呂布カルマ 写真/産経新聞社◆“ラッパーなのに体制側なのか”万博批判を批判して炎上
大阪万博への批判に疑問を呈したラッパーの呂布カルマが大炎上しています。
空飛ぶクルマや雨漏りする木製リング、そして「並ばない万博」をうたっていたのに行列ができていたり、挙句の果てには開幕後にやっとWi-Fiを整備するなど、トラブル続きの事態に“税金の無駄遣い”といった声が相次ぐなか、カルマ氏は自身のXアカウントに、<行ってないし行く気もない奴らの万博の悪口もういいって>、<誰が得すんの>と投稿したのです。
これが怒りを買い、“ラッパーなのに体制側なのか”とか“吉村知事と対談してるから利権サイド”、さらには“ひたすらダサい”と全否定するコメントまで出る始末。
一方で万博を称賛する著名人もいることから、SNSでは党派性があらわになった批判合戦になっているのです。カルマ氏の発言も、そうした文脈で受け取られたために、激しく燃え上がってしまったのでしょう。
◆世論誘導的な意図はあったか?
しかし、カルマ氏には、そうした世論誘導的な意図があったのでしょうか? 発言自体の是非はさておき、その点は筆者は疑問に感じています。カルマ氏は、もっと素朴に批判に対する困惑を表明しただけなのではないか?
先日筆者がABEMA Primeでお目にかかったときのたたずまいが忘れられません。VTRが流れている場面では行儀よく脚を閉じ、発言する際には物静かで慎重に語りだす呂布カルマが、くだらない政争に勇んで参戦するとは思えないのです。
その理由を説明していこうと思います。
◆「何だこの駅…気持ちわりぃ…」発言の意図は?
まず、カルマ氏のスタンスです。基本的に、彼は自分の実感に基づいた視点から快、不快の判断をくだす人だということです。
たとえば、萌えアニメとコラボして真っピンクになった鳥取県の智頭急行の恋山形駅についての発言は記憶に新しいところです。<ただの二次元ロリコン趣味のアニメまで調子こいて世界に誇る日本の文化面してんのがキツいし、他の産業が弱った地方が藁にもすがる思いでオタク相手にロリコン営業やってんのもマジで辛い>
この投稿には、オタクたちも怒りました。自らの趣味を全否定し、また日本が誇るカルチャーだと思っていたもの、その構造まで否定する発言だったのですから当然でしょう。
けれども、カルマ氏はオタクどうこうの前に、さびれた山村に唐突にあらわれた、極めて人為的でどぎつい色彩に疑問を投げかけているのですね。どう考えても、この風景には似つかわしいオブジェではないし、またあえてそうした意外性やハレーションを狙ったアートでもない。それが、オタクにおもねった商売になっていることが、むしろオタクをバカにしているのではないか、と言っているわけです。
◆素朴さゆえの危うさも
今回の万博批判に対する見解も、それと同様です。もう始まって、良くも悪くも後戻りできないものに対して、今更何を言ってんの?と。さらに言外の意味を読み取るなら、万博を批判している人たちは、むしろ問題が改善されるよりも、さらに大きな問題が起きることを期待しているんじゃないか、とカルマ氏は見ている。それを、「誰が得すんの」と、あえて稚拙な言い方でぶん投げたわけですね。
つまり、カルマ氏は一般論として、日常の感性にもとづいて批判に対する批判をしているのです。もちろん、その素朴さゆえの危うさもあります。“万博を批判することに意味はあるのか?”というフレージングは、アメリカの学生による反イスラエルデモに、“退学のリスクを負ってまですることなんだろうか?”と発言した山崎怜奈氏に通じるところもある。
ただし、発言をよく読めば、少なくとも「今起きているのは政治闘争ですからね」と言った辛坊治郎氏のような党派性や攻撃性はないことは分かるはずです。
◆度を越した批判に見え隠れする大衆心理
しかしながら、SNSは思い込みの激しいメディアです。ひとたびカルマ氏が吉村知事と対談していたとわかると、点と点がガッツリと結びついてしまう。“呂布は利権サイドだから、こんなことを言うのだ”と。
確かに、カルマ氏が吉村知事と対談していたことは事実だし、好意的な発言や態度を示していたのも事実です。でも、それぐらいはその場のノリで社交辞令でやるだろうと考えるのが、普通の感性なのではないでしょうか。その言動をもって、カルマ氏が日本維新の会、ならびに大阪万博の濃密な利権関係者だと断罪し、そしてそのことが正しいと信じて疑わない光景は異様に映ります。
もっとも、呂布カルマ氏が全く利権に絡んでいないという確証もありません。しかし、だったからといって、それが何なのでしょうか?
かつて、名コラムニストの山本夏彦(1915-2002)が、権力の腐敗を非難する人ほど、自分がその立場に置かれたら同じことをする、と書いていました。
今回の呂布カルマ氏への度を越した批判には、そんな大衆心理も見え隠れしているのだと感じました。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4