したのが、『チョコレート工場の秘密』などで知られるイギリスの児童作家、ロアルド・ダールのことです。ダールの作品もまた、現代の目で“再検品”された結果、好ましくない表現があるとして、出版社によって修正されるという事件があったのです。
たとえば、『チョコレート工場の秘密』にある「太った」(fat)という形容詞は、「巨大な」(enormous)になり、『アッホ夫妻』でアッホ夫人を描写する「醜くて野獣のよう」という表現からは「醜くて」(ugly)を取って、ただ「野獣のよう」という形容だけになりました。同書では、「変なアフリカの言語」という文からも「変な」(weird)が削除されました。またウェルビーイング的な観点から、「クレイジー」、「狂っている」(mad)などの表現もなくなりました。
これがイギリス議会や王室も反応する大騒動に発展しました。リシ・スナク首相(当時)の報道官は、フィクション作品は「修正ではなく維持」されるべきとの声明を発表し、カミラ王妃までもが「表現の自由や想像力を制限しようとする人びとに邪魔されることなく、自分の使命に忠実であり続けて欲しい」と述べ、出版社による修正を批判。
結局、ダール作品はオリジナルのまま出版が継続されることになったという顛末です。
◆「修正する正義」を認めることが意味するもの
このように、迎えた結末に違いはあれど、『白雪姫』とロアルド・ダール騒動には共通点があります。それは、反動的な正義によって史実が書き換えられ得ることを世に知らしめたことです。
過去の事実を不服とし、それを現代の認識によって転換させることは、言ってみればリベンジ(復讐)です。それは実力行使であり、報復の連鎖を生む温床となり、現に多様性はトランプ政権下の“新たな認識”によって絶滅の危機に瀕しています。
そうなると、アニメ『白雪姫』を修正する正義に正当性を認めろというのであれば、将来的に実写版『白雪姫』が真逆の価値観でリメイクされることについても同様の覚悟をしなければならない、ということになってしまいます。
政治的にあまりにも正しい『白雪姫』が不評を買ったのは、決してリベラル思想への反発だけが理由ではないでしょう。
その隠しきれない攻撃性にこそ、人びとは本能的に警戒感を抱いているのだと思います。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4