『YOUは何しに日本へ?』でも話題呼んだPIERROT、来たるKアリーナ公演がラストライブとなるか…バンドが残した伝説の数々

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2025年05月09日 12:00  ORICON NEWS

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PIERROT(1999年)
 5月17日、18日に神奈川・Kアリーナ横浜でワンマンライブ『LASTCIRCUS』を開催するヴィジュアル系ロックバンド・PIERROT。同バンドのために来日した熱狂的なアメリカ人ファンの密着取材が放送されたテレビ番組『YOUは何しに日本へ?』(4月14日放送)も話題になった。Kアリーナ横浜公演が最後のライブになる可能性も示唆されているPIERROT。ここではバンドが残した伝説の数々を紹介したい。

【画像】メジャー1stアルバムをリリースした1999年の別カット

■ヴィジュアル系の“フリ”文化を広めたPIERROT 

 1998年9月にメジャーデビューしたPIERROTは、ギターシンセを駆使した特異なツインギターサウンドと、悲壮感と少年っぽさが介在するボーカルで、ダークな音楽性と独自の世界観を創り上げた。2006年に惜しまれつつ解散するも、14年10月に突如ワンマンライブ『DICTATORS CIRCUS FINAL』を開催。その後、17年、24年と、イベント出演にて一時的な再結成を果たすも、ワンマンライブを開催したのは約10年ぶりのことであった。

 ヴィジュアル系ファンが熱狂的であることは、多くの認識を得ていることだろう。その中でも熱狂を超えた狂信、信奉者とも呼べるファンを多く抱えている、多大なカリスマ性を持ったバンドがPIERROTだ。

 それを大きく表しているのが『YOUは何しに日本へ?』でも「パラパラのような〜」と触れられていた、いわゆる“フリ”文化である。ステージ上に置かれた“お立ち台”の上にボーカリストが立ち、オーディエンスを扇動する…ヴィジュアル系バンドのライブでは見慣れた光景だが、これはPIERROTが広めたものなのかもしれない。台にあがったキリト(ボーカル)に合わせて、何千人というオーディエンスが一糸乱れぬ動きを見せる様相は一体感を超えたものだ。

 その代表曲が「Adolf」という楽曲である。シーンの中では珍しい横ノリのゆったりとしたビートに乗せて、皆が頭上で両手首を打ち鳴らしていく。まるで何かの儀式のようなその光景は大きなインパクトを与え、後続のバンドに大きな影響を与えていったのである。

■壮大な歌詞世界と作品を通じたストーリー展開

 「Adolf」はナチスドイツをテーマにした楽曲だ。PIERROTの詞世界は選民思想やニヒリズムといった、ヴィジュアル系世界観を色濃く表しており、すべての楽曲の作詞を手がけるキリトの作家性も、カリスマ性を備えている。テーマを持って複数の楽曲を繋ぎ、ライブやアルバムを超えてストーリーを紡いできたのも大きな特徴だ。

 1998年9月リリースのメジャー1stシングル「クリア・スカイ」では、〈壊れていくこの世界で〉と、ノストラダムスの大予言における終末観を描き、同年12月リリースの2ndシングル「MAD SKY〜鋼鉄の救世主〜」では〈新しい未来は訪れる〉と歌っている。この二面性は、翌99年2月リリースの両A面シングル「ハルカ…/カナタヘ…」へと続き、2曲でひとつの世界を創り上げている。同年4月1日、バンド初となる日本武道館公演は二部構成で行われ、第一部は「ハルカ…」、第二部は「カナタへ…」から始まるコンセプチュアルなセットリストが話題を呼んだ。

 メジャー1stアルバムなのに終末的なタイトルの『FINALE』(1999年7月)は、「終わりは始まり」という逆説的なコンセプトもあり、〈僕〉と〈君〉という楽曲の登場人物をアダムとイブに見立て、2人が生まれ変わりながら求め合う展開が繰り広げられている。そして同作のラストを飾る「Newborn baby」は進化し、「CREATURE」(1999年12月)となる。人間に潜む“CREATURE=怪物”とは…? そして舞台は、“現世”から“地獄”へと移った2ndアルバム『PRIVATE ENEMY』(2000年11月)へ。3rdアルバム『HEAVEN 〜THE CUSTOMIZED LANDSCAPE〜』(2002年4月)では、タイトルどおり“天国”が舞台となり、メジャーデビュー以降のストーリーは完結している。

■画期的な配信ライブやビジョン告知、DIR EN GREYとの“丘戦争”

 メジャーデビューから半年での武道館公演、1年で西武ドーム公演と、ものすごいスピードで人気とともにキャパも確実に伸ばした。数字だけでは語れないPIERROTならではの展開も残している。武道館公演の年、1999年12月には、「可能が不可能になり、不可能が可能になる」をコンセプトとした配信ライブ『THE GENOME CONTROL』を行う。当時としては画期的なインターネットによる映像配信ライブだった。

 場所が明かされないままライブを行ない、その模様が全国の街頭ビジョンや衛星放送で放映され、そして世界中へインターネット配信された。さらにライブの終了間際、キリトがこのあと新宿駅西口広場の特設ステージでライブを行うことを宣言。大きなニュースにもなった。

 2014年のライブ『DICTATORS CIRCUS FINAL』開催告知に、その新宿駅西口にあるアルタビジョンを使用したことも当時のファンを震え上がらせた。インターネットはもちろん、SNSが当たり前になった14年に、「PIERROT 2014.04.12 18:00 新宿アルタビジョン」とだけ記された特設サイトが突如開設。詳細は現地で確かめさせるという、PIERROTらしい手法だった。

 17年にはDIR EN GREYとの対バンイベント『ANDROGYNOS』を神奈川・横浜アリーナで開催した。同時期にメジャーデビューしたが、その独自すぎる突き抜けた世界観ゆえに交わりそうでいて遠くにいた両バンド。本人たちよりもファン同士がライバル視、いや、時に敵視していた節もある。それを逆手に取ったようなイベントは歴史的事件だったのだ。

 お互いの楽曲を意識した2DAYSのサブタイトルも話題になった。1日目はPIERROT「メギドの丘」を元にした『ANDROGYNOS - a view of the Megiddo -』、2日目はDIR EN GREY「アクロの丘」を元にした『ANDROGYNOS - a view of the Acro -』である。それもあって、このイベントはお互いのファンから“丘戦争”とも呼ばれた。

 さらに24年に再び両バンドが激突。『ANDROGYNOS -THE FINAL WAR-』と題された2DAYS。今度は1日目がDIR EN GRAY「蒼い月」から『ANDROGYNOS - under the Blue Moon -』、2日目がPIERROT「朱い月」から『ANDROGYNOS - under the Red Moon -』である。舞台は地球から宇宙へ、“月戦争”に突入した。しかも会場が当時ヴィジュアル系ファンの交流スポットだった原宿・神宮橋からほど近い代々木第一体育館というのも、原風景を知る古いファンには感慨深いものがあった。両バンドの最後の聖戦はお互いがリスペクトし合う愛にあふれたものとなった。

■Kアリーナ横浜での“最後のライブ”

 そして、PIERROTは今年2月に開催したライブ『END OF THE WORLD LINE』にて、5月17日、18日に神奈川・Kアリーナ横浜でワンマンライブ『LASTCIRCUS』の開催を発表した。初日には「- FINALE -」、2日目には「- HELLO -」とサブタイトルが付けられている。メジャー1stアルバムタイトルが『FINALE』であることは先述の通りだが、2006年4月の解散発表後、ラストシングルとして6月にリリースされたのが「HELLO」であった。14年4月12日、新宿アルタビジョンでの再集結告知の際にも「HELLO」のミュージックビデオが流された。「HELLO」のミュージックビデオは、キリトがマイクスタンドを蹴ったシーンで終わったが、このときのミュージックビデオでは新たなカットが追加され、蹴ったマイクスタンドを拾い上げるシーンが加えられた。

 我々にいろんな深読みをさせてきたPIERROT。今回のタイトルは何を意味するのだろうか。4月20日の『ニコニコ生放送』でキリトは“最後のライブ”になることも示唆していたが、とんでもないライブになることは間違いない。

文・冬将軍

このニュースに関するつぶやき

  • ラストか…。一時はDIRと並ぶV系2大巨頭だったな。
    • イイネ!16
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