<連載記事:地球はエンタメでまわってる> なぜ〈心の時代〉は終わりを迎えたのか? アニメとカウンセリングの不思議な関係

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2025年11月15日 20:00  ねとらぼ

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ねとらぼ

YouTubeチャンネル「株式会社カラー khara inc.official」より引用

「人ひとりに大袈裟ね もうそんなことに反応している暇なんてないのよ、この世界には」


【ランキング】エヴァ、まどマギ、進撃……あなたの印象に残っている作品は?


(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』より)


ライター:海燕

オタク/サブカルチャー/エンターテインメントに関する記事を多数執筆。この頃は次々出て来るあらたな傑作に腰まで浸かって溺死寸前(幸せ)。最近の仕事は『このマンガがすごい!2025』における特集記事、マルハン東日本のWebサイト「ヲトナ基地」における連載など。


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 なぜ、わが日本において〈心の時代〉と呼ばれる時期は終わりを迎えたのか。この大きなテーマを語りはじめるにあたって、まず一冊の本を紹介しましょう。


 東畑開人『カウンセリングとは何か』。440ページもある大部な新書で、自らも都内でカウンセリングルームを主宰し、臨床心理学の最前線に立つ著者が、四分五裂した業界の全体像を一望しようとした野心的な著書です。


 その文体は軽妙にして簡潔、非常に面白く、シロウトにも理解しやすいものです。少しでも心理学やカウンセリングに興味がある人にはとてもオススメの一冊。


 この本の中盤に「生存と実存」と題した一節があります。そこで東畑は「カウンセリングには二つのゴールがある」とし、それは「生存と実存」だ、と語っています。どういうことでしょうか。該当箇所から引用してみますね。


 生存とは、困難な状況の中で、生き延びることを指します。このとき、生物としての生存を保全することも、社会的な存在としての場所を確保することも生存に含まれます。いかに生き延びるか。カウンセリングは生存に取り組む。 実存は、その人独自の生き方のことを指します。このままならない世界の中で、ままならない身体を抱えて、いかに生きるか。そこに価値観や人生観が関わってきますし、その人の歴史が反映される。カウンセリングは実存に「も」取り組む。(東畑開人『カウンセリングとは何か』より引用)


 「生存」と「実存」。


 「いかに生き延びるか」と「いかに生きるか」。


 いずれも人間にとって決定的に重要なテーマであり、どちらが大切なのか比較できるものでもありません。ただ、ひとつたしかにいえることは、東畑自身が書いているように、実存、つまり人間の内面の問題はその人の生存を前提としているということです。


 言葉にしてみればあまりにもあたりまえのことに過ぎませんが、「いかに生きるか」考えるためには、まず生き延びなくてはならないのです。


 東畑はこのことを踏まえた上で、「生存」をゴールとするカウンセリングを「作戦会議としてのカウンセリング」、「実存」の問題を解決することをゴールとするカウンセリングを「冒険としてのカウンセリング」と分けています。


 この場合の「作戦会議」とは「生き延びるための作戦の会議」の意味であり、「冒険」とは「実存の奥底を経めぐる冒険」のことです。


 たいへん興味深い話です。そしてさらに面白いのは、彼が日本の臨床心理学の歴史を踏まえ、1970年代から90年代にかけて主流であった「冒険としてのカウンセリング(いかに生きるかを問うカウンセリング)」が2000年代に入るとさまざまな批判を受けて退潮し、認知行動療法や家族療法といった「作戦会議としてのカウンセリング(いかに生き延びるかを問うカウンセリング)」に取って代わられたと記していることです。


 東畑によれば、その背景にあったのは日本社会の大きな変化です。70年代から90年代にかけての日本は経済的に豊かで、人々は「いかに生きるか」という人生の問題に取り組むことができた。


 しかし、2000年代以降、社会はどんどん不安定化し、「いかに生き延びるか」を扱うカウンセリングが必要になってきたのです。


 いうまでもないことですが、わたしは臨床心理学についてまったくのシロウトで、一切の学術的知識を持っていません。ですが、それにもかかわらず、この箇所を読んだときには思わず唸ってしまいました。この変化には個人的にうなずくところがあったのです。


 1970年代から90年代にかけての〈心の時代〉において、「いかに生きるか」という実存の問題は最大限に注目するべきメインテーマでした。


 わたしの関心範囲でいえば、たとえば『機動戦士ガンダム』から『新世紀エヴァンゲリオン(エヴァ)』に至る一連のロボットアニメはそのことを最もわかりやすく表わしています。


 これらの作品においては、主人公は苛烈をきわめる戦いのなかで巨大ロボットを操りながら、どのように生きるべきか悩み苦しむのでした。


 特に『エヴァ』はまさにその時代における「実存」のあり方を突き詰めた、ある種、「文学的」かつ「私小説的」な物語でした。


 『エヴァ』の主人公・碇シンジの活躍と挫折は〈心の時代〉を象徴するもので、そこからは個人の内面と外部の世界が一直線に結ばれ呼応しあう〈セカイ系〉と呼ばれる作品群が誕生しています。『最終兵器彼女』や『ほしのこえ』、『イリヤの空、UFOの夏』といった作品が代表作です。


 これらの作品において男性主人公は基本的に無力で、ひたすら苦悩しつづけます。実存の問題が重視される〈心の時代〉ならではのアンチヒーローというべきでしょう。


 しかし、その実存重視の風潮は、2000年代から2010年代にかけてのロボットアニメにおいては激変します。


 象徴的なのは2006年の『コードギアス 反逆のルルーシュ』。この作品において主人公ルルーシュはときに倫理的に問題含みのことも含めて積極的に行動しつづけます。


 その姿は自分の行動の倫理的な是非を解決できずにうずくまってしまった碇シンジとは対照的で、まるで「悩む前に行動しろ」といっているかのよう。


 また、2012年にさらに衝撃的な形で〈心の時代〉の終焉を突きつけたのは、ほかならぬ『エヴァ』の続編、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』でした。


 この作品の舞台は前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の14年後で、そこから世界全体の状況が激変しています。具体的には、世界は壮絶な〈サード・インパクト〉を経て崩壊に瀕し、社会的なリソースが激減しているのです。


 そこではまさに「生存」の問題が前景化し、「実存」の問題は二次的なものとして扱われています。14年の空白を飛び越えてめざめたシンジはその変化についていくことができず、またも絶望します。


 もし、このときのシンジがカウンセリングを受けるとしたら、それはまず生存をめざす「作戦会議としてのカウンセリング」にならざるを得なかったことでしょう。


 このように2000年代中期以降、先進的なアニメの主題は「いかに生き延びるか」に集約され、「いかに生きるか」の問題は後景化しました。そういった変化はむろん、ロボットアニメ以外の作品でも見られます。


 そのなかでも最も重要なのは2011年の大傑作『魔法少女まどか☆マギカ』です。この作品は年端もいかぬ少女たちを主人公に、ショッキングな形で過酷な「生存闘争」を描いています。


 さらに重要かつ象徴的なのは少年マンガの革新的な大ヒット作『進撃の巨人』でしょう。これは突如、かりそめの平和が崩れ去った社会を舞台に、強大な巨人に立ち向かう少年少女たちを描くストーリーでした。


 また、こういった作品に合わせるように、かの『少年ジャンプ』系列から出て来るヒット作の数々も残酷かつ苛烈なものになっていきます。


 いちいち例を挙げるまでもないかもしれませんが、『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『チェンソーマン』『タコピーの原罪』――いずれもすさまじいまでに凄惨な世界を舞台とし「いかに生き延びるか」を語った作品です。


 どの作品もアニメ化され、日本のみならず世界的に大ヒットを遂げています。グローバルな躍進が続く現在の日本アニメを代表しているのがこれらのアニメなのです。


 この事実は「実存より生存」という変化が日本のみならず世界の国々でも巻き起こっているものであることを示唆します。


 もはや、しゃがみこんで苦悩している余裕はないということ。『エヴァ』が象徴的に体現していたような意味での〈心の時代〉は、ここに完全なる終焉を迎えたのです。


 ですが、それでは、これから「いかに生きるか」という実存の問題は完全に放り投げられて忘れ去られるだけなのでしょうか。もちろん、そんなはずはありません。東畑は実存の問題こそ生存の問題の陰に隠れた「ほんとうの問題」であると書いています。


 それは一見、ギリギリの生存闘争をまぬかれている者のみが直面する「贅沢な悩み」のように思えるかもしれませんが、その実、人生の豊かな味わいそのものを殺しかねないような「切実な苦しみ」なのです。


 ある意味では、現代人は容赦なく襲いかかる「生存の問題」と、そこに隠蔽された「実存の問題」、その二重苦を生きているといっても良いでしょう。


 したがって、臨床心理学においては「作戦会議としてのカウンセリング」とともに「冒険としてのカウンセリング」が必要とされ、アニメでは、まさに『鬼滅の刃』がそうであるように「いかに生き延び、そしていかに生きるか」が取り上げられる。


 実存の問題のみを最重視していられる〈心の時代〉はとうに去りました。しかし、それでもなおさまざまな〈心の問題〉はひそやかに残存しています。


 この〈生存と実存〉という二重問題は、これからのカウンセリングのみならず、文学や映画などにおける最先端のテーマとして続いていくに違いありません。


 わたしたちはまず生き延びなければならない。そして、そのうえで「良く」生きたいと願う。時代は、なおも過酷さを増して続いてゆきます。



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